怒りを出発点にしている物書きですが、広告代理店から企業の販促をサポートし、特に黒幕として君臨し、さらに企業のウェブを手伝う身の上としては、きれい事ばかりで社会が廻っていないことは重々承知の助です。しかし、ウェブ業界の著名人や有識者の発言に「怒り」を覚える自分が不思議でなりませんでした。しかし、とつないだ理由は、彼らの発言は我が身と、我が身の周辺の利益を守るための「ポジショントーク」だからです。自己宣伝やステマといってもよいでしょう。昨今のソーシャルメディア礼賛は、少し前のツイッターマンセーと同じくステルスマーケティングのレベルの加工品です。以前なら梅田望夫、いまは津田大介で、これは津田氏がツイッターで認めたところでもあります。
で、本来はご自由に。多様な意見があって健全であり、他人の声を頭ごなしに否定するほど幼くはありません。が、この津田氏などは、以前「週刊フジテレビ批評」に登場した際に、脚本家の鴨下信一氏の意見を言下に否定する視野の狭さを露呈していましたが、彼はいったいテレビ業界の何を知っているのか・・・とまぁウジテレビなのでそこはニタニタと眺めていました。しかし、この違和感、なぜでしょう。
と最近、結論が出ました。ウェブ業界だけではなく、ネットで注目されて「若手論客」と呼ばれる連中に通底していました。それが「戦後教育」。彼らはグローバルで地球市民なるものが存在できるという立場でものを語ります。ソビエトが崩壊し、中国の一党独裁があらわとなり、もはや日教組の連中でさえ、自陣の旗色の悪さを自覚しているのに、「若手論客」たちは、ウェブ(ネット)によりそれが実現できると思っている節があり、ちょいちょい「アラブの春」がもたらした混乱には目をつぶり、既存体制を打倒したことだけにフォーカスします。
そこで「怒り」。こいつらを野放しにしたら次の世代が不幸になる。日教組教育による、日本人のガラパゴス化は私たちの世代で終わりにしなければなりません。憲法九条を報じ奉れば戦争が起こらないというお題目に疑いを持たない国民の生産がガラパゴス化です。若手論客どもが、ウェブやアニメ、AKB48という彼らの血肉に溶けた得意分野でなにを語ろうが自由でなければなりません。しかし、政治や民主主義、外交、教育について踏み込ませては、ようやく日本が「普通の国」になろうとしていることを阻害することでしょう。なぜなら、日本の既存メディア、いわゆる「マスゴミ」のなかには、いわゆる左翼の分子が多く、活動家とまでいかなくともシンパシーをもち、日教組の残尿感ともいえる懐古趣味に近い思想信条を感じているものがおおく、意図的に若手論客(笑)をキャスティングしているようです。特に「ネトウヨ」と揶揄される、右傾化論が広がるとともに台頭してきた「若手論客」は団塊左翼の代理人とみてよいでしょう。
わたしは右翼の極論は嫌いですが、亡国の左翼は論外。なるほど、ここに最近感じる「怒り」があるのだと発見したのは、選挙とネットについて研究しているから。近日脱稿予定です。ご興味のある出版社がありましたらお声かけくださいませ。