「ろくろ廻し」とは、陶芸のあの轆轤(ろくろ)を廻す仕草を指すのですが、IT業界人を揶揄する表現でもあります。その心は、彼らが取材を受けた際、なぜか決まってろくろを廻しているからです。ツボの大小はそれぞれですが、湯飲み茶碗から土鍋ぐらいまででしょう。
それではどうしてロクロを廻すのでしょうか。本人でなければ分かりませんが、ITに関わる人に突出するのは奇妙な符号です。で、これはセミナーの登壇者も含めた業界人への私見から理由はふたつ。
表現力が乏しい
ろくろを廻すだけが表現ではありません。エキスパンダーを引きちぎっても、ブルワーカーを絞り込んでもよいのです。あるいは太郎冠者次郎冠者が跳ね飛んではいけないなど校則で定められているわけでもありません。いや、むしろ、学生時代、チェッカーズ風に表現するなら「夢を机に縛られて」いたタイプがIT業界には多いが故に、ほとばしる身体全体からの表現が苦手・・・というかやったことがないのだと。むろん、友達同士のときまでそうとはいいませんが、他人と接して、いきなり立ち上がり説明を始めるような表現力がないのだろうと。
演技力とも重なります。社会の荒波にもまれたタイプは、軽々にろくろを廻さず、どっしりとした印象を与えようと落ち着き払った所作のなかから、対話者を乾坤一擲の身振りで圧倒するからです。さらに話しの流れからロクロを廻しても、それはまさに「小手先」で前振りとして、さらに大きなアクションで、小さいボディアクションを打ち消します。だって小さい印象を与えて良いのは、相手を騙す時だけだと、演技派のビジネスマンなら誰もが知っているからです。
そしてロクロ廻しのもう一つの理由は
ヴィジュアル性の乏しさ
顔の美醜というだけではありません。内面から滲み出る自信というか、迫力のようなものがないと「顔」だけでは寂しいと思うのがカメラマンであり編集者です。そこで「手」というアクセサリーで、不足している人となりを補おうとするのです。
・・・あ、これ、自分のしごとでこの方法使えなくなるかな。ま、いいや。
どうでも良いことを書いたのは、読売新聞の番組欄に津田大介先生の写真が掲載され、まぁ見事にロクロを廻していたので思い出したことをこころのままに。
ちなみにわたしも営業マン時代によくロクロを廻していました。ぼやっとしたイメージを伝えるときや、性格に伝えたくないとき、さらには自分自身が正確に理解していないことを誤魔化すために。
蛇足なアドバイスをするなら、ロクロ廻すときは、廻したロクロに目を向けます。すると、自然と対話者もそこに目を落とします。これが一種の「共同作業」になって、理解が深まったかのような錯覚を与えることができますので。対話者が目を落とさなくても、その目を落とした自分を見て、存在しないロクロがあるかのような印象を与えることができますし。こうした小芝居すらないロクロ廻しなら・・・鈴木奈々さんの大ぶりな手振りのほうがまだマシです。