執着を取り払ってくれる神様のプレゼント

月が変わるといよいよ師走。敬宮様のご生誕からさかのぼること31年前。大阪府豊中市の線路沿いにある産婦人科・・・にはいったときには頭がでていたのがわたしです。

平たく言えば年を重ねます。いまさら年を取ることに特別の感慨はなく、誕生日ごとに黄泉路が近づくと思えば、目出度いなどとはよもや言えまい。と、ペシミストを気取るつもりはありませんが、将来、この一場の芝居を終えるときに、未練を残さなくてすむのかなぁと溜息を漏らします。

それは社会がバカになっていくと実感すること。

というわけで「天才バカボン」のエンディングテーマを春にカラオケで歌えなかったことが唯一の心残りな41才最後の嘆きです。

見事なオッさんとなりました。これは自己肯定。老いることにより、可能性は狭くなりますが、積み重ねた知識と経験は、不確定な可能性より頼りになる相棒です。若さを至上とする現代日本の価値観は商業主義の発露に過ぎません。理由はふたつ。

消費者が満ち足りたと感じれば、購買意欲は減退します。それをさせないために「まだ若い」「いつまでも若く」とあおり立てているのです。恋愛至上主義もこの延長にあります。

妻子がいて、あるいは夫子があり、わが家の場合は妻犬ですが、それに多少の友達と仕事があり、食べるに困ることはなく、多少の贅沢を楽しむ余裕があれば、他になにを望むのでしょうか。時代により、間違い探しのような変遷はありますが、スタンダードな衣装を持っていれば、毎月のように衣服を購入する理由などありません。となれば洋服が売れなくなるので、オッさんやおばさんにまでファッションを強要するのです。

しかし見た目の美醜を競う上で「若さ」は圧倒的なアドバンテージで、最近では「美魔女」というマーケティング用語(ですよ。完全に)も登場しババァが年甲斐もなく、若いお姉ちゃんと同じ競技に参加したがりますが、ふりそそぐ紫外線が刻まれた笑いじわを色濃くするヤクルトのおばちゃん(ヤクルトレディ)のほうに、わたしは人間的魅力を感じます。

というか・・・ね。こんな言葉を聞いたことがないでしょうか。

「人は見た目じゃない」

これは主に美醜を指していたはずです。人は見た目が9割という本もありましたが、主張するのは見た目に内面が現れているというもので、幾つになっても姿形の美のみを競う彼女らの瞳に映る魔性は、バブルの頃の夜の銀座に溢れていたものです。

もちろん、それも彼女らの人生。ただ、不惑を数えてつくづく感じるのが「人は中身」だということ。中身を作るのは勉強も含めた経験です。

日焼けをしたくないからと、お日様を避けて生きてみたとて、加齢による限界は必ず訪れます。美容整形の技術が進化して、iPS細胞による自己再生皮膚の移植などで見た目の若さが取り戻せるようになるかも知れませんが、小春日和のお日様の下を好きな人と手をつないで歩いた記憶に人生の価値はあるのではないでしょうか。

ファストファッションにアンチエイジング、恋愛至上主義も消費的ライフスタイルを継続させるためのキャッチコピーです。

そしてもうひとつ。「バカになれ」ということ。
消費者が利口になると、企業はものが売りにくくなります。
冷徹に損得を計算しだせば、無駄なものどころか、必要最低限の商品しか売れなくなるからです。

いま、ようやく問題提起がはじまった食品の「3分の1ルール」などその代表です。製造日から賞味期限までを3分割し、納品期限は製造日から3分の1以内とし、販売期限を賞味期限の3分の2までとする食品流通業界の商慣習です。売れ残った商品は返品され、賞味期限の満了を持って廃棄されるとの報道。カロリー自給率の低いと喧伝される我が国では大量の食糧廃棄物が生産されているのは事実です。

これを報じるメディアが甘いのは、業界のいいなりになっているからで、このロスが激しいと経済産業省の主導でルール作りにようやく着手したのですが、実際の現場では返品された商品を格安で「卸す」ルートがあり「デフレーランド足立区」と、その周辺ではこうした商品を現金問屋から仕入れて特売をしている小売店は沢山あります。

だからすべてが捨てられているというのウソに過ぎませんし、賞味期限も、それが切れからとどうと言うことはありません。腐っていたら食べられませんが、昨夜のわが家の夕食は上海風焼きそばで、それに使った「蒸し麺」の賞味期限は11月19日でした。

食品衛生の知識と、安全と判断できる味覚や嗅覚をもっていれば賞味期限など不要です。そしてわたしのような消費者ばかりになれば、メーカーは「廃棄を計算に入れた大量生産によるメリット」を選択できなくなります。需要を予測して、適切な量だけ生産するのは神業です。沢山作る法が簡単に儲けられるのです。

だからといって「バカになれ」と言えるのはアントニオ猪木さんぐらいでしょう。そこで「若い」を推すのです。若いから知らないというステレオタイプな若者を馬鹿にした構図です。

反知性主義です。同じ系譜に「オンリーワン信仰」があります。

生まれたままのあなたで誰にも代えがたいオンリーワンで、それがそのまま素晴らしいものであるという宗教です。

この宗教を哲学者の適菜収さんは「キリスト教」に求めます。

人は神の前で平等であると教え、信徒を羊に例え、導くのは牧師であり、個々人の努力による優劣より神を上に置きます。個々人の努力が神の与え給う力を越えては教義がなりたたない・・・とは、適菜収さんの指摘を、わたしなりに意訳したものです。

ちなみに「民主主義」も同根。バカも賢者も同じ「一票」とは、そのままキリスト教の発想です。

宗教批判ではなく、戦後至上と洗脳された民主主義の構造はバカのポテンシャルを最大化し、賢者の価値を最小化するものだということで、マーケティングに活用されているのが現代日本だということです。

そして「バカ」が大量生産されています。

「健康至上主義」も同じ。健康でありつづければ幸せな生涯と言えるでしょう。しかし、その為にと、煙草を吸わず、酒も控え、食事は腹八分目で、ジャンクフードは口にせず、仕事も無理をしない程度に会社に貢献し、週末には適度に運動し、たまには映画を見に行ったりもします。しかし、煙草を吸い、浴びるように酒を飲み、がつがつ飯を食べ、人の何倍も仕事をして、仕事が終われば朝まで遊び倒す。これも人生です。健康をなによりも価値のあるものと求める人生は家畜と同じです。

そしてとにかくターゲットにされる「煙草」よりも、自動車の排気ガスが身体にわるいのは自明のことです。原発事故で漏れ出た放射性廃棄物はいわずもがな。だから「原発の即時停止」をしたとして、火力発電に舵を切れば「地球温暖化ガス」の増加へと繋がります。一方だけをみて語ることを一知半解や、知ったかぶりと呼び、それは「バカ」がすることだと教えられました。

すこしでも原発を擁護すると、「だったら被災地に住め」と声を荒げる人がいます。この主張は経験を最上とするもので、人間の洞察力と想像力を認めない暴論です。沖縄の基地問題にも通じます。

想像力があるなら被災地が、沖縄の悲劇に思いを馳せろ。

しかし、想像力があるからこそだという事実を、彼らは想像すらできません。

原発を即時停止した先の未来や、沖縄の基地がなくなったときの支那の脅威をリアルに想像できるから、即時の原発停止を求める声に頷けず、10年間杭ひとつ打てなかったと民主党が喧伝しても、沖縄に基地を残せる方法を考えるのです。

「だったら住め」という主張も論外。ならば足立区に住めば? とは小学生的バカの反論ですのでやめておきますが、アントワネットじゃありませんが、我が国には居住の自由が認められているのです。物価も相当安いですよ。表示される賞味期限は「タイト」だったりもしますが。

先祖伝来の土地だから転居などできない。というかもしれません。ま、どこかの馬の骨のわたしには想像するしか出来ない感覚ですが、それでは原発の誘致において「民意」は反映されなかったというのでしょうか。進まぬ復旧復興は残念な限りですが、残念な対応しかできなかった民主党政権を選んだのもまた民意です。

これは昨年の6月15日発行したメルマガに記したもので、いまは所属政党が変わっていますが、当時のまま再掲します。

岩手県
1区 階猛( 民主党 )
2区 畑浩治( 民主党 )
3区 黄川田徹( 民主党 )
4区 小沢一郎( 民主党 )

宮城県
1区 郡和子( 民主党 )
2区 斎藤恭紀( 民主党 )
3区 橋本清仁( 民主党 )
4区 石山敬貴( 民主党 )
5区 安住淳( 民主党 )
☆6区 小野寺五典( 自由民主党 )

福島県
1区 石原洋三郎( 民主党 )
2区 太田和美( 民主党 )
3区 玄葉光一郎( 民主党 )
4区 渡部恒三( 民主党 )
5区 吉田泉( 民主党 )

茨城県
1区 福島伸享( 民主党 )
2区 石津政雄( 民主党 )
3区 小泉俊明( 民主党 )
☆4区 梶山弘志( 自由民主党 )
5区 大畠章宏( 民主党 )
6区 大泉博子( 民主党 )
☆7区 中村喜四郎( 無所属 )

千葉県
1区 田嶋要( 民主党 )
2区 黒田雄( 民主党 )
3区 岡島一正( 民主党 )
4区 野田佳彦( 民主党 )
5区 村越祐民( 民主党 )
6区 生方幸夫( 民主党 )
7区 内山晃( 民主党 )
8区 松崎公昭( 民主党 )
9区 奥野総一郎( 民主党 )
10区 谷田川元( 民主党 )
☆11区 森英介( 自由民主党 )
☆12区 浜田靖一( 自由民主党 )
13区 若井康彦( 民主党 )

☆をつけたのが民主党以外。

液状化と地盤沈下の千葉県まで被災地と数えても、ほぼ民主党の議員が「地元選出」されているのです。福島県に至っては、全員が民主党で、残酷なようですが、これが「民意」です。

普天間基地については接収があったようですが、少なくとも終戦直後の基地の周辺をうつした航空写真にひしめき合う民家を見つけることはできませんでした。

2才の夏に大阪から高知県に引っ越し、幼き日々の記憶が残るのは高知県四万十市(当時、中村市)です。いまテレビドラマ「遅咲きのヒマワリ」の舞台になっており、オープニング映像に映る一条神社で、わたしは七五三のお参りをしました。いまでも親戚が住んでいます。

生まれ育った街というのは、この延長から想像するしかありませんが、いまのホームグラウンドである足立区のスーパーマーケットで関西弁を耳にすることは珍しくありません。北関東のフラットなイントネーションは当たり前に流通し、尖閣で緊迫しているときでも大声を張り上げて会話をする中国人は日常の風景。フィリピン人のママが、オモチャをねだる子供を叱るシーンは20世紀から足立区にはあります。

都会に暮らす人間の大半もまた某かのガマンをしているか、現実として受け止めいるのです。もちろん、突然の重大事故を並べて、同じに語ることはしませんが、「民意」という言葉を、東京ディズニーランドの「年間パスポート」のように何度も、便利に使えると錯覚はしていないでしょうか。だとすればそれは「バカ」と道議です。

かつて大人になれば、多少のガマンと相手への配慮、それぞれの立場に立ってものを考え、話をしました。そしてそれができないものを「バカ」と称しました。

年齢に不相応・・・すなわち繁殖可能年齢をひとつの基準として、ファッションは制限され、暗黙の社会の規範を犯すものを「バカ」といいました。

そして「無知」は「バカ」と同義です・・・でしたなのでしょうか。むろん、バカにも人権が与えられています。どうぞ、ご自由に。としか言えない世の中になりました。また加速していくでしょう。

誰かが言った台詞です。

「年老いてぼけるというのは、イヤなことを考えなくて良いんだよという神様のメッセージなんだよ。神様がいままでご苦労様とぼけさせてくれたんだよ」

生への執着が深いわたしにとって、社会のバカ化とは、その執着を取り払ってくれる神様のプレゼントならいりません。拒否します。

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