復興のための増税は詭弁

 成長戦略もないままの増税に嫌気がさします。

 また、復興増税ならやむなしといっている庶民が、いざ増税が
決まると不満を口にする姿が目に浮かぶことと重なります。

 いやならイヤというべきです。ところが体面を気取りお為ごかし、
決定してから本当は反対だったとは、それはつまり無責任な告白
です。反対したところで覆らないであろうし、それは対案をだす
責任もない楽な立場への逃避です。

 わたしは増税はイヤです。冒頭に述べた通り「成長戦略」のない
増税は希望のないダイエット、あるいは食糧の欠乏による自然減で
貧困や飢餓と呼ばれるものに似ているからです。

 先週述べたように少し痩せました。もうすでにリバウンドの影が
忍び寄るとはいえ、運動により消費カロリーを増やす方法で少し
だけ絞ることができました。

 もうこの10年以上、食事制限によるダイエットはしていません
が、かつて「もてたい」と刹那に願った10代から20代前半は
摂取カロリーを抑えたものです。社会人となりひとり暮らしを始め
てからは1日1食など当たり前。ワカメだけを夕食にしたことも
多く、甘味をほとんど食べなくなったのもこの頃です。

 最初に勤めた会社を辞めて1年後。貧困がやってきました。
 それまでも楽な暮らしではありませんでしたが、定期収入と
年2回の賞与に加え、僅かばかりでしたが亡父の死亡保険金を
切り崩しての生活が、無職になって1年で破綻したのです。

 フリーターなどと気取って見せても、蓄えはなく、次の仕事の
目処も立てずに止めてしまえば、自転車は倒れます。

 自然とダイエットができます。みじめです。

 食べたいものが食べられない。それも天丼の上と並で悩む
レベルではなく、昼食を食べるか否かの決断です。それまでの
ダイエットは

「食べるお金はあるけど我慢」

 でした。ところが、お金がなくなると、そもそも買うという
選択肢がありません。なまじ、食べられる時代・・・というか
バブル経済を知っているだけにこれは「惨め」でした。

 成長戦略なき増税はこうした惨めさを招きます。詳しくは
後に述べるとして、増税により可処分所得だけが減るという
ことは、使えるお金が減ることであり、食べたくても金がない
という自体となり、ダイエットには良くても心がすさむことで
しょう。

 この当時、高校以来の「親友」にスーパーの食品売り場で
偶然再会し、わたしは逃げました。カゴには「半額シール」が
貼られた食料品。普通の時なら気にもしないでしょう。逆に
そのお得さに我が目利きを誇ったかもしれません。しかし、
心を支配していた惨めさが、そんなものしか買えないと自分を
卑下し逃げたのです。すぐに追いかけられ捕まり、軽い挨拶で
お茶を濁しましたが、この親友は15年以上たった今でも言い
ます。

「あんな(情けない)ミヤワキはもう見たくない」

 ・・・追いかけたのはおまえだろう・・・とはいいますまい。

 紆余曲折を経て、独立し、事業が順調に伸び、ときに停滞し
月収が3万円しかないこともありましたが、「食べる」ことは
止めなかったのは心の貧乏にだけは戻りたくなかったからです。

 金がないのに美食をしたのではありません。順調な時に多少の
蓄えを残し、月収3万円でも1年間は遊んで暮らせる資金を貯め
ていたからです。そして価格は安くても美味しいものを食べる
工夫、楽しい時間を持つ努力は惜しまないようにしたのです。

 優雅でも堅実でもなく、私を動かすのは「貧困への恐怖」です。

 話を戻します。「増税」を受け入れる論調があります。
 新聞各紙は社会保障にからめて「消費税」まで議論をすすめて
います。

 このままいくと増税することでしょう。野党、自民党はもと
から増税路線。運良く参院選で菅直人がパクってくれたので、
増税カラーが薄まってくれたところに、民主党政権が旗を振り
増税しようとするのですから願ったり叶ったり。

 自民党にとって消費税は鬼門中の鬼門で、平成元年の消費税
導入が日本新党ブーム、そして非自民政権のきっかけをつくり
税率アップが自民党の瓦解の始まりでした。それを民主党が
やってくれるのですから笑いが止まりません。

「こういうご時世だから国民も理解してくれる」

 とは夢想です。いや、妄想です。この国のすべての民は見たい
未来しかみないのです。すべての民には政治屋も含まれます。

 これは古代ローマ帝国の中興の祖にして塩野七生さんが愛し
てやまない「ユリウス・カエサル(英名 ジュリアス・シーザー)」
の台詞を引用しました。

 指導者たるものは「見たくない未来」も同時に見なければな
らないとセットになった言葉で、もともと現実を直視する能力に
欠けた民主党からすれば、妄想に基づいた政策など朝飯前です。

 実際に増税を決定すれば、再度の政権交代もおこるでしょうが
自民党が政権を引き継いだとて増税を止めることはありません。
もともと増税したかったのですから。

 冒頭に述べた通り、わたしが増税に反対するのは成長戦略の
欠乏です。言うなれば目的のないダイエットであり、増税により
経済が今以上に悪化すれば、国民みんなでカロリー不足による
ナチュラルダイエットに突入して、生活習慣病が減ることで
圧縮される医療費と、栄養不足の治療のための医療費の
どちらが国庫を圧迫するか見てみたいものです。

 増税と成長戦略はクルマの両輪で、増税だけでは「夢」があ
りません。

 独立後、月収3万円でも「惨め」にならずにすんだのは夢が
あったからです。絶対に成功するぞという妄想ではありません。
営業戦略をからめたホームページ作り、そこから派生する戦略
提起、さらには地元 足立区に特化することによる地域優位性
の得てしまえば、優位な競争を展開できるという成長戦略です。

 仕事がなくて暇な時はありません。成長戦略を実現するため
にあがきもがき、動き続けました。気がつけば、それなりに
食べていけるぐらいは稼げるようになりました。しかし、夢が
なければ、生活に押しつぶされ挫折していたかも知れません。

 復興のため・・・という増税は詭弁です。一時的な支出の
復興費用は、一時的な借金(のはずですが)である国債にして
返済期間を長くとる方法(建設国債など)もありますし、
各種特会が積み立てている準備金を一部取り崩す方法だってあ
ります。

 想像してみてください。台風で屋根が飛んだ時、蓄えがあれ
ば蓄えの中から修繕費を支払うようなもので、あるいはその時
リストラにあって収入が大幅に減っているので、いざというと
きに供えた蓄えを残したいのであれば、借り入れた金の返済は
長期間に分割して、毎月の支出を抑えるものではないでしょうか。

 またちっぽけな零細企業のはなしで恐縮ですが、さきほど
述べたように月収3万円のころ、幾ばくかの貯蓄はありましたが、
実際に取り組んでみると、成長軌道に乗るのに1〜2年と見て
いましたが、なにかの不具合で3年目にはいれば資金がショート
する可能性があったので金融機関からお金を借りました。

 足立区が事業家を支援する制度を利用したのですが、この時の
借入金は制度が許す最長の返済期間にしたのは、「いま」をしの
ぐためです。軌道に乗ったあとも追加融資を受けたのですが、
それは金利がバカみたいに安かったからで、当初分も含めて
1000万円の借り入れは先月全額返済が完了しました。
ちっぽけすぎてすいません。

 野田首相が「未来にツケを回さない」という主張も詭弁に
過ぎないと言うことです。未来は現在から連続した先にあり
現在がこけては未来にたどり着けず、月収3万円当時に金が
ないからと事業転換を止めていれば、今の私はいません。

 ブラックキューピー孫正義さんを例に挙げるまでもなく、
経営において、借金も実力のうちです。国家が借金漬けになって
も借金できる信用があるという証明です。

 ただし、成長戦略がなければ金は借りられません。
 私は夢をまとめた「事業計画書」をなんども出しました。

 そこが「両輪」なのです。

 方法論からいえば「増税」と「借金」は別のものです。

 税金は企業活動における売上のようなもので、商品の対価
として受けとるのが売上で、国民生活のサービス対価として
受けとるのが税金です。

 一方、借金は売上とは入口は別のものですが、毎日、毎月の
売上から貸し手に返すもので、金融機関からの借り入れなら
金融機関に、国債なら国民へと渡ります。

 つまり、どちらにとっても「売上」は重要となり、それを
叩き出すための「成長戦略」が不可欠ということです。

 「増税」とはいわば売価の値上げです。
 さて、なにも変わらぬ商品が理由もなく、値上げして客は
文句をいわずに買い続けるでしょうか。

 復興のためだから・・・で、復興している最中も日本経済は
歴史的円高に喘いでいます。復興がなされるまで放置しろと
いうのでしょうか。また、復興とは復旧からより踏み出した状
態で被災地の経済をどう成長へとつなげることも「復興」に
欠かせないことですが、その「成長戦略」がないまま

「増税」

 だけが独り歩きしているのです。

 だからわたしは反対します。ましてや国会も霞ヶ関も役人も
我が身を切らない増税なんて。

 そこから「社会保障費用のための消費税率アップ」も反対です。

 今朝の新聞を賑わせた「年金支給開始年齢引き上げ」というの
のは1000000%「ネタふり」です。しかも最悪の。いやなら
消費税を上げさせろと言うね。

 最悪である理由はこれにより「年金不信」がさらに深まるから。

 それは私が子供頃に経験したこと。

「あんたたちが受けとる頃には80才にならないと年金は貰えないよ」

 と、支給年齢引き上げの議論が活発になった昭和、大人達から
刷り込まれた経験は、われわれの世代の共通体験で、年金不信の
原体験です。

 ゴールが見えたら、ゴールが先に逃げる・・・なら、最初から
レースに参加しない方がよい。とね。

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