マスコミがバカ左翼に優しくなる理由

 最近の我が家でのトレンドワードはこちら。

「左翼だよね。」

 嘘つきとかバカという意味。下品も加えておきます。グローバルスタンダードにおけるリベラル勢力ではなく、本稿で度々繰り返すバカ左翼のことです。

 対する保守派や右翼のなかには、日本のマスメディアは左翼の支配下に入っているという認識があります。陰謀論も多分に含まれますが、あながち遠くもない一例は、団塊世代の政治コメンテーターに、かつて学生運動に参加していたものが多く、かつての活動への反省が見られない、すなわち、信条としてはいまも活動家な人が散見することです。

 時事通信社の解説員と紹介される田崎史郎氏もそのひとり。各種ワイドショーで政治解説をしており、柔らかな口調から懐が深いように見えなくもありませんが、どうやらそれほどでもないようです。

 ウィキペディアを引けば、三里塚闘争に参加し逮捕勾留されています。時事通信社に入社するも、労働組合に入っていたことを理由に左遷されたと会社を提訴します。

 これも実に、日本の左翼らしいのですが、政治部に所属してから政治権力、すなわち自民党と親しくなり、それどころか田中角栄の派閥を担当してからは権力のメインストリームに近づき、現在の「太郎と一郎」の協同党主、小沢一郎氏とは飲み友だちになります。反権力を標榜しながら、権威や権力が好きなのが日本の左翼です。

 権力志向、権威主義であるのは、中国共産党や旧ソ連の影響が色濃いからなのでしょう。だから、民主主義がいまでも理解できないのでしょう。民衆の側に立つという意味の左翼とは遠い理由です。

 で、飲み友だちの小沢一郎氏から遠ざけられると、2年もせずに「小沢一郎との決別」を文藝春秋に発表します。○の腐ったのといえば、今どき怒られることでしょう。しかし、海部俊樹を指して「御輿は軽くてパーがいい」といった、オフレコを赤裸々に語る姿は、政治的リベンジポルノです。仁義もへったくれもあったものではありません。

 年令を重ね、灰汁が抜けたかと言えばさにあらず。この1ヶ月ほどの「維新の会」の分裂騒動については、橋下徹のいつもの朝令暮改に過ぎず、なにより「選挙互助会」が解散するだけに過ぎないのですが、その慌ただしい動きを、日本テレビ『ウェイクアップぷらす』にて

「政治のダイナミズムを感じる」

 と称揚します。性根が野次馬なんでしょうね。

 そんな過去を持ち、いまも変わらない人物がメディアの一線で活躍する姿に、左翼陰謀論も一定の説得力を持ちます。

 また、古市憲寿のような一般常識が希薄な人物でも、メディアを席巻できるのは、師匠にあたる上野千鶴子東京大学名誉教授の肝いりだといわれています。

 上野千鶴子氏といえばジェンダーフリーの大家で、ジェンダーフリーとはすなわち国家解体工作という印象を、決定づけたと言ったら過言でしょうが、沖縄普天間基地の辺野古移設が、仲井間前沖縄県知事とあいだで決まったときには、安倍晋三首相をこうTwitterで評価します。

 2013年のクリスマス翌日のことです。

 ウィキペディアをみれば、「博士号」を取得したのは2013年とつい最近で、それは東京大学が認定した文学博士で、東大名誉教授の就任は2011年です。学位ロンダリングと呼ぶのか、手前味噌なのかわかりませんが、日本のアカデミズムの世界の闇を見つける思いがします。

 いずれにせよ批判にチョイスする言葉が下品です。彼女が文学博士号を持つなら、その取得には下品が必要ということでしょうか。選挙という民主主義のプロセスを経て、選ばれたリーダーへの表現として適切とはいえず、ところがこんな人物がいまだに「名誉教授」の称号を剥奪されることもなく、教え子をマスコミに送り込んでいるといわれています。

 上野千鶴子東大名誉教授様の発言を見るに、陰謀論ではない、日本のメディアが左翼に優しい、というより左翼に優しく見える理由を発見します。

 それは「下品」。

 極右雑誌『月刊WiLL』の名物連載「蒟蒻問答」で堤堯氏の指摘だったと記憶していますが、

「左翼は下品」

 に、その当時は、下品という人が下品じゃないのかなと、バカという物がバカ的な反論が浮かんだのは、すべての情報を一度疑ってみるという、物書きを始めてから磨かれた悲しい習性からですが、同時に思い浮かんだのが、直前に手にした佐高信氏の著作です。

 人によってはそれを痛快と表現するのかもしれませんが、やはりひと言で言うなら「下品」。確たる理由論拠も乏しく、論理が飛躍し、デリカシーが欠如しているのです。上野千鶴子氏のツイートに通じます。

 上野千鶴子氏も、佐高信氏も下品な悪口だけを吐いているわけではないでしょうが、その言葉をそのまま、テレビや新聞に掲載することは、テレビや新聞の自主規制に抵触します。

 なかには、自民党の政治家を狙い、プライベートでの失言を取りあげる局や新聞もあり、それとどうしても比較してしまいますが、ノンポリのテレビマンや記者にとって、下品の垂れ流しは自らの首を絞めることになります。

 一方で社会的出来事となれば、報じないわけにはいきません。いまなら安保法制に反対するデモや抗議活動です。そして、保守派の不満は、左翼の活動を正しく伝えない報道にあります。

 実際には暴力的で、呼びかける言葉は乱暴に過ぎ、例えば昨日公聴会に呼ばれた学生のような、見識の浅さ、経験不足、知識の足り無さ、ひと言で言えば、大学生らしいバカさの発露からの過激な言葉なら、たしなめる対象ではあっても、ある種の寛容さを持って接することもやぶさかではありません。

 ところが年令を重ねたオッさん、というかおじいちゃんという年の功を背負った、法政大学法学部教授という肩書きを持つ山口二郎氏は

「安倍は人間じゃない。たたき斬ってやる」

 と絶叫していたことを、報道で確認できたのは産経新聞だけです。

 比喩表現とは言え穏やかではありません。というか、前段には

「安倍に言いたい!お前は人間じゃない!」

 とあります。殺された遺族が加害者を詰るのならともかく、選挙を経た一国の首相に投げかける大学教授の言葉ではありません。

 他には大学生の暴言も目立ちます。事実上匿名の活動のようなので、発言主の特定は避けますが、Twitter上にはこんな言葉が並んでいます。

「バカか、お前は」
「首相は早く病院に行って辞めた方がいい」
「体中の穴に五寸釘を刺したい」
「安倍はサタンだ」

 挙げ句の果てには、鬼怒川が決壊した集中豪雨について

「安倍が豪雨をふらせた」

 といいます。安倍首相にそんな力があるわけありません。

 というより、まともな大人なら相手にするのもバカらしく、普通の報道機関としては報じることは困難です。

 そこで「使えそうなところ」だけを編集した結果、

「左翼に優しい報道」

 になるという見立てです。一方で、バカ左翼はそれを熟知していて、常識を疑うような珍説と罵倒と抽象を繰り返します。

 あるいは記憶力が無いのかも知れません。いまや革命の闘士と生臭い、瀬戸内寂聴坊主。すっかり過去を忘れているようです。

 この人を最初にテレビで見たのは、中学生か高校生のころだったと記憶していますが、説法をしている引きの画(ロングショット)では何も感じませんでしたが、寄り(アップ)で映しだされる瞳におぞましさを感じます。

 目が笑っていないというか、深い闇を抱えているというか、たくらんでいる大人の目がそこにあったからです。また、色恋に狂う自分勝手な人に共通する「匂い」があり、身内の恥をさらすようですが、私の実母に通じたのです。

 色情放蕩の末に仏の道を選んだと知り、なるほど。私見ながら、彼女の行動はいまもって自分のためだけだろうね。とつぶやいたものです。初見から四半世紀を優に過ぎ、人は見た目が9割なんだと確認します。

 7月18日付の「しんぶん赤旗 Web版」への寄稿を要約します。

“93年生きてきたが、いまが一番悪い時代じゃないですか。
 (安倍首相には)何か憑いているんじゃないか(笑)”

 坊主の霊感商法のたちの悪さは脇においても、終戦時に23才。戦中も戦後も知りながら、いまが一番悪いといいます。

 論理破綻です。戦前に戻してはならないと左翼は言います。瀬戸内寂聴も耳が確かなら、抗議集会で耳にしていることでしょう。ならば、最悪の定義は戦前のはず。

 そして保守派から見てもやむなしとはいえ無謀な開戦で、早期講和が起死回生に残された唯一の手段であった大東亜戦争へ、むかったあの時代よりも、スマホ片手に首相にバカといえる今の時代が悪い・・・といえばそうですが・・・とにかく、平和と繁栄を享受している今が悪いというのなら、公にでて発言できる認知力がないのではないでしょうか。

 だから、さすがにというか、瀬戸内寂聴氏がデモに参加しても、取りあげる報道は少なく、映り込む程度に留めているのは、報道側の自主規制なのでしょう。

 つまり、日本人としての良識や常識、優しさが左翼をのさばらせている、メディアでの活躍を許している、ひとつの理由だと考えるのです。それは日本人の美徳でもあるので痛し痒しです。

 もちろん、学生デモ(という表現も怪しいのですが、今回は割愛。というか古市憲寿のように学者を自称すれば、それを垂れ流す以上、連中が「自然発生的に集まった学生グループ」を主張すれば、それを検証もせずに宣伝してくれると足元を見られています)への、懐疑もあり、それが故か、時間を割いてまで放送しません。

 仮に放送していれば、連中のデモに参加し、賛同した津田大介氏や茂木健一郎氏という人物の「程度」と「思想」が明らかとなり、愉快だったのですが、彼らを使う同局の別番組プロデューサーからストップがかかったのかも知れません。「色つき」の時点で中立性が損なわれるので、テレビとしては使いづらいタレントになるからです。ましてやニュース番組では御法度。見逃されるのは、アンチ自民党だけです。

 それが色濃くでるというか、やっぱりダメだフジテレビと呆れるのが、やはり津田大介氏。

 当該記事は「集会でのスピーチ」について、問題点を指摘せずに、罵倒を繰り返した、SEALDsなる学生団体を紹介しているのですが、パンフレットや動画を見ていないと記事を書けないとは筋違い。

 津田大介氏の主張は「甘え」です。政治活動を取材するなら、その主張を事前に「学習」した上で、「学習結果」を踏まえた記事を書けということ。それはファクト(事実)を報じる新聞記事ではなく、プロパガンダといいます。

 チラシ以下といわれた産経新聞と関係の深いフジテレビは、この津田大介氏をレギュラーとして重用し、さして深くもない見識を毎夕方のニュース番組と名乗るバラエティ番組で、披瀝させています。

 これは余談ながらも、昨夕、うっかりチャンネルを合わせて、びっくりしたのは彼の目つきの悪さで、そこにフジテレビが沈む闇を見つけた思いがします。夕食の用意をしながら見るべき絵面ではないとは余計なお世話でしょうね。

 とにもかくにも左翼勢力が日頃行っている活動を、正しく報道すれば、確実に連中のシンパを減らすことができます。それぐらい、下品で低レベルなのです。だからこそ、報道できないジレンマ。

 対して自主規制のない、ネットでは彼らの所業が晒されています。ネットを基点とするとして差し支えのない

「右傾化」

 とは、日本人の左翼離れだということです。

 そして最後にどれほど左翼が下品かを紹介しておきます。

 安保法案に反対するデモ隊が、暴力的に国会前の占拠を試みた今週月曜日(2015年9月14日)。

 警備を突破する活動家、デモ隊が現れました。これをすっかり左翼の広報マンとなった岩上安見氏は

「決壊」

 と表現します。Twitterによるリアルタイムの興奮だけではなく、それが確信犯であることは、彼が責任編集と自称する、サイトにまとめた記事にこうあるからです。

“2015年9月14日、国会前で行われていた抗議行動は19時5分、決壊をむかえた。”

 決壊とは堤防などが崩れることを指し、この言葉にいま連想するのは鬼怒川の水害でしょう。いまなお、復旧の目処は立たず、家屋財産が流された同胞を思えば、適切な表現ではありませんが、常総市の皆さんに何の思いを、岩上安見氏がもたないのであれば、それも思想信条の自由に過ぎません。

 嫌いになる自由も、何も思わない自由も認められているからです。

 そしてもうひとり、決壊を使った人物がいます。先の茂木健一郎を友人として、酒席の盛り上がりをツイートしている有田芳生氏。

 民主党の参議院議員の有田芳生氏です。

 後藤健二氏の惨劇に「許せない」と文字を入力しながらも、掲載した写真では赤ら顔に満面の笑顔の茂木健一郎氏とのツーショット。この感性からすれば、さもありなんなのかも知れませんが、岩上安見氏と同じ騒動に

 とはしゃいで見せます。ご丁寧にビックリマークを付けて。

 当然と言うべきでしょう。有田芳生議員先生様のTwitterには、不謹慎だと批判が寄せられます。

 これを報じた「メディア」は「ガジェット通信」だけでした。

 そして「ガジェット通信」の報道を受けた有田芳生先生様は、

 とツイート。これが民主党に投票すること、左翼を応援するということです。失礼、バカ左翼を応援するということです。

 文脈が途切れるTwitterを多用する元ジャーナリストの反論としては幼稚すぎ、なにより文脈というか、いま起こっている国民の被害を理解できない国会議員を生み出すのがバカ左翼です。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください