石原慎太郎都知事がぶちあげた尖閣諸島購入問題について街角
インタビューで60才は越えたであろうご婦人が答えます。
「社会保障とか他にもやることはある」
つまりは反対です。
ここに現代日本の病巣を見た思いがします。
遅ればせながら申し述べれば、尖閣購入資金で寄付を募った
翌日には、ほんの気持ちだけですが寄付をしております。
すでに寄付金が11億円を突破したこの盛り上がりを
猪瀬直樹副知事は
「ツイッターなどのインターネットの力」
といいます。お言葉を返すようですがわたしは産経新聞で
寄付が始まったことを知りました。なにで知ったかは本件におい
て些少のことですが、猪瀬直樹氏をもってしてもネットの全能感
という錯覚には抗しきれなかったようです。
話を戻します。
大阪で無差別の通り魔殺人が起こりました。
多少だけ腕に覚えのあるわたしは、通り魔事件を見る度に
「小学校1年生からの武道必修化」
が必要だとお茶の間で叫んでいました。武力による抑止力
を狙ってのものです。事件の多くが刃物や自動車など、おのれ
以上の道具を頼ってのことで、取り押さえられてみると非力な
その姿をみるにつけ
「やったらやられる・・・かも」
という潜在意識に植え付けるためにも武道の必修化は
抑止力として働くのです。
しかし、今回は違います。報道によれば暴走族上がりの
暴力団育ち。そしてジャンキー。しかもムショ帰り直後で
いわば肉体的にはメンテナンス済みの、いわば
「暴力のプロ」
が刃物を持って暴れたのです。これに抗する最善の方法は
走って逃げるしかありません。
その殺人鬼が語った理由が「死にたかった」。
死刑になれば殺してくれるという理由で罪なき人を殺めた
のです。本当に自分勝手な理由です。自分のことしか考えて
いない究極のジコチューといってよいでしょう。
こうしたキチガイは残念ながらいつの世にもいるのですが
冒頭のご婦人に重なって見えました。
いわずとしれた吉本芸人による「扶養不足」。
個別の事案についてはともかく、「不正」ではないと言い
張るのは、ホリエモン氏や村上某氏と同じ発想ですが、少な
くとも芸人が強弁して良いものではありません。
特にお笑いとは時の権力者すらこき下ろす以上、己の身辺
はきれいで・・・ある必要はありません。いや、身辺が汚い
のなら汚いと自覚し認め、それを笑いにしなければなりません。
本件に関しては突っ込みどころがあるのですが、すでに
多くの指摘があるので2点だけ。
「どちらの芸人も母親やプラバシーをネタにしていた」
にもかかわらず、プライバシーを理由に詳細を語らないの
はあまりにも自己中心的な発想ではないでしょうか。利用で
きるときは利用するが、都合の悪いことは法律を盾に口をつ
ぐむのです。
そしてもう一点は梶原氏の方で、母親が住む自分名義の
マンションローンを毎月40万円ほど返済しながら、生活
保護費を受けとっていたことは、支給していた役所に大きな
問題がありますが、釈明会見で不正でも違法でもないと言い
張ったことはすでに指摘したとして、レポーターに売却を
指摘された際に
「親族の借金の抵当にはいっていた」
といいますが、名義人の許可無く抵当に入れるのは不可能。
ということは梶原氏が判子を押さなければ無理な話・・・
というよりは、もともとの住宅ローンから繰り上げ返済か、
借り換えをしておいて、さらに抵当にいれるほどの金融知識
や金融経験があれば、さらなる借り換えやローンの条件変更
が可能であることは自明です。
それにそもそも抵当権とローンは同一のものではありませ
んから、抵当権はそのままにローンの条件変更は金融機関が
応じるかどうかの商取引の話しです。
彼の説明は自分に都合のよい理屈をつなぎ合わせている
だけなのです。奥さんとの性生活まで語る梶原氏が、
プライバシーを理由にするのもまた勝手すぎる嫌いがあり
ますが、羞恥心を覚える感性はそれぞれとはいえ、一般で
いえば自分勝手な話しです。
どちらの芸人も親子断絶でもしていればまた違った話に
なったのでしょうが。ついでに梶原氏でいえば、国会でも
取り上げられながら吉本と密接なテレビ局が報じない事実
として、生活保護費を受給していたご母堂は、健康食品の
広告塔になり、自分を前面に押し出した「塩昆布」を販売
しております。
そのテレビ局で言えば、節電を呼びかけてスマホのCMを
垂れ流しています。スマホはバッテリー消費が激しく、つまり
ガラケーと比較して電気を大量に消費します。
いやいやスマホの消費電力などわずか・・とはその通り。
しかし、その僅かの節約を積み重ねる姿勢が、社会全体の
節電を求める声になるのです。
その電気を創り出す発電所の原子力バージョンに反対する
人がそのスマホからツイッターで大騒ぎします。素人は
もちろん、「反原発タレント(活動家)」もつぶやきます。
そして取り巻きがご丁寧に拡散します。
「声なき声を広めよう」
ということでしょう。ならば同時に節電のために
「これからは定時ツイートにします。
毎時0〜5分にだけツイートします。それ以外の時間は
節電のためつぶやきません。フォロワーのみなさんも
不要不急のツイートはやめましょう」
とツイートした脱原発活動家を寡聞にして知りません。
節電への取り組みがみえないまま、原発だけとめようと
するその背中がわたしにこう語りかけてきます。
「自分の生活は壊さずに自分の主張を通したい」
ここで冒頭のご婦人に再登場願います。
尖閣諸島を東京都が買うことの筋道を問う人がいますが
無理が通れば道理が引っ込むのが国際政治での筋道です。
安全な会議室での議論と、硝煙の匂い漂う国境線をめぐる
争いは自ずと結論が異なります。
ところがこのご婦人は「社会保障」という我が身に直結
することのほうが大切だと主張します。テレビの街灯イン
タビューにつき、前後を切り取られている可能性も否定で
きませんが、それでも放送されるということを踏まえた上
で
「公益より私益が大切」
と発言したのです。これを時代と呼ぶのでしょうか。