橘玲VSモリーにみる週プレの多様な言論

橘玲VSモリーにみる週プレの多様な言論


すっかりパヨク雑誌に成り下がっている「週刊プレイボーイ」。講談社、小学館、集英社といった主要出版社がどちらの方向にせよ、反安倍で足並みを揃えるおぞましさを、日本の自称リベラル文化人は指摘しません。

もともと週刊プレイボーイは、若者向けというコンセプトから反骨に通じる、反政府、反主流な意見が掲載されることも多く、アンダーグラウンドなどもそこに通じますが、いまや古賀茂明氏に代表される、思想の左右は問わない主流からの脱落組が目立つようになり、彼らは陰謀論的な繰り言ばかりで、時代の波から確実に取り残されているように感じます。漠然とした記憶ながら、かつてのライバル紙の「平凡パンチ」の末期のようです。

その昔の週プレは、反政府だけではなく、反骨精神から右寄りな意見も散見していたものです。それは「多様な言論」であり、雑誌のダイナミズムを生み出していました。それが失われて久しい中、かつての片鱗を見つけ、すこしだけ嬉しくなりました。

ほとんど、読む連載がないなか、毎週ほぼ欠かさずに拝読しているのが橘玲氏の連載「真実のニッポン」。

2月20日発売号(2017年3月6日号)は《リベラルな若者が次々と「トランプ派」に寝返っている!?》と題し、バーニー・サンダースを支持していた若年層が、民主党支持者のままトランプ支持に転換していると伝えます。

その背景を《トランプはリベラルである》と喝破。暴言を吐いても「黒人」を批判しないのは、彼らもまた「アメリカ人」だからで、いわゆる白人至上主義などの極右ではない証しとします。また、合法的に市民権を取得したヒスパニックについての言及もありません。「不法移民」を食い止めようとしているだけです。

橘玲氏はトランプを「ドメスティックなリベラル」とし、オバマ前大統領ら前政権を「コスモポリタンなリベラル」と定義します。限定的なリベラルと、無制限なリベラルと呼び替えてもよいでしょう。

本稿では触れていませんが、我らが安倍首相を保守はともかく「右翼」や「極右」と設定していることが、日本のパヨクの根本的な間違いで、彼は世界標準でみたリベラルで、実際にパヨクでない普通のリベラル(話しが通じる。話し合いに応じるという常識を持つ人々。つまり本稿における「パヨク」とは話し合いができない、拒絶する人々のこと)の有識者は、安倍首相のとりわけ経済政策をリベラルと評価しています。移民受け入れに通じる、外国人雇用の拡大をしている一事を持っても明らかですが。

だからトランプ=極右的なレッテル張りからスタートしている時点で、CNNなどの米国の反トランプメディアは負け戦を余儀なくされており、自己を正当化するためにフェイクニュースレベルの強弁を繰り返しているということです。

トランプ陣営における矛盾だらけの発言を擁護しませんが、批判ありきに立つが為に、正しい批判ができなくなっている・・・これも実に面白いのが、第二次安倍政権が誕生したとき、安倍=超保守と見なして、その応援団を喧伝していた保守を名乗る有識者が、就任直後の靖国参拝を見送りや、慰安婦騒動への手切れ金を韓国に約束したときに、「礼賛ありき」でスタートしたが為に、言葉を失なった姿にそっくりです。

橘玲氏の連載を掲載しているところに往年の週プレにあった「多様な言論」の残り香を感じるのですが、この号では見開きの左右(dマガジン版)で、微妙ながらも決定的に異なる見解が掲載されておりニヤニヤします。

話しを週プレに戻します。橘玲氏の連載が左手、右手にはモーリー・ロバートソン氏。

あの「ショーンK」こと「ホラッチョ川上」の後釜で、タイタニックなフジテレビのニュース番組でなにか仕事をしているらしい(見たことがないのですいません)人物。

週プレの連載ぐらいしか見たことがないのですが、どうやら米国民主党支持者で、そこにありがちなお笑い芸人の「パックン」的な「日本小馬鹿」をデフォとしています。それはアメリカ人のデフォだろとのツッコミがあれば「そうだね」と同意しますが。

今回も同じく、主張をまとめれば

「米国の正しい情報を報道しない日本マスコミ。それを鵜呑みにする日本人ってバカだよね」

って感じ。その正しい情報とやらは、オルタナ右翼を「保守」と訳すなとか、暴動を起こしたのは反トランプではなく「ブラック・ブロック」を名乗るアナーキストだとかで、反トランプが暴徒と化したとは乱暴すぎるとパヨ全開。

トランプ就任式の日、ショーウィンドウのガラスを割った黒づくめの集団は、反トランプというより「無政府主義」であることは、映画評論家の町山智彦氏も週刊文春の連載で指摘していました。

でも反トランプデモが、暴力的なことはネットでは動画と共に溢れていて、モーリー氏の指摘も乱暴で、なにより、火をつけてまで講演を中止した大学は、リベラルの総本山だから「どこから見ても炎上する要素満載でした」とは、多様な言論、言論の自由よりも自説が上とするパヨクのそれです。

トランプにせよ、反トランプにせよ、不法移民もアナーキストも、そもそも論でいえばこうなります。

「米国の国内問題じゃん」

で、誤訳にせよ、薄い情報にせよ、他国への関心はそれほど強くないのは、どの国の一般庶民に通じることであり、アメリカ人にはより顕著な傾向とされ、それがトランプ大統領の掲げる「アメリカンファースト」が響いた理由です。日本人だけ、米国の正しい情報を得て、正しい判断をしろというにしても、現地の情報に触れ、トランプ勝利を予言した木村太郎氏や藤井厳喜氏について触れないのも実にパヨ。

モーリー・ロバートソン氏は正しい情報が日本国内には伝えられていないと、断定した上で

《これって日本でいえば○○と同じだよね」などと議論する“日本に置き換える病”の空虚さよ……僕のこのもどかしい気持、少しは伝わるでしょうか?》

 と結びますが、伝わるわけがありません。

 まったく違う文化は当然のことながら、その文化を身近ものに置き換える以外で理解するには、相応の知識と、現地の空気を通じての経験、実際の差別や区別、軋轢の現場に接し、また米国ならば一神教を常識とする世界で過ごすしかない、つまり「ネイティブになれ」ということで、それはムリでなければ、従えという傲慢です。実にアメリカ人らしいといえばそれまでですが。

その主張を批判しましたし、頷けるところはほぼありませんが、それも多様な言論を構成する要素であり、右の紙面にモーリー氏が載り、左には「トランプを支持する民主党の若者」が掲載されている。

単なる偶然かも知れませんが、この見開き2ページに、かつての週プレと私が信奉する多様な言論を見つけます。

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