1分で知ったかぶりできる「リベラルと保守の本当」

1分で知ったかぶりできる「リベラルと保守の本当」


 小池新党にいれて貰えなかった組が、枝野幸男氏を頭目に新党結成とのこと。その名も「立憲民主党」。この勢力をマスコミは「リベラル」と紹介します。明らかにフェイクニュースです。ちなみに「立憲民主党」は、ロシア革命を成功させ帝政を終わらせた政党名。実に暗示的です。

 それでは1分で知ったかぶりできる「リベラルと保守の本当」を紹介します。

 リベラルとは自由を意味し、従来の価値観に縛られないという意味からの改革のニュアンスを持ちます。多くの人が自由に異論を挟む人はいないでしょう。だからリベラルに「良い」イメージを持つ人も少なくありません。

 対して「保守」とはなにか。実は「保守」という「信条」はないといえます。それは急進的な改革、行き過ぎた変革を唱えるものが現れたとき、「もっとちゃんと考えようよ」とブレーキを踏むのが「保守」だからです。

 保守を贔屓しているのではありません。米国には米国の、イギリスやフランス、ドイツにも「保守」はいますが、それぞれの掲げる政治信条は異なりますし、「自由」を大切にするという点を否定する「保守」も、これらの国にはないからです。

 つまり、リベラルと保守は対立するものではなく、とりわけ日本や欧米のように、自由が保証された民主主義国家では「リベラルの度合い」で別れると捉える方が正しいでしょう。なぜなら「保守」とは、何が何でも変えないという「守旧派」や「原理主義」ではないからです。

 はい、ここまででだいたい一分ぐらいでしょうか。次のステップ「保守は変えないというフェイクニュース」もだいたい一分ほど。宜しければお付き合いください。

 戦後、極一部の期間を除けば、日本の政治は自民党により取り仕切られてきました。マスコミが総力を結集して「保守」とレッテルを貼る「自民党」がです。

 古くは国鉄民営化、電電公社からNTT、最近の郵政民営化。改革の速度に意見が別れても、自由化と改革を実現してきたのが自民党政治です。自民党を褒め称えているのではありません。「現実」の前に、それが妥協であっても、改革の必要性に迫られ、対応してきたのが歴史の語る現実で「保守は変えない」とする報道はフェイクニュースだという理由です。

 保守と称する勢力にも「改革」への濃淡があり、それは先の「リベラルの度合い」と同じです。

 さて、ここまで「リベラルと保守」についてですが、枝野幸男氏が立ち上げる「立憲民主党」は、マスコミで「リベラル派(勢力)」と呼ばれていますが、これは明らかに間違いです。

 その理由もまた1分ほどでまとめてみます。

 民進党時代からこの「リベラル派」は、憲法改正に反対してきました。あるいは「安倍政権下の憲法改正」に反対してきました。つまり、憲法については、変えないという方針であり「保守」なのです。

 また、リベラル=自由における武器の1つが言論であり、その戦いは議論です。議論を闘わせた上で「○○条の改正案はおかしいから反対」ならばリベラルを名乗れますが、「安倍首相だから反対」とは差別以外の何者でもありません。世界的なリベラルの潮流は人種差別に明確に反対しています。この点からも彼らはリベラルの名に値しません。

 さらに踏み込めば、リベラルはその自由を脅かす敵に対しては手に武器を持って闘います。安保法制にせよ、自衛隊を「国軍」にするための憲法改正に反対する、日本のマスコミがリベラル派と呼ぶ政治家達は、安全が保証された国内でのデモには参加しても、国防の最前線で何がおき、何が足りないか、北朝鮮がミサイルを撃ち、水爆実験を成功させた今になっても議論すらしません。

 こうした理由から枝野氏らを「リベラル派」と呼ぶのは間違いだと指摘します。

 それでは「リベラル派」をどう分類すべきか。ざっと見渡して適切な言葉がないという結論に達します。己の肩書きだけなら、「自称」でも構わないのですが、彼らは「政治家」です。世界中の民主主義国家を見渡しても、「国益」を脇におき議論すらせず、マスコミの前で政権批判ばかりしている「政治家」はあり得ません。

 いわゆる「左派、右派」という分類は、すでに時代遅れになっていますが、そのどちらであっても政治家ならば「愛国=国益」という視点を持って活動するのが当たり前だからです。

 日本の国益より、中国や北朝鮮、そして韓国の言い分を鵜呑みにするような政治家、海外なら確実に落選することでしょう。近隣諸国との友愛を語りつつも、国益を視点に天秤に掛ける。それが国家であり、政治家に欠かせない国家観です。

 自分の家族が困っても、友人の苦境を助けようとするのは、日本人においては美談でしょう。しかし、それは「自分」の責任の範疇であり、他人(国民)の責任を背負う政治家のそれではありません。立場により責任が変わるのは当然の話です。

 分類をすることで志向が整理され、物事の理解が進むというのは事実です。そこで本稿で「リベラル派」に新たな分類を与えるなら「反政府活動家」です。

 政府のやることにはとにかく反対。安倍ヤメロと国会内でプラカードを掲げ、国会の外で市民団体と紹介される活動家と政権打倒のシュプレヒコールを叫ぶ。国民に政策を訴えるのではなく、安保法制を戦争法、テロ等準備罪を共謀罪とありもしない法律を掲げ国民の恐怖を煽り、政権打倒のためなら何でもすると、まるでテロ宣言したのがリベラルの雄とされた民進党の前原誠司代表。

 「立憲民主党」の党名になったとして、それがロシア革命に貢献した政党名が意図的ならば確信犯。偶然ならば無知ですが。だから反政府活動家です。武力を持たず、法律の枠内にある限りは、彼らの言論と行動などの自由は保障されるべきですが、彼らを国会に送り出し税金で養う意味が、私にはわかりません。

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