一分でわかる「リベラル」が瓦解する理由

 希望の党こと「小池新党」に端を発する政界再編のなかで、俄然注目を集める「リベラル」については昨日の《1分で知ったかぶりできる「リベラルと保守の本当」》で触れました。

 しかし、リベラル=自由・改革だとすると、浮かぶ素朴な疑問があります。

「リベラル=自由・改革なのに、どうして分裂や解党を繰り返すのか」

 というものです。その理由を一分で語ります。

 そもそも、自由を大切にするという態度は、相手の自由も認めるという前提に立ちます。実はリベラルを声高にさけぶ人はこれが苦手というかできません。ある意味、これができるかどうかが、本当の意味でのリベラルとの違いで、日本でリベラルを掲げる政治家の大半ができず、民主党や民進党はその見本市のようでした。

 安保法制やテロ等準備罪に対する、民主党時代を含めた民進党の態度は、自公政権の法案の「全否定」です。つまり相手の思想の自由の全否定です。それはリベラルの対極にある独裁や専制です。狭量な価値観と視点、発想しかないとも言えます。これで説明のすべてが終わります。

 その攻撃の刃は身内へも向けられます。なぜなら、独裁や専制とは「俺様だけがすべて正しい」という思考回路から生まれ、同僚に対する人間的な付き合いにもそれが現れることは抑えようがありません。これがリベラルを掲げる民進党が、内部分裂を繰り返し、いよいよ瓦解へと向かうことの本質です。

 これは今月の「月刊正論」でも指摘したことですが、山尾志桜里氏の「ゲス不倫」に擁護論を掲げた大半はリベラルで、経済学者の飯田泰之氏は《離党する必要はないし,辞職なんてとんでもない.過去に何を言ってきたかもおいといて……犯罪でない・政治家としての能力と関係ない理由で辞職という流れを誰かが断ち切らないといけない》。

 国際政治学者の三浦瑠麗氏も《(略)とにかく報道は他人の不倫に時間割きすぎ。政治家としての彼女の資質と不倫とは関係ないのに》とどちらも「能力」や「資質」を盾に擁護しています。

 能力や資質が高ければ不倫をしても良い、ということでしょうか。それは「優生思想」であり、ナチス・ヒトラーを極悪非道の犯罪に走らせた恐ろしい思想です。しかし、既に指摘したように独裁や専制を下敷きにすれば、その発想になるのも致し方ありません。もちろん、私は賛同など一切しませんが。

 つまり、寛容な改革保守を掲げる希望の党と、リベラルを自称する民進党、そしてさらにリベラル勢力だけを結集して立ち上がろうとしている立憲民主党の騒動とは、独裁的性向を持つ政治家同士の、それは150億円ともいわれる民進党の積み上げた政党助成金の相続権を巡る骨肉の醜い争いのようなものです。

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