トランプ次期米国大統領の記者会見が物議を醸しています。
現地時間1月11日に開かれた、当選後初の記者会見で「バズフィード」と「CNN」を「偽ニュース」と名指しで批判し、CNN記者の質問を受けず、それでも執拗に食い下がるCNN記者の映像が繰り返し報じられました。
バズフィードは「拡散」を目的としたWebメディアで、目を惹き、話題にしやすいネタなら何でも食い付き、そもそも論で「政治」を扱う媒体ではなく、偽ニュースとの批判は馬耳東風でしょう。むしろバズフィードがネタにするほどトランプは「話題」と「影響力」をもっているということです。
もう一方のCNNは「クリントン・ニュース・ネットワーク」と揶揄されるほど、ヒラリーびいきで、投票締め切り直前まで贔屓の引き倒しで擁護し援護し、対するトランプを誹謗中傷しまくっていた媒体です。
さらには、トランプ大統領が確定した後も批判的な論調を崩していません。次期大統領がメディアに対して・・・とたしなめるのは実は珍説。その人柄は選挙期間中から変わらず、ならば彼を選んだのは他ならぬ米国国民です。つまり、多数決における民意に従わないのはCNNの方です。
権力におもねろ、トランプに尻尾を振れ、といっているのではありません。トランプ次期大統領を批判するなら、その姿勢のまま報道すれば良く、平たく言えば攻撃を続けながら、こちらの質問に答えろ、とはマスコミの甘えだということです。
政治取材は記者会見だけではありません。トランプの周辺人物、政府の高官などからの証言や、公表されるデータから筆誅を喰らわせれば良い話しで、偽ニュースと呼ばれたのなら「偽ニュースではない理由」を、紙面を使って堂々と論じれば良いだけの話しです。
端的にいえばマスコミの甘えです。マスコミは広く国民に情報を伝える仕事であり責任がある。だから特別扱い、それはどれだけ大統領を攻撃しようと、説明なり釈明なりを「マスコミに向けて」しなければならない。
いまはネットがあります。トランプが愛用するツイッターだってあります。マスコミなどなくても、自分のメッセージを届けることができるのです。
マスコミそのものを否定するものではありません。「文春砲」に代表されるように、執拗な取材に調査報道などは称賛に値するものであり、健全な民主主義のためにも不可欠ながら、それぞれの政治姿勢のために事実を曲解し、都合により評価を変えて報じる態度は、政治活動そのものであり、ならば同じ土俵に立つトランプに攻撃されるのは、むしろ「当然」だということです。
むろん、日本のマスコミ、とりわけリベラル勢力にも通じます。自民党が「選挙期間中の公平な報道」を申し入れたら、「報道規制だ」「言論弾圧だ」と色をなして騒ぎましたが、公平な報道は「放送法」の定めるところ。「交通ルールを守りましょう」と同じレベルの話し。
それに噛みつくとは「俺たちがルールを決める」という驕りであり、「俺たちは特別」という甘えに過ぎません。トランプを支持はしませんが、マスコミがマスゴミだったと次々と証明する快進撃は高く評価しています。