僕は誰のために戦うのか〜徴兵制を考えたあの日

 私が若者だった昭和時代の終わり。いまより「徴兵制」は身近でした。
 日教組をはじめとした左翼が元気で、ことある毎に不安を煽っていたからです。

 なにより「戦争を知る世代」が存命で、普通の若者が戦地に狩り出されたという話しは、毎年この季節になると、あらゆるメディアで報じられていました。

 さらに、戦争はもっとリアリティのある話しでした。
 米ソ冷戦下にあり、韓国は軍事政権で、フォークランド紛争もあれば、アフガン侵攻にイラン・イラク戦争もありました。

 そして私は「戦争に行きたくない」と願っていました。それを真剣に考えたのは、進路選択を迫られた中学三年生の今頃だったと記憶しています。

 殺されたくない、よりも、殺したくないと願ったのです。人道上ではなく、殺した敵兵に祟られることを怖れたのです。受験勉強からの現実逃避による、「中二病」だと言われればそれまでですが、戦場にいる自分を想像してみたからです。

 日ソ不可侵条約を破りソ連が侵攻してきたこと、そもそも大東亜戦争は追い詰められての自衛戦争だったと、父に聞かされ育った私は、回避できない戦争もあることを知っていました。

 最前線に配備され、構えた銃口の先に敵兵がいたら。僕は引き金を引けるだろうか。敵兵に家族がいて、病身の母親に、数多くの兄弟のために銃を持った敵にならば撃たれるのも仕方がない、などとセンチメンタルな想像をした刹那、

「それをどうやって確認するんだよ」

 と突っ込む自分が現れます。裕福な家庭に育ち、むしろ人を殺したくて、日本人を猿と考え引き金を引く敵に、むざむざ殺されるなどまっぴらゴメン。ならば、撃つ、撃たれる前に撃つ。

 一方で死んだら終わり。と考えるなら、殺す苦しみを重ねるより、すかっと殺されれば終わる、と提案をする人格もいました。自分があっさりと死を選ぶこととは、逃げではないかと反論も聞こえます。

 残された家族はどうなると呼びかけられます。我が家の恥をさらすようですが、中二の夏前に母親は多額の借金を残し蒸発しており、残るのは父親と姉と妹。マッチョな父親がいれば、姉妹の心配はいらないと即座にこの心配は解消。

 最後に脳裏をよぎったのはソ連兵による陵辱です。ソ連兵は、男は殺し、女は犯してから殺しました。

 さすが中学生。心配したのは家族より、初恋の同級生です。つき合うどころ告白もしていない片思いながら、我が身を呈することで、彼女を救えるのなら、と妄想します。

 そして決断します。徴兵制が敷かれたのなら、戦争になったのなら、彼女のために喜んで出征しようと。ま、妄想で終わったのは、世界が平和だったからで、その彼女を追い掛けて高校を選択するも、ドラマティックなことは何一つ起こりません。

 高校卒業後、育った街、すなわち彼女も育った街を離れてから数年後、その初恋の彼女の実家が、近所に引っ越してくると高校時代の同級生が教えてくれます。

 これは運命か。と思う自由は許してください。なにも起きずに、会うこともなく四半世紀が過ぎようとしております。男ってバカね。

 「国を守る」とは「愛する人を守る」ということではないでしょうか。8月15日が近づくと思い出す、青春のほろ・・・苦くて痛い記憶です。

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