リンチと推定有罪を容認するセクハラヤジ報道

 本稿はワールドカップ、日本・コロンビア戦の前に書き上げた原稿のため、最新情報と齟齬があった場合はごめんなさい。

 セクハラヤジをしていたオヤジ議員♪

 ラッパーを気取ってみました。ラップの世界では、韻を踏むことを「ライム」と呼びますが、「駄洒落」との区別がつかないオヤジ世代です。

 塩村文夏(あやか)嬢、失礼、都議へのセクハラまがいのヤジにより、我が国では「リンチ」と「推定有罪」が認められるようになりました。恐ろしい社会の始まりで、特定秘密保護法など、メじゃありません。

 まず、セクハラヤジオヤジ議員こと、鈴木章浩都議(大田区)の最大の失敗は事態を放置したことでしょう。失言系、セクハラ系は後手に回ると命取りになるという見本です。

「セクハラ発言は問題ではないのか!」

 という点については後ほど。

 政治ゲームとしてみれば、本件の意味するところは、都議会自民党の劣化です。早急に犯人を割り出し、あるいは人身御供を捧げて、謝罪をしていればここまで炎上することも、させることもでできなかったことでしょうに。

 猪瀬直樹前知事を追い込むこに前のめりになり、舛添要一という一番自民党が苦しいときに逃げ出した裏切り者を担ぐ羽目になったことと同じく、都議会自民党が政局を読む能力を喪失しています。

 多数派になった自民党の「奢り」を指摘する声もありますが、むしろ「奢り」なら救われます。それは能力の毀損ではないからです。

 都政を牛耳る最大会派から政治感覚が喪失していることを都民として嘆くのです。そして塩村あやか都議は、外国人特派員協会において記者会見をし、騒動を再生産し拡大し、世界に恥を絶賛拡散中です。

 文化レベルの低さという意味においては、台湾や韓国の議会でときおり発生する

「国会議員の殴り合い」

 と同じですが、まるでその武勇伝を、

「俺の右ストレートをお見舞いしたぜ!」

 と海外メディアに語っているようなものです。きっと米国版の「世界仰天ニュース」で紹介されることでしょう。

 いまのご時世「結婚」という二文字は、結婚情報紙の「ゼクシィ」以外が用いればセクハラと呼ばれます。セクハラとは受けとった人の胸先三寸で、わたしが会社勤めなら、極力女性と接点を持ちたくないと怯え震えていることでしょう。

 セクハラとレッテルを貼られれば、事実関係を問わずに社会的抹殺を意味します。こうした言論活動においての「表現の自由」すら超越するのが「セクハラ」なのです。

 それが証拠に、ニュースやワイドショーは「セクハラヤジ」一色です。時間を割いて懇切丁寧に鈴木章浩都議の抹殺を試みます。

 鈴木章浩都議を庇うつもりは毛頭ありませんが、惻隠の情、判官贔屓、むしろ単なる天の邪鬼だからなのか、「そこまで?」という疑念が浮かんで消えません。

「そこまで」の一例を挙げれば「時間を割くネタか?」ということ。

 それ以前の放送は見ていませんでしたが、2014年6月24日の「ミヤネ屋」は午後3時から番組終了まで時間を割いていました。

 さらに「報道なの?」という疑問もあります。

「早く結婚した方がいいんじゃないか」

 と、鈴木章浩都議(大田区)はヤジりました。

 いまの基準ならアウトではありますが、ヤジ主である鈴木章浩都議の事務所に生卵が投げつけられたように、物理的な威力を持った攻撃を、批判も加えずにニュースとして報じるほどの発言ではありません。

 そもそも報道機関は実力行使による攻撃について、理由の如何を問わずに批判的でなければならないからです。

 私などは集団的自衛権ではありませんが、侮辱した相手、被害を受けた直接の相手という限定下においての武力行使(拳骨、あるいは平手、時に蹴り)は、容認すべきという立場にありますが、現代的価値観において理解が難しいということは理解しています。

 ところが「生卵襲撃」を報じる際、暴力的行為という注釈もなければ、これへの警告などありません。つまり「セクハラヤジ事件」において、すべての報道機関は

“リンチ(私刑)を容認”

 しているということです。セクハラ発言をすれば、現行法を越えた裁きを受けるということです。抑止力としては面白いですが、法治国家ではありません。

 結婚発言については、自民党に傷をつけ、発言者という犯人捜しでひと区切りで、「再発防止」に時間を割くのは良いことにしても、執拗なる犯人捜しに首をひねります。

 まして同じ議会人である塩村文夏に自省を促すコメンテーターもいません。政局的に見れば、鈴木章浩の謝罪を持って、「手打ち」とすることで、大きな「貸し」を作るほうが、本来的な目的である

「政策の実現」

 も容易になる・・・と誰も指摘しません。あるいは鈴木章浩は都議をやめず、活動するというのですから、「次回選挙」のときに、塩村文夏にその資質があればですが、「刺客」という持ち駒になるという視点もありません。

 政治評論家を名乗る連中の底の浅さを再確認したことは、今回のヤジ騒動の収穫の一つではありますが。

 「セクハラ発言」と騒ぐ根拠として、女性の人格を否定したとか、侮辱したとあります。

「まずは、自分が産めよ」「子供を産めないのか」「子供もいないのに」

 とは毎日新聞にあった「ヤジ」とされるものです。セクハラとはむしろこちらのヤジでしょう。

 なかったとはいいません。しかし、「あった」という証拠は本稿執筆時の2014年6月24日午後3時50分現在見つかっていません。

 当該議会の中継をネットに見つけ、十数回繰り返し確認しましたが、某かの発言はあったようですが、「結婚」以外については、何を言っているのか聞き取れなかったのです。

 ところが「ミヤネ屋」において宮根誠司は「映像にはっきりと残されている」と断言したのは2014年6月23日の放送。探したけど見つかりません。ご存知の方がいたら教えてください。

 こうした事例において、ワイドショーでは「再現」をするのが通例です。声紋分析など得意技で、私などはいつ「日本音響研究所」の鈴木松美所長が登場するかを楽しみに待っていたほどです。

 あるいは、議場にいた自民党以外の議員のコメントを持って証拠とすることもあります。利害が対立する議員が耳にしていたなら、嬉々として取材に答えることでしょう。

 どちらにしろ「裏とり」と呼ばれる作業ですが、これらが報道に見つかりません。

 そこからこれが「報道なの?」という疑問が生まれます。

「結婚は女性の幸せ」

 が、死語になっていないのなら、「結婚」発言は個人差によるものであり、失言とは言え、社会的抹殺するほどではないと考えます。仮に塩村文夏議員が、現行法が認めない素養の持ち主なら、深く傷つけたことでしょうが、社会問題とまではいかず、結婚制度に疑問を抱くのなら主張をすべきです。議員なのですから。

 かような理由から「産めよ」が確認できない以上、公共の電波を1時間も割いて流すほどの「セクハラ発言」と断じることができない。というのが私の立場です。

 今朝の読売新聞では、塩村あやか都議が所属する「みんなの党 Tokyo」は声紋分析を諦めると報じていました。その後、東京MXのお昼のニュースでは検討しているとなりましたが、いずれにせよ、これらの結論が出るまで、「産めよ」というヤジの存在を発言しているのは

「塩村あやか、だけ」

 ということ。

「セクハラヤジは、ありまぁす」

 と、あのシーンがよみがえったことを告白します。

 鈴木章浩都議や自民党を見逃せと言っているのではありません。確たる証拠のない状態で断定することを恐ろしいと指摘するのです。

 我が国の法理は「推定無罪」であり、疑わしきは被告の利益のはず。また「議会」でおきたことで、だからこそ「品位」が問われ、処断されているのです。ならば「聞いたはず」だけで罪を確定させることもまた問われるべきでしょう。

 つまり「結婚」はセクハラ発言。
「産めよ」については「わからない」ということ。

 ところが「推定」という注釈すらいれずに「発言があった」という前提で批判が繰り返される、その姿はマスコミのリンチであり魔女狩りです。

 また、安倍政権という「強すぎる自民党」への代理戦争にも見えますが、ならば筋違いです。

 さらに、コロンビア戦を残しながら、日本代表がグループリーグでの敗退濃厚で、フラストレーションの矛先、本件にぶつけているとしたら、それを「八つ当たり」といいます。

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