消費税の転嫁拒否とは脱税である

消費税が8%となりました。既定路線とは言え腹立たしさが募ります。

多く税金を払うことへの怒りではありません。

「理不尽」

への怒りです。

そもそも消費税増税の目的は財政再建にあり、増大する社会保障費用を等しく国民で負担しようというものです。

ステレオタイプですが、国会改革も進んでいません。これは繰り返しになりますが、「定数削減」を求めているのではありません。むしろ定数は3倍増ぐらいがちょうど良いと考えています。

なぜか? シンプルです。

政治がダメなのは無能な政治家が多いから。それは選ぶ国民の劣化。つまり国民の選択眼が曇っているか、国民レベルの低下で、顕著な例は参議院議員 山本太郎の存在が雄弁に語ります。

マッチョな100人を集めてようやく成し遂げられる仕事を、貧弱な「もやしボディ」で達成するには、マッチョの数倍を動員するしかないという結論です。

無能な政治家を選ぶ国民だとしても、数の力で改善が期待できますし、なにかの間違いで、有能な政治家が紛れ込む可能性もあるからです。

国民負担の軽減策なら簡単。議員歳費や政党助成金を削れば良いのです。これまた単純に総額を半分にして、議員定数を倍にすれば、国会議員ひとりあたりへの年間支出は、文書通信費や秘書給与などの諸経費合わせて1億円ほどなので、半分の半分でも2500万円です。

秘書の給料はここから支出するか、ボランティアに頼るのはどうでしょうか。政治の裏側から聞こえてくる秘書の仕事は

「選挙対策」

とあり、ならば公費を使っての選挙活動は、国民間の被選挙権の行使における著しい不平等です。

立法調査費や、交通費がなければ政治活動ができない! といけしゃあしゃあと言う輩もいるでしょうから、彼らのために「実費」を認めてはどうでしょうか? 領収書を添えて提出することで、毎月毎に清算する仕組みです。民間企業では当たり前のことです。

さらに踏み込めば、政治活動に関する費用及び、生活費のすべてを国費で賄うこともやぶさかではありません。ポイントは「選挙活動費用」と切り離すところにありますが、政治家、とくに国政を目指すものは

「プライベートなどない」

とすれば、本当に覚悟のある人間だけ立候補するので、優れた人材が現れる可能性も生まれます。

プロ市民など、イデオロギー色の強い政治家ばかりになる。という懸念もあるでしょうが、この日本国においては杞憂です。名前は挙げませんが、地元の赤い政治家は、3階建ての豪奢な新築物件を自宅兼事務所としています。

左傾の人は、彼らの言うプチブルが多く、本当の貧乏にまみれることは少なく、またヘルメットにサングラス、マスクやタオルで顔を隠すことを活動の基本とする彼らは、プライベートが公開されることを極度に嫌うので、そもそも選挙にでてこないのではないでしょうか。これは「ネトウヨ」にも通じます。

もちろん、これらは極論です。ただし、政治家が身を切らずに増税だけが実施された「理不尽」は厳然たる事実です。

また「社会保障費」についても踏み込んでいません。

年寄りが増えるから社会保障費が増える。本当でしょうか?

先日・・といっても結構前ですが、パチンコ屋に足を運ぶと

「ウルトラマンタロウ」

をモチーフにしたパチンコ台がありました。わたしのファースト(最初の)ウルトラマンはタロウで、最終回、人間の力だけで倒そうとする姿にワクワクしましたが、そもそもウルトラ兄弟に助けられまくるという最弱ながらも、プリンス(ウルトラの父母の長子という設定)という特権階級に苛立ったことは小学校高学年になってからとは余談。

そこで名古屋章氏が演じた(と、思われる。パチンコ台は実写風のイラスト)「朝日奈隊長」が42才だか43才(一瞬みただけなので間違っていたらすいません)で、わたしと同年輩。

貫禄のなさに反省しきりですが、アンチエイジングと掲げるまでもなく、大半の現代人は昭和40年代の同世代より若いことに異論はないでしょう。

染髪や化粧技術ではなく、医療技術はもちろんですが、栄養状態の向上と、医学知識の普及が果たした役割は大です。

ドラッグストアで購入できる大衆薬の普及や、サプリメントが背中を押します。医療技術を除けば、みな「民間」で、社会保障費に含まれません。

税制破綻と民需の拡大に二者択一なら、迷うことなどないでしょう。

“増税しなければ高齢化により増え続ける社会保障費で財政破綻”

これが消費税の税率を上げるときの説明です。それではこれはどうでしょうか。

“ドラッグストアで発売できる大衆薬、およびサプリメント(特保を含む)の拡充により、国民健康を維持しながら、社会保障費を削減し、同時に「薬販」による民需を拡大する。その上でも不足する費用を増税で補う”

どちらを国民が望むでしょうか。

一例を挙げましょう。

高血圧症と認定されると生涯くすりとつき合う生活になるといわれています。改善により薬の量を減らすこともあるようですが、基本的には通院を義務づけられ、薬は処方箋を必要とし、30日分を処方する医者もありますが、多く聞くのは2週間分です。

すると年52週として、26回の診察費が発生します。

医者「具合はどうですか?」
患者「変わりありません」
医者「それじゃあ、いつものお薬だしておきますね」

という会話だけで診察料という医療費が発生します。国民負担は3割ですが、残りの7割は国民保険が支払います。

神戸大学病院の勤務を名乗る医者のブログによると、世界で最も使われている高血圧症の薬は、

“フルイトラン1mgの薬価は9.6円。最大量の8mgを使っても100円にもなりません”

≪「本当に」医者に殺されない47の心得 [心得13] 高血圧の治療薬 そのいびつさより
http://goo.gl/JPgJH4 ≫

とあります。

仮に高血圧症の薬が、街のドラッグストアで発売できるようになれば、まず診察費が不要となります。ブログで紹介されているのは薬価で、3割で購入できていた薬が、全額自己負担になれば3倍強になりますが、市場原理に任せれば「工業製品」のように製造される薬の価格が下がるのは自明です。

そしてすべての高血圧症と診断された患者をドラッグストアへというのではなく、患者自身に選ばせれば良いのです。また、なにがしかの医者の治療により改善が見られる場合や、慎重な観察・・・毎日や数日おき・・が必要な患者まで民間に任せろというのではありません。

ある意味、症状が「固定化」し、生活習慣の改善などにも積極的に取り組んでいる「優等生」に対して、「診察費」と「診察時間」の負担軽減というご褒美を与えるということです。

それでも心配なら、ITを駆使して、ネットワークに接続する血圧計と連動するなど、かつては想像もできなかったような方法は幾つもあるなか、20世紀のように患者に足を運ばせて、わずか3分にも満たない診察という名の医者のご託宣(処方箋)を賜るだけの儀式に国費が投じられ、その負担を消費税の増税で賄うという発想が理不尽だというのです。

それどころか薬のネット通販に対して、規制をかけるという逆方向にまで走りながらの増税です。都市のようにドラッグストアが倒産するほどあるのならば、店頭販売の堅守が国民にあたえる負担はそれほど多くありませんが、出店すれば赤字が確実な地域にとって、ネット通販はライフラインといっても過言ではありません。

はたして医療費の抑制に政府は何をしてきたのでしょうか。

さらにです。今回の増税にあわせて

「税別表示を特例として認める」

と財務省は寝言をいいます。

何かと言えば2004年から財務省は、支払総額の表示を「義務」でづけました。理由を財務省のホームページに訊ねます。

“それまで主流であった「税抜価格表示」では、レジで請求されるまで最終的にいくら支払えばいいのか分かりにくく、また、同一の商品やサービスでありながら「税抜価格表示」のお店と「税込価格表示」のお店が混在しているため価格の比較がしづらいといった状況が生じていました。
消費税における「総額表示方式」の概要
 http://goo.gl/fk4mHW ≫”

メルマガを始めた初期のころ、激しく批判した記憶があります。なぜなら「価格が比較しづらい」という不満は、小売りの現場でそれほど多く聞くものではなかったからです。

なぜか? 現場を想像すればわかります。

「税込み表示で安さを主張する店は、税込みをより強調する」

からです。当時はレジで消費税が加算されることは当たり前で、1個10円のガムを、小学1年生ぐらいとみられる子供がコンビニで、ひとつずつレジに持っていき支払っていたのは、2個同時に買うと1円の消費税を支払わなければならなかったからです。

10円×5%=0.5円 切り捨て
20円×5%=1円 課税・徴収

小学校低学年ですらわかることで、「比較しづらい」とはおかしな話しというより、嘆くべきは「学力低下」ではないでしょうか。ちなみに当時は「ゆとり教育」ですが。

比較しづらい、総額が分からないという声もあったことは事実です。それは「分かりづらい表記」により、客を誤誘導、優良誤認させようとした業者の罠であり・・・告白すれば広告テクニックのひとつでわたしも手を染めたことがあります。

ただし、真っ当な業者なら、客からクレームがはいれば、手段を改め「わかりやすさ」を優先するために、利益を削り「総額表示」へと切り替えたものです。こうした「グレー」な手段はレトリックを駆使するディベートに似ており、わたしの得意とする分野ですが、お客様に恵まれたお陰で、指の先ほどの汚れですみました。

残念ながらこれもデフレを加速させ一つの理由で、さらに、財務省による「義務化」が拍車を掛けたことを彼らは認めません。

小売りや消費の現場を知っていれば、このタイミングで増税をすることなど愚の骨頂で、せめてベースアップを体感した大企業の社員が、夏のボーナスで駆け込み需要を踏まえるまでの半年間、延期すべきだったのですがアフターフェスティバル。

そもそも論に戻れば、総額表示のお触れを堕したのは2004年とは平成16年。消費税は平成元年より導入され、亡父の葬儀は元年の7月末で、葬儀屋が申し訳なさそうに

「葬儀費用の合計に3%の消費税がかかります」

と電卓をたたき、

「死・・・消費、税」

と悲しみの中、ブラックジョークを閃いたのは18才のわたしです。

つまり15年ものあいだ、国民は「税別」になれていたのです。また税込み、税別の表記により致命的なダメージをうけた話も耳にしません。

それでは総額表示を「義務」づけたかのか。財務省は先の曖昧な表現で義務づけました。具体的事例をもって説明をしていません。どれだけ国民の不便、不満があったかも記されています。さらに先のサイトを見ると「馬脚」が簡単に見えます。財務省は国民を馬鹿だと思っている証拠がコチラ。

“「総額表示」の実施により、消費者は、いくら支払えばその商品やサービスが購入できるか、値札や広告を見ただけで簡単に分かるようになりますし、価格の比較も容易になりますので、それまでの価格表示によって生じていた煩わしさが解消され、消費税に対する国民の理解を深めていただくことにもつながると考え、実施されたものです。 (同)”

まず、日本語の文章として成立していません。みっつの論旨がひとつにまとめられているからで、国語のテストなら落第です。

1:「総額表示」の実施により、消費者は、いくら支払えばその商品やサービスが購入できるか、値札や広告を見ただけで簡単に分かるようになります

2:価格の比較も容易になりますので、それまでの価格表示によって生じていた煩わしさが解消され(ます)

3:消費税に対する国民の理解を深めていただくことにもつながると考え、実施されたものです

括弧内は私の加筆。1はそのままわかります。2で怪しくなります。「それまでの価格表示」と、一括りにしていますが、分かりにくい・不便という底意のあるプロパガンダです。税抜きどうし、税込み同士の比較なら、なんら煩わしくもありません。

隣接するスーパーマーケットに代表される小売店は、市場原理により税込みか、税抜きのどちらかに統合されていっていたので、義務として縛り付けるほどではなかったのです。

そして「馬脚」が3。総額表示により「消費税」は見えなくなります。レシートなどに表記されることはありますが、それをチェックする人は少数派・・・という前に、

「消費税に対する国民の理解を深め」

ることが目的なら、税額を明記し、消費のたびに意識させなければなりません。言うなれば、タバコに記載された

「喫煙はあなたの健康を損なうリスクがあります」

という啓発と同じです。ところが総額表示により国民の目から「税額」を遠ざけます。しかも消費税に対する国民の理解を深めるというのは「考え」に過ぎません。

結論を述べれば「失敗」です。

総額表示の義務化からちょうど10年が経った、今回の消費増税でも「駆け込み需要」があったのは、その証ですし、また増税分の転嫁を認めない大企業や発注主の存在が確認され、それを摘発するための「転嫁Gメン」の任命が必要であったのは

「消費税への理解」

が進んでいないという結論です。つまり「総額表示」というのは、財務省の失政だったのです。失政は改めなければなりません。

そもそも当時から巷間語られていたのは、

「国民の納税者意識を希薄化させる目的」

でした。細川の馬鹿殿からはじまった政界再編新党ムーブメントのなれの果ての民主党の躍進と、対抗勢力としての小泉純ちゃん(もう政治的影響力もないだろうとタレント扱い)により、政治がワイドショー化した時代。

宇宙人や超能力を扱っていたテレビ朝日の「TVタックル」が政治を積極的に扱うようになった時期で、レジに並ぶたびに消費税を払っていたことも手伝って、国民の目が政治に向けられ、無駄遣いにも厳しく、財務省としては悲願である「消費増税」のために打たれた布石が「総額表示」というものだったのです。

この「噂」が事実なら、財務省の狙いは的中したといってよいでしょうが、国民をこれほど愚弄する話しもありません。そして残念ながらこちらのほうが真実とみるべきなのが、今回の増税に際して、「特例」として、平成29年(2017年)まで総額表示の義務を外していることです。

消費税への理解が進まなかったという結論を前にしても、総額表示を堅持しようとするのは、更なる増税に向けての財務省の揺るぎない覚悟の馬脚です。

増税を転嫁できない・・・そこで転嫁Gメン。馬鹿でしょ。そうではなく「インボイス方式」のような事実上の「税別表記」こそ義務づけるべきなのです。

さらに踏み込み、それこそ「特例」で、増税分を拒否するなり、値下げを迫った企業や個人(商店だけでなく、担当者という意味で)を

「脱税」

でしょっぴけば良いのです。

マスコミ報道を見ても、この数日間は「いつ、上がる」「どうする」という報道ばかりでしたが、消費税は税金です。性格はそれぞれながらも一括りにすれば、所得税や住民税と同じです。そしてその転嫁を拒否するとは「脱税」なのです。

転嫁拒否とは脱税である。

この「当たり前」に踏み込めないのは、報道機関がお世話になっているスポンサーさまが「脱税犯」だからです。

わたしは消費税やその税率変更そのものに反対という立場ではありません。ただ、あまりに粗忽であり、理不尽の多さに苛立っているのです。

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