本日の産経新聞「金曜討論」に掲載されました。SNS規制についてコメントを求められたもので、記者は午後2時30分に来社し、午後6時までのロングラン。というか、掲載された内容は、ほぼ30分で終わったので、残りは雑談、もとい情報交換。
こぼれ話をすると、もともとの企画は「プロ野球 巨人軍の新人SNS規制」について、わたしは反対の立場から論じてくださいというもの。お相手の田中辰巳氏は賛成の立場で、面識はありません。
記事として仕上がると、朝日と産経、右翼と左翼の対立のような討論になっていないのは、両社共にSNSのリスクに正しく目を向けているからでしょう。田中氏の主張はもっともな正論というか正攻法。わたしはもう少し残酷に、人間の現実、「人は愚か」という立場からのコメント。
おまえは賢いのか! というツッコミにはこう答えます。あなたと同じくらいは。そもそも愚か以外は賢いというのも愚かな発想で、人間社会に存在する「ちゅうくらい」をみていません。先の質問に正直に答えるなら、わたしは愚かさを抱きしめて生きています。いつか賢くなれれば良いなと研鑽しながらも。
SNSに監視が必要というのは、ネットリテラシーや社会的な立場をはぎ取った自分なら、バカッターを「やるな」という確信があるからです。さらに「若さ」というファクターが加わればエネルギー充填120%の波動砲状態です。古代進のトリガーよろしく、スマホをタップして世界にバカを拡散することでしょう。
さらに「マニュアル世代」のはしりで、指示待ち世代も見てきましたし、過剰な権利保護へと移行してきた流れからの必然が「契約」や「規制」ということ。
奇しくも田中氏と同じく「差別」について語っていますが、本稿ではカットされている箇所を、記憶を頼りに再現します。
“差別って私たちの世代はピンとこないんですよね。差別が残っている地域もあるのかもしれませんが。エタとかヒニンって言われても分からなくて、というか中学時代の担任がちょっとした生徒のイタズラに、生徒がひくほど過剰反応し、この出身だと「カミングアウト」しましたが、その教師を侮蔑したのは個人への評価であり、差別が理由ではないんです。いまはさらに世代交代しているので、差別意識の希薄さから差別用語をうっかりつかってしまう可能性もあるんですよね。たとえば「バカチョンカメラ」の「チョン」って、朝鮮人の蔑称の「チョン」ではなく「ちょんと押す」という意味ですが、言葉狩りにあって使わない方が望ましいとされているように”
エタもヒニンも差別用語となっていることは理解していますが、かつてこういう表現が使われていた事実を封印することは歴史の改竄で、中国や韓国、そして米国の得意技で、わたしの不得意とするところですスイマセン。
こぼれ話に戻せば「天皇陛下」のくだり、原文というか現場では「山本太郎」と実名です。前後しますが長嶋茂雄さんの例には、対として「王貞治」さんをだし、ツイッターは似合わないとしています。
ついでに野球選手全般のSNSとして、ダルビッシュ有についてもふれております。ネットではダルビッシュ有選手のツイッターへ、親近感が湧くという声の一方、「小物感」を覚えるという意見もあります。両社は表裏一体ではなく、人間性によるものでと先の長嶋茂雄さんを引き合いに出します。
そして「そもそも」と話題はダルビッシュ有へ。
“ドラフトの目玉になったとき「メジャーには行かない。むしろ日本のプロ野球はすごいと思わせたい」というような発言をしておきながら、いざとなればさっさと渡米し、そもそも高校在学中の18才で喫煙パチスロを写真誌に撮られる過去を持ち、本人とは無関係ながら弟は自宅で暴行を加えた相手を、わざわざ大阪湾に連れていき海に放り込むというヤンチャぶりで、彼自身にしても流す浮き名の数々からも、スーパースターというには無理があるキャラ。それを好きという人もいて、その人向けのチャネルとしてのツイッターという位置付けもある”
と。
記事の内容以外は、差別用語以上に公開できないネタが多いのでこれまで。
ちなみに写真撮影があると聞いていたので、前日に髪を切ったことが裏目にでたことも非公開情報です。そのくせ撮影されることを忘れ、深酒して目が腫れていることも秘密です。