法治国家の言論機関でなくなった「産経新聞」

 バス通りに面しながらも人の往来がまばらな通りにある「薬局」が特売と張りだしていました。

 それを見た妻が、「珍しい」とつぶやきます。

 すかさず、以下の論理展開でたしなめます。

1:通常営業における「特売」を始めたのは薬局
2:トイレットペーパーやティッシュペーパーが「客寄せパンダ」
3:店内に招き入れ「ついで」に胃薬などを買わせる狙い
4:価格変動が少なく季節要因に乏しい薬局の苦肉の策(花粉症が騒がれたのは比較的最近)
5:対する八百屋、魚屋は「旬」による特売が自動的に発生
6:また、ドラッグストアは特売をしている
7:そもそも「マツキヨ」は薬局

 妻が感じた「珍しい」とは個人商店の取り組みになのでしょうが、マツキヨやダイエーが急成長した時代は知らないにしても、すべての商店が特売に追い立てられた「デフレ経済」で、広告屋としてそれを煽ったものとして、歴史修正主義者は例え妻でも許せなかった・・・とは大袈裟ですが、特売は是非と善悪を含めながら、健全な市場経済がある証拠のひとつです。

 日経平均株価は2万円にソフトタッチしたように、日本経済全体は復調の薄日が射しつつあります。また、昨日は産経新聞前ソウル支局長 加藤達也氏が無事帰国しました。邦人保護から喜ばしい限りです。

 言論の自由から喜ぶことがないのは、言論の自由を認めない韓国への主権侵害になるからです。こちらの法律と、あちらのそれが違うのなら、「渡航禁止」レベルの危険地帯と認識するのが自己責任です。

 言論の自由とは万国共通ではなく、日本の近隣国は、世界で類を見ないほど、この価値観の少ない国だという発信は、国策として続けなければなりません。

 また、ソウル中央地検は、加藤氏の母親が病気であることや、家族と長期間離れていることから

「人道的に配慮した」

 と強調したとする現地報道が、今朝の産経新聞に紹介されていましたが、やはり北朝鮮と地続きであり同胞なのでしょう。

 拉致した人間の解放は当然のことで、条件を出せるはずもなければ人道的など論外で、事実上の軟禁である出国禁止に人道を語る資格はありません。

 手続き上の処理で、出国禁止を解除したのなら、曲がりなりにも「法治国家」ですから、「人道」と強調するのもおかしな話し。朝鮮半島と接するとき、北でも南でも、日本にある「法治」の精神はないと確定して間違いないでしょう。

 タイミングについて対米関係、対日関係(この順番でしょうね)に配慮したという指摘が多く、それも一因でしょうが、明日4月16日に控えた

「セウォル号事件」

 から一年を前に、韓国の異常さを少しでも減らしておきたいという「体面」があったと私は睨んでいます。

 そんな国から加藤達也氏が帰国する前に印刷された、昨日の産経新聞朝刊に不思議な記事を発見しました。

“酒の激安 「待った」”

 原価割れの激安に歯止めをかけるために、自民党議員を中心とした議員立法で法律を作ろうというのですが、その目的に論理的説明がありません。

 いや「政治屋」のやることに、つねに論理的整合性のある説明責任が求められるのなら、我らの安倍首相が、靖国神社の春の例大祭に参拝しないと、いち早く表明したことや、ちぐはぐな経済政策に、亡国な発言の目立つブレーンを取りそろえているところはもちろん、あの大阪の大将の、その場限りの詭弁の垂れ流しが許される訳がありません。

 あえて擁護するなら「人間なんて」と吐き捨てるほどの「人間臭さ」も政治屋の持ち味のひとつでもあり、必ずしも論理的である必要はない・・・程度問題ですが。

 だから、政治屋の提出する議員立法に、論理的整合性がないのはいつものことと溜息で流すにしても、産経新聞が

「一面トップ」

 で報じたことに首をかしげます。「法治国家」にも2種類あり、民主主義に基づく法治と、一党独裁も含めた支配者に都合の良い法律を乱造する法治です。形式上はどちらも同じですが、中身は正反対のものであることの説明は不要でしょう。

 産経新聞の記事は、掘り下げが足りず、事実の紹介もなく、まるで懇意の政治屋のいいなりにでもなったかのようで吐き気がします。まるでソウル地検です。あるいは中国共産党の機関誌です。

 激安に歯止めをかける理由としてこう紹介します。

“酒類の不当廉売に対する申し立てや苦情は、「他の物品に比べて群を抜いて多い」(自民党議員)ことから、酒税の円滑な徴収が阻害される恐れがあるとして、法改正に乗り出す。(産経新聞 2015年4月14日付)”

 こうした記事の場合、申し立てや苦情の「主」に当たりコメントをとる(裏とり)のが民主主義国家の新聞記事です。ネットニュースなら、片方からの主張を鵜呑みにして垂れ流すのもご愛敬ですが、議員からのコメントしかとっていません。

 また「群を抜いて」とありますが、比較対象が示されていなければ、事実ではなく主観の可能性も否定しきれません。

 そもそも論でおかしいのが、不当廉売の苦情と、酒税の円滑な徴収の間に因果関係も相関関係もないからです。私の記憶が正しければ、「酒税」とは「蔵出し税」と呼ばれるように、ざっくりといえば「出荷時」に発生する税金です。

 つまり、蔵元やブルワリーが負担するもので、卸しも小売りも、消費者も関係がありません。

 また、「負担」としましたが、実際には価格に含まれるので、必要経費であり、どちらかといえば「原価」です。

 つまり二重課税です。

 蔵出しの時点で課税され、課税額を加算した商品価格をもとに「消費税」が課せられるのです。日本の法律では二重課税は禁止されており、いわゆる西側諸国が主導するルールでは排除を目指しているものです。

 円滑な徴税どころか、不当な徴税が見逃されているのです。そしてそれに触れない議員と、産経新聞の記事に財務省の影を見つけますが、まるで韓国です。法治国家ではないという意味で。北朝鮮や中国とするなら、権力に都合の良い法律が乱造されるという意味での「法治国家」となりますが。

 朝日新聞的な「角度」と「狡猾さ」を見つけるのは、その前段です。

“大規模量販店やスーパーマーケットでは、特売の“目玉商品”として、通常の小売店の仕入れ値以下の価格でビールなどを販売するケースがある。度を越えた廉売により、値引きを強いられる卸売業者や、競合する一般の酒販店などの経営が圧迫されるケースも少なくない。(同)”

 前段で紹介することにより、「群を抜いた苦情の主」を明記しないまま、卸売業者や酒販店だと錯覚させるのは、朝日新聞がよくやる記事の書き方で、追究されたとき「明記していない、書いていない」と言い逃れする卑怯者の所作です。

 仮に産経新聞が「保守」として、日本的価値観を大切に考える新聞であるなら、卑怯者の手法を真似するとは言語道断です。しかも、新聞の顔である一面での掲載です。

 ただし、これは実際の小売りの現場を知っていれば、捏造レベルの権力に迎合した提灯記事とすぐに気がつきます。

 大規模量販店やスーパーマーケットで「目玉商品」になるのは、ビールや発泡酒、第三のビールだけです。それは消費量と単価の高さによります。

 日本酒に焼酎、「マッサン」人気でウィスキーも復権していますが、日本酒や焼酎は最低でも十数度、ウィスキーなら30度以上のアルコール度数で、毎日や毎週の特売に適するほど消費されないのは、日本人がそれほどお酒に強くないからです。

 ビールなら高くても6%で、主流は5%ほどで、350ml缶で発泡酒なら100円から、ビールなら180円ぐらいで、一升瓶換算で5.1本。

 一升1000円ほど安い日本酒なら、ほぼビールの特売と並びますが、日本酒のアルコール度数13度とすれば、ビールの倍以上酔える計算で、その分だけ特売できる回数が減ります。

 量販店にしても特売を繰り返すことで、客数を維持している面があり、日本酒を特売にすると「回転数」が落ちてしまうのです。

 そして「目玉商品」には「ナショナルブランド」と呼べる知名度が必要です。カップ麺なら「スナオシ」よりは「カップヌードル(日清食品)」で、缶コーヒーなら「サンガリア」ではなく「ポッカ」です。

 広告は耳目を集め、客に足を運ばせるためにあり、やはり「名前」が必要ですし、同時に「数」も必要で、名店の逸品であっても「数量限定 各店2個」では客を呼ぶのは困難。記事が設定する店舗とは「大規模量販店やスーパーマーケット」です。

 余談ながら、スナオシやサンガリアの商品のすべてが「不味い」というのなら、どのメーカーも同じです。切磋琢磨し、極論すればパッケージぐらいの差しかないのですから。「旨い」と表記しないのは、私の率直な感想で、それはカップヌードルに対しても同じです。「カップヌードル味」として求めることはありますが、それは習慣であり、「味」ではありません。
 
 名前が浸透し、数も確保できるビール(類)。となると、必然的にアサヒ、キリン、サッポロ、サントリー(アイウエオ順)のどれかとなり、これらのメーカーが出荷時にかかる「蔵出し税」を支払えないとなれば、それは「倒産」するときです。

 倒産となれば一大事ですが、サントリー以外は上場企業で、倒産する前に株主の突き上げを喰らっていることでしょう。

 ちなみにサントリーは、子会社だけが上場していますが、「プレミアムモルツ」で大ヒットを飛ばすまで、赤字続きだったビール事業を継続できたのは非上場企業だったからです。

 量販店における特売で、「酒税」が影響を受けることは皆無と言って良いのです。政治屋のコメントは論外とは言え、それを垂れ流す産経新聞に呆れます。

 確かに仕入れ値以下での販売は「不当廉売」に抵触するでしょう。それにより、値引きを強いられる卸売業者もあれば、地域の小売店の売れ行きが鈍ることもあるでしょう。

 しかし、それは「酒税の徴収」という「国税」の、すなわち「財務省」の領域ではなく、公正取引委員会や経済産業省に、拡大解釈しても消費者庁の仕事であり、実際に「国税庁」のホームページでも「公取委」の仕事と説明しています。
http://www.nta.go.jp/shiraberu/senmonjoho/sake/qa/12/49.htm

 こちらのアプローチから不当廉売の撲滅を報じるなら、論理的な整合性は実現し、社会正義にもつながることでしょう。かつて岡田克也民主党代表の実家が創業した「イオン」に対して、三菱食品、伊藤忠食品、日本酒類販売の三者が、原価割れでビールを販売していたことを公取委が警告した事例もあります。

 こちらを強化するのではなく、あらたな法律を作るということは、国税が直接乗り込める「武器」をひとつ渡すことになります。そこには自由な経済を歪めるリスクがあります。

 語弊を怖れずにいえば、多くの官僚組織は計画経済や統制経済をやりたがっているからです。イデオロギーからの活動ではなく、「役所仕事」を最適化した先に待つ結論です。

 彼らは不合理で、不経済でも、原理原則を優先し、行動を裏付けるのが「法律」であり、法治国家としては健全な姿ではあります。だからこそ、極力、市場経済に官の介入を許してはならないのです。

 先の卸し各社が、イオンへ不当廉売していたとしても、非上場の日本酒類販売を除けば、みな上場を維持しております。ビール(類)以外のイオンとの取引で「利益」がでているからと考えるのが自然です。

 ならば市場経済として成立しているということです。

 街の酒屋は苦しい・・・とは耳にしますが、その理由は量販店が特売するからでしょうか。

 確かに量販店が登場し、その後、デフレ経済に突入する前、ビール会社が提示した価格で販売されていました。しかし、市場経済の原則からみれば、どこの店で買っても、同じ値段のビールの方が不健全です。ウォッカを統制するロシアではないのです。

 ならば、この仮説も浮かびます。

「昔ながらの商売のやり方のままで、それなりに儲けたい」

 こんな酒屋を政治が守る必要があるのか、疑問です。

 確かに酒屋は減っています。一方で生き残っている酒屋は、大手コンビニのフランチャイズに参加しないまでも、多様な商品を扱う「コンビニ化」により利便性を高めています。

 地元の話しで言えば、舎人団地(都営団地)のすぐ側にある「酒のすぎさき」は、雰囲気こそコンビニのようですが、酒や焼酎の品揃えを充実することで差別化を図っていますし、元は鹿浜にあった日本酒をメインとした「柿沼」は、上沼田交差点そばの環七沿いに店舗を建てて千客万来です。

 「柿沼」はビールを取り扱っていません。人づてに聞いた話では「儲からない」からだそうです。我が国では、儲からない商品を扱うことを強制されません。いつもは平日に立ち寄るのですが、うっかり土日に足を運ぶと、うんちくが好きそうな客で溢れかえっています。酒は理屈で飲むものではありません。腹一杯飲むものです。

 他にも竹ノ塚駅から徒歩3分ほどのところにある「森田屋酒店」は、店主が酒蔵に足を運び、「酒造り」までしています。

 これらを「経営努力」と呼びます。

 イオンやイトーヨーカドーが地域経済をガタガタにする面はあり、この対応に政治が汗を流すことに反対はしません。また、報道機関が社会正義実現のために、弱者救済にペンを取ることも必要でしょう。

 しかし、その方法は国税庁に力を与えることではありません。あるいはこの記事が、すべてを理解した上での「確信犯」や「共犯」
であるなら、権力におもねる産経新聞のその姿は、韓国のそれと同じで、其の先にまつのは「言論の自由」の制限であることは、帰国した加藤達也氏に尋ねるまでもないでしょう。

 安倍政権誕生以降、権力のポチと左翼が罵倒する陣営の、読売新聞は一日遅れでこれを報じます。

 このズレから、産経は「スクープ」として報じたのでしょうが、政権側の御用記事のためのリークなら、報道機関ではなく、それこそ左翼・リベラル陣営が批判する「大政翼賛体制」であり、言論機関としての死を意味します。

 そして読売新聞ですら逆らえないのが財務省であるのは、国税庁という獰猛な忠犬を従えているからですが、しかし、報道機関としての矜持を見せているのは、

・小売価格の上昇につながるのではないか
・それによるアルコール離れが市場を縮小させないか
・規制緩和の流れに逆行しないか
・財務省によるルールは機能するのか、市場原理を損ねないか

 といった「懸念」を添えていることです。

 どうした? 産経新聞。好きだからこその苦言です。

 言論機関として、正しい方向と信じる政権を応援することは、決して間違っていることではありません。「是々非々」には是が含まれているのですから。しかし、権力におもねることではありません。

 さらにいえば、いま「豆腐」「もやし」「卵」の生産者は、小売りの値下げ圧力と、値上げを許さぬ恫喝に悲鳴を上げています。ビール以外にも販売する商材がある酒屋より深刻です。

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