ブラック企業のデフレ化の先にある未来

 株価の下落が止まりません(※本稿は600円以上下げた翌朝4時に起筆しております)。これもグローバル経済によるもので、TPPが締結されれば同じことが起こります。グローバル経済をひとことで言えば、

「弱肉強食」

 で、下世話な表現をするなら

「金持ち勝つ」

 の世界です。

 米国の金融政策、それに連なるヘッジファンドの動向で、新興国の経済など一瞬で粉砕できるのですから。もちろん合法的に。

 最近ではあまり聞かなくなりましたが、かつて「仕手株」という株価操作の方法がありました。ざっくりというと、狙いを定めた株式銘柄を買い上げていき、値動きに投資家が飛びつき、株価が上昇したタイミングで、売り逃げるという手法、その反対もあります。

 ネット取引が一般的になり、取引の速度が上がったことにより、噂に上る前に手じまい(取引終了)することから、聞かなくなっただけで、いまでも存在する手法で、これに風説の流布まで織り交ぜれば、違法性が高まりますが、株の売買だけなら罪に問うのは困難です。

 ものすごく単純なはなし、お金があればあるほど買い集めやすくなり、市場に及ぼす影響力が強まるということです。コネと人脈をフル回転してブームを作りだしたAKB48のようなものといえば理解が早いでしょうか。

 今年に入ってからの日本株の下落は、米国の金融政策の変更に伴う新興国市場の不安とともに、ヘッジファンドによる買い仕掛けの手じまいによる換金売りという見方があります。

 株式投資は一種の「賭場」ですから、負けて文句はいいません。しかし、グローバル経済のなかでは、圧倒的に有利なプレイヤーが存在し、いわゆる「競技」という意味においてのゲームでは、アンフェアな振る舞いも、「戦争」というニュアンスのゲームにおいては非難されることはないとはいえ、歯痒い気持ちを隠しきれません。

 陰謀史観にたてば、新興国の経済がどうなろうと、テーパリング(金融緩和の縮小)を粛々と奨める背景に、米国の説得にも恫喝にも応じない安倍首相の自信を裏打ちする「経済」への揺さぶりを掛ける狙いを見つけなくもありませんが、トヨタが史上最高益を更新したことに代表されるような好決算が続く中で、明らかに売られすぎな日経平均株価をみれば、これがグローバルスタンダードという名前の、

「新植民地政策」

 ということについてはまたいずれ。

 アクリフーズの「冷凍食品農薬混入事件」について、アクリフーズを「ブラック企業」と揶揄する声がネットに散見します。契約社員として働いた犯人 阿部利樹容疑者の時給が900円ではないかと、求人サイトの情報を元に議論が始まり、手取りは月額12万円前後と推定され「ワーキングプア」とし、アクリフーズがブラック企業と批判されています。

 以前にも触れたようにわたしは「ブラック企業」はないという立場に立ちます。

 労働条件改善を目的とした社会運動としての、シュプレヒコールを否定はしませんが、実態としては「ない」と考えるものです。ただし、暴力団や半グレなどと繋がりの深い「ブラック企業」は実在しますが、本稿においては過重労働を強いる企業を指します。

 結論を述べれば、過重労働を強いる企業はありますが、すべてを十把一絡げに「ブラック」とすると、問題の本質を見誤り、より危険な社会を招くということです。

 そもそも「ブラック企業」という言葉の定義は曖昧です。ウィキペディアの記述も確たるものがなく、


a)新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使い潰し、次々と離職に追い込む成長大企業を指す。(中略)

b)将来設計が立たない賃金で私生活が崩壊するような長時間労働を強い、なおかつ若者を「使い捨て」るところに「ブラック」といわれる所以がある。

※ウィキペディアより、段落分け筆者。原文はひとつの段落に納まり、外国における類似する単語を上げ、それとの違いを間に挟んで前後しております。

 まず、Aについては、過重労働などの雇用契約違反の企業は、新興産業でなくても存在し、成長していない企業でも起こっていることです。これは「成長企業」との対比において、

「労働者は搾取されている」

 という小林多喜二『蟹工船』的な印象操作です。次の「b」にある「将来設計がたたない」というニュアンスに沿うならば、発注先から不平等な契約を強要され、社員に過重労働を強いていながら残業代が削られる、中小企業の未来の方が「ブラック」です。

 そして労働者保護の観点に立てば、「若者」に限定しているのは片手オチです。むしろ選択肢が狭められる中年、高齢者の保護も誰かが叫んであげなければなりません。

 もともと「ブラック企業」という言葉は、ネットを中心に広まったスラングのようなもので、メジャーブレイクしたのは2008年の『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』の出版と、翌年の小池徹平主演による映画化です。

 ユーキャン新語・流行語大賞としては2013年のエントリーで、今野晴貴(こんの はるき)による『ブラック企業―日本を食いつぶす妖怪』から、彼が授賞式に出席しています。

 今野晴貴氏は若者の若者による労働環境の改善を目指す活動を、中央大学の学生時代からしており、若者に傾斜するのは彼の主張に引きずられてのことでしょう。

 するとbにおける「なおかつ若者」と特筆するところも頷けます。つまり、「ブラック企業」なるものは、若者を対象にしたときにのみ存在するということで、それは企業というより文化風俗の類に過ぎません。よく言えば初恋、あるいは失恋の恥を永遠と錯覚する思春期の思いこみに過ぎません。

 労働者が搾取されている。これは一面からみれば事実です。端くれながらも経営者のわたしが認めます。しかし、組織のために労働力を搾取するという構図においてはNPOもボランティアも同じです。

 一方で会社や組織があるから、個人が活躍できるというのも事実です。有名企業の「看板(名前)」はもちろん、積み重ねて得た信頼や、蓄積した経験などを社員が利用できるのは、NPOやボランティアも同じで、もっと単純に言えば「仲間の力」を利用できるのも会社や組織のメリットです。

 資本家が搾取する、社長だけが儲けている。

 これも否定しません。しかし、資本家、すなわち「株主」は、今年に入ってからの株価の下落で大損をするように、自分の資産を提供するリスクの対価として報酬(配当)を得ているのです。

 また、社長、とりわけ創業社長は、リスクを取って会社を興し、倒産の危機と日々闘いながら過ごしており、その報酬の多寡は個人の価値観で異なりますが、従業員と同じ給料で背負えといわれれば断るほどのプレッシャーです。

 そして現代日本においては、資本家にも社長にも誰でもなることができます。ミヤワキができたのだから、君にもできる、と、自己啓発のようなことではありません。1万円程度から購入できる上場株式もあれば、いまは資本金がなくても法人登録ができるのですが、より手軽に社長になりたいのなら個人事業主なら届け出だけでOKだからです。

 ここまで見てきたように、「ブラック企業」という言葉の定義そのものが怪しく、フワッとした風俗を表す言葉ではないかというのがわたしの主張で、だから「ブラック企業」は存在しないと結論づけますが、本質はこれから。

 過重労働や違法労働がないとはいいません。しかし、これらは若者に限定されるものではなく、というよりも、この風俗が若者を対象としているところに、問題の本質があるのです。

 先のウィキペディアの説明を再び引用します。


a)新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使い潰し、次々と離職に追い込む成長大企業を指す。

 先の今野晴貴氏などが標的とするのは、居酒屋のワタミ、ユニクロのファーストリテイリングなどです。

 ではなぜ、若者は大量に採用されるのでしょうか? 洗脳されているのでしょうか。騙されているのでしょうか。ゆとり世代はバカなのでしょうか。たぶん、違います。ゆとりでも詰め込みでもバカは馬鹿で、利口は利口、個人差です。いや、あとは「時代」という背景もあることでしょう。


b)将来設計が立たない賃金で私生活が崩壊するような長時間労働を強い、なおかつ若者を「使い捨て」るところに「ブラック」といわれる所以がある。

 応募する際に「将来設計がたたない賃金」を考えなかったのでしょうか。だとすれば、そもそもの計算能力に難アリです。ならば充分な賃金を与えても将来設計などできません。その能力がないものが、いわゆるブラック企業の募集に応募しているのですから。

 そして奴隷ではありません。そもそも日本では欧米、中華文明圏における「奴隷」の概念はありません。職業選択の自由が保障されている日本で、首に縄をつけ、手枷足枷で自由を奪われた上で、ワタミが働かせているのではありません。

 就職氷河期などで若者に不利な状況だったという議論はナンセンス。バブルが崩壊してから20年。不況が叫ばれるなか、それでも求人情報誌、サイトが無くならなかったのは、仕事はあったからです。

 ブラック企業なるものが生まれる理由は、ウィキペディアの説明にあるように、若者が寄らば大樹の陰を望み、成長しそうな企業に頼ろうという心根があるのです。

 グローバル経済が叫ばれる、つまりはエゲツナイ弱肉強食が常態化した現代の経済環境は過酷です。この共通認識は誰も持っていることでしょう。ところが大企業に入った途端、競争がなくなり、上司同僚が手と手をつなぎ、一列に並んで徒競走のゴールへ向かうと考えていないでしょうか。

 不安定な時代だから、大きな企業の方が安心できる。それは短絡過ぎます。大きな企業には社内にも熾烈な競争があるものです。そこで勝ち上がらなければ、社内での地位の安定もありません。

 この当たり前を置き去りにして、大企業に入社すれば老後まで安泰と夢見ているなら、どんな職場でも地獄=ブラックの評価となることでしょう。

 ワタミやユニクロを擁護しているのではありません。どちらの創業者も「競争」を是とすると広言しており、彼らを持ち上げる提灯記事でも番組でも、創業者による書籍を読んでも、過重労働の片鱗はちらばっていますし、なによりどちらも店に足を運べば、

「好きでなければやってられない」

 種類の労働だとわかります。

 この2社に限って言えば、時代の変化も見逃せません。かつて居酒屋とは「水商売」。酔客相手の立ち仕事で、世間の目は冷たく、我慢の分だけが時給が高いバイト先のひとつでした。また、ユニクロの仕事は、テーラーの仕立て職人ではなく「売り子」に過ぎず、どちらも大学を卒業してまで就く職業ではないと、昭和の時代ならいわれていました。

 これらの商売を蔑むものではありませんが、どちらの仕事も求められるのは現場の知識で、一般教養ならば中卒程度で充分で、わざわざ「学士」は必要がないということです。

 仮にユニクロに望んだ仕事が「売り子」ではなく、デザインや開発だったとすれば、より時代の変化となります。デザインの世界も、飲食の世界も「駆け出しの小僧」は薄給激務が常識だったからです。

 つまり、繰り返しになりますが、

「好きでなければやってられない」

 から、伝統的に「仕事が好きな人」が働くというのが前提条件となっており、過重労働も超過勤務も、この発想が前段にあるのです。

 語源と言っても良い『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』のブラック会社とは、主人公が勤務するソフトハウスです。

 そしてソフトハウスは伝統的に、いわゆるブラックな企業がたくさんあります。わたしが社会人となった平成元年当時でも、40日ほど泊まり込みをしていた同期がいました。また、ゲーム開発会社に勤めた同級生も、泊まり込みは当たり前で、こちらは残業代など出ず、

「ゲームがヒットしたらボーナス」

 という労働条件(明記はされていません)でした。

 仕方なくという面もありますが、二択で問うなら、みな「好き」でやっていたのです。これが土壌で、ソフトウエア業界の需要が高まり、業界が大きくなっても引き継がれます。そして事業規模、成長性だけが「好き」な人が入手してきてミスマッチが起こります。

 さらに「気合いと根性」という方法論の、押し売り的ビジネスの会社が、商材をIT関係に変え、営業代行会社に過ぎない企業まで「IT企業」を名乗り上場まで果たしたところで、さらにこじれます。

 ソフトハウスも押し売りも、どちらも「好き」をコアとしますが、前者は知的好奇心で、後者は物欲と金銭欲です。

 ここで立ち戻ります。「ブラック企業」とは何か。好きで過重労働をしているなら当てはまりません。労働を強制され、退職も認められないのなら人権侵害、別の法的処置はもちろんですが、労働基準監督署に逃げ込むなり、無料で法律相談ができる「法テラス」に駆け込み、退職を実現し身体の安全を図るべきでしょう。

 そしてユニクロとワタミはどうか。彼らをニュービーズで洗濯したばかりの、ワイシャツのような真っ白とはいいません。しかし、先の「好き」という意識から望んで働く社員を止めるのは、逆の人権侵害です。

 ユニクロは4,652名。ワタミはグループ合計6,157名。このすべてが搾取される蟹工船だというのでしょうか。

 一方で、勤務先やその仕事が「好き」ではなく、企業の知名度や事業規模の大きさといった周辺情報が「好き」で務めた人はどれだけいるのでしょうか。

 かつて「ストレス」という病気は無かったといいます。「ストレス」という病気が命名されてから患者は一気に増加したといわれます。新しい病気の発見というより、患者側の自己申告による増加です。

 なぜなら心療内科や精神科医は、患者の内面の負荷を否定することをしないからです。以前、ブログで指摘しましたが、大切なことなので繰り返しますと、「ブラック企業」でひと山あてた、今野晴貴氏は読売新聞への寄稿で、

“また、精神科医も「お前が甘い」と言いがちだが、「ブラック企業」の実態も知って欲しい(2014年1月13日朝刊)”

 今野晴貴氏は精神科医の実態を知らないのでしょうか。または数少ない聞き取り事例を全体にあてはめているのか、あるいは被害妄想に陥った鬱病患者=被害者の主張を鵜呑みにしています。

 一般論として精神科医は「お前が甘い」とはいいません。ちょっと想像すればわかることです。精神科を受診する患者は追い詰められており、本人の責任を追及することで、帰り道に文字通り最後の一線を越え、走行中の電車に飛び込むことだって充分に考え得ることだからです。これは基本中の基本。

 先の今野晴貴論文には「言いがち」とあります。つまり一般論として今野晴貴氏は「精神科医はお前が甘いと言う」とするなら害悪です。本当の鬱病患者が、受診を躊躇うリスクを生み出しているからです。

 今野晴貴氏が「被害者」と呼ぶ人の、心の最後の砦を奪うことになりかねません。彼の論に重ねるなら「精神科医は患者をお前が甘いと言う」とは、心療内科業界と鬱病患者にとっての「ブラック発言」です。

 おなじく「PTSD」。はっきりと覚えていますが、この言葉を広めたのは堺正章さんの奥様であった岡田美里さん。幼少期の体罰によりPTSDとなったと主張するもので、当時、専門家の解説によれば

「生死に関わるような衝撃によるものをPTSDと呼ぶのであり、岡田さんの場合は当てはまらない」

 というものでした。ところが言葉が独り歩きし、いまは些細なショック、同様程度でもPTSDだと騒ぎ立てます。本人がPTSDと言い張るなら、それを否定することは、先の理由から避けなければならず、診断のデフレ化が進みます。

 ブラック企業もおなじです。ショッキングな言葉が独り歩きしています。乗じて大騒ぎする人権派弁護士や、湯浅誠のような人物もいて、デフレ化が進みます。

 そして競争社会とは社内にまで及ぶという原則が置き去りにされ、他者依存(大きい会社に入れば安心安全)という本当の心の問題が放置されてしまいます。

 違法労働の強要を認めているのではありません。それはそれで個別の事案に対して対処すべきで、その為に人権派弁護士が活躍することは歓迎すべき事です。

 しかし、「ブラック企業」とレッテルを貼ることにより、その会社を選択した

「労働者の責任」

 が置き去りにされることが、その先に何をもたらすかと言えば、企業の弱体化か、あるいは労働者の権利の最大化を目指す「共産化」です。

 ちなみにというか、当然というか「ブラック企業」と大騒ぎしている連中はみな左翼か、そのシンパです。

 繰り返しになりますが、先に名前を挙げた企業に問題が無いとはいいません。しかし、両社を合わせて1万人を越える社員が働いている事実も踏まえなければならないのです。

 むしろブラック企業と騒ぎ、改善を迫ることにより、将来は待遇が改善されるかもと微かな希望を与えることが退社を先延ばしさせ、心身症を悪化させることもありますし、労働者の責任を意識せずに、企業側に責任を求める心根で就職試験を受ける若者を増やしているとしたら、これほど残酷なことはありません。

 就職先の選択は自由意志。それは労働者の責任です。

 未払い賃金や不当残業は「契約」のはなしで、こちらはガンガン訴訟し、請求してゲットすることを応援しますが、「ブラック企業」というレッテル貼りは問題の本質を隠し、日本の赤化を助ける行為です。

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