親の恥を平気で晒すバカ

 菅直人や鳩山由紀夫に匹敵するバカと認定している「古市憲寿」。

 若者は馬鹿者を語感が似ていますが、だからと見逃せないほど際だったバカで、この5月には校内を水浸しにした学校荒らしを報じたウジテレビの「とくダネ!」にて、

「正直、なんかロックっていうか、格好いいかな、とも思ってしまって」

 とコメント。基本的に、古市憲寿の発言は「ネットで検索」レベルで、彼に学者を名乗らせている大学からは、すべての税金を引き上げて欲しいと切望します。

 ちなみにアマゾンにあった古市憲寿のプロフィールより以下。

東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍
慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員

 以前、「読売新聞 空想書店」にて

「旅をするより写真を見ろ」

古市憲寿と読売新聞に詳しく記しています
http://goo.gl/CFsMVf

 とほざいていたバカ 古市憲寿ですが、新著を発刊しそのタイトルが

『誰も戦争を教えてくれなかった』

 というか、彼の場合、この格言ではないでしょうか。

「賢者は愚者から学び、愚者は賢者から何も学ばず」

 理解力が無いからバカなのです。学習意欲がないからバカになるのです。歴史を学ぼうとしないから、戦争を知らないのです。そしてこのタイトルには、教えてくれないことを悪とする甘えが滲み出ており、古市憲寿というバカの人間性が滲み出ています。

 本の惹句にこうあります。

“誰も戦争を教えてくれなかった。
 だから僕は、旅を始めた。”

 前掲の記事では、旅に出るより写真を見ろといいながら、旅に出てみたと平気で言えるところにもまた、古市憲寿の知能程度が滲みます。

 先の読売新聞では、旅先で会話が続かないと告白し、サグラダ・ファミリアや、パルテノン神殿、フランスのサン・ミッシェルにいたっては「ただのひなびた観光地」とする感受性で、何億マイル世界を旅したからといって、得られる物はネットで検索レベルに過ぎません。

 ちなみにこの記事は今年の5月12日に掲載され、新著は8月7日発売。新著の惹句には

“3年間にわたる徹底的な取材と考察で明らかにする、
古市憲寿、28歳の代表作!”

 とあるので、確かに代表作でしょう。旅に出ることは不用といいながら、自らは旅の途中だった、古市憲寿の知能と知性と品性をここまで見事に描写したコピーは見たことがありません。

 さて、明日は敗戦の日。

 戦争は誰が教えてくれるものでしょうか。いや教わるものでしょうか。多少の好奇心が強ければ、わざわざ教えてくれるのを待つことなく知ることができます。

 例えば近所の神社をいくつか巡るだけで、日露戦争の記憶に触れることができます。日露戦争においては、多くの日本の若者が散華しており、地元出身の彼らのために顕彰碑が立てられているからです。御霊は靖国神社に祭られているので、顕彰や記念碑です。

 東京近郊、あるいは東京観光に来たことがあれば「お台場」も、一種の戦争の記憶です。ペリー来航からはじまる「対米戦争」に向けて作られた砲台に由来します。

 テレビからは沖縄の基地反対運動、いまならオスプレイの配備に関しての報道から、先の戦争を知ることもできるでしょう。

 なぜ? どうして? 学者を名乗るものが持っていなければならない好奇心があれば、教えてくれないと甘えることもなかったこでしょう。古市憲寿をバカと呼ぶ理由の一つです。己の欠損した能力を棚に上げて、社会に責任を求めるのは逆ギレです。

 好奇心がなければ、戦争を知らないのでしょうか。しかし、戦争に関心を持つことは、現在の日本において「まだ」特別なことではありません。

 現在28才の古市憲寿の御尊父ご母堂を仮に55才とします。昭和33年生まれとして、もちろん、直接の戦争は知りません。しかし、その親となる祖父祖母は間違いなく戦争を経験しています。20才で子供を産んでも、昭和13年生まれという計算です。

 また、伯父伯母、親戚を含めれば靖国神社に祭られている人も少なくありません。むしろ、ゼロのほうが少数か、余程の幸運に恵まれた一族なのでしょう。

 さらにこれは昭和45年生まれのわたしの記憶にもありますが、昭和時代に街中で、傷痍軍人を見かけたものです。その全てが本当の軍人とは言えませんが、しかし、片手片足を失い、物乞いする姿は子供心に不思議で、父に理由を尋ねたものです。

 つまり、二代三代と遡れば「戦争の記憶」に触れることができるのです。世界中を旅する必要などありません。親、祖父母に尋ねるだけで、リアルの「戦争」を知ることができます。

 義母の父は靖国の英霊です。義父が昔世話になったある人は、大陸の万年上等兵の兵隊ヤクザ(話しを類推するに多分、軍曹)で、入り替わり立ち替わり赴任する、エリートの士官よりも幅を効かせ、敗戦後、肥ってお土産を持ち帰国したといいます。戦争は決して悲惨な体験ばかりではないのです。

 亡父は昭和19年で、直接の戦争の記憶はありません。しかし、ナチスドイツを罵る声に異論を唱えていました。ユダヤ人が聞けば怒るでしょうが、論旨はこうです。

「ナチスの非道はともかく、戦争が終わったからと同盟国として戦った国(ドイツ)を、手のひらを返して罵るのはおかしい」

 歴史を後の価値観で裁くのは理不尽です。亡父は東京裁判の不当性を説き、さらにABCD封鎖により戦争に追い込まれ、自衛ための戦いだったと続けたものです。

 父の直接体験は、朝鮮人です。

 いわゆる「やんちゃ」だった父は、街中で突然袋だたきにあうような日常を送っていました。曰く

「朝鮮人は汚い。あいつら不意打ちの上に集団で襲ってくる」

 とのこと。当時の不良がもっていた喧嘩の美学が、朝鮮人にはないというのです。しかも、自分たちは戦勝国の人間だと嘘をつくと言いました。

 戦勝国とは言わずもがなですが、戦争をした当事者における勝者のことです。しかし、朝鮮半島は戦争当時は日本国で、日本国とは戦争していません。

「日本が負けた途端、それまで日本人だった連中が、手のひらを返して戦勝国として暴虐の限りを尽くした(宮脇護談 平成元年没。享年46才」

 敗戦時1才の父が見たとしても記憶にない出来事ですが、昭和時代には一般論としてよく耳にした考察です。

 いまの「嫌韓」のように、十把一絡げに朝鮮嫌いだったわけではありません。朝鮮人の「キム」という番長がいて、そいつは一対一の喧嘩しかせず、強かった。のちに愚連隊を一緒にやろうと誘われたと目を細めてキム氏の思い出を語ったものです。ちなみに、この話から繰り返された教訓は「みな同じではない」ということ。○○人だから、すべて同じではないと。

 朝鮮人が戦勝国を名乗った理由はここでは述べません。

 しかし、親、祖父母と辿るだけで、「戦争」に触れることが、いまの日本なら「まだ」できるのです。

 そしてそれは大人の責任でもあります。戦争は語り継がなければならない、戦争の善悪ではなく、歴史であり、言葉を持った人間の使命でもあるからです。親から子へ、子から孫へ。子がいなければ、甥で姪でも後輩でも。

 だから、古市憲寿が求める「教えてくれなかった」という甘えとは、彼の御尊父ご母堂の責任放棄の告白であり、親の恥を平気で晒せる彼を「バカ」と表現するのです。そして古市憲寿のネットで検索程度の見識を糾すのも大人の責任と考えます。

 明日は大東亜戦争の敗戦の日。この大東亜戦争という呼称一つからも戦争を知ることができます。

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“親の恥を平気で晒すバカ” への1件の返信

  1. 古市氏の様々な言動に疑問を感じて、具体的に何がおかしいのだろうと探っていたらここにたどり着きました。馬鹿に対して馬鹿というあたり、批判としてはやや言葉がキツイかな、とは思いますが、宮脇さんの古市批判にはまったくもって賛同いたします。

    以下私の分析です。

    各所にある動画や文章を見る限り、彼は他人と議論をしたり、自分の意見を理路整然と主張する思考能力があまりないように思います。一見すると普通に意見、反論しているような場合も、その直前の自分の意見との整合性が取れていなかったり、簡単な問題のすり替えである場合が多いです。その時その時の言葉のやり取りをなんとなく奇麗にする為に、議論の大前提や自分の立ち位置を見失っているような印象を受けました。

    彼の文章を見ていると小学校の時の私の読書感想文を思い出します。文才のない私は、既定文字数をクリアすることが出来ないために、なんとか文字数を伸ばそうと、最初に考えた結論を変えてしまったり、その変更後の結論に矛盾のないように書き出しを変えたりしていました。そうこうするうちに、本来自分が言いたかったものとは異なる、中身のない奇怪な文章になったものです。彼の言動、文章からは非常にデジャヴを感じています。

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