真夏に来日したインド人が寒くて風邪をひいた

 暑いですね。と唐突に始めます。

 わたしとしてはまだまだ耐えうることのできる暑さです。
 あの3年前の猛暑を思えば、まだまだ余裕がアリ、扇風機さえあればそれなりにしのげています。

 加えて「サマータイム」です。いまは頭に「超」を乗せています。

 早いときは3時台、遅くとも5時には仕事を始めています。朝ドラの「あまちゃん」と犬の散歩で都合2時間は中座しますが、おおむね午前中は過ごしやすく仕事がはかどるからです。

 熱風を送る扇風機も、冬の暖房と思えば快適です。
 そして日中はときおり、パソコンを電源を落とし休ませています。

 本末転倒と思うでしょうか。仕事柄、デスクトップとノート型のふたつをおもに利用しています。すると交互に使えば、不都合はなく、わたしの仕事はネットなかでネタを見つけて噛みつくブロガーではないので、パソコンやネットを使わない仕事だってあります。本や資料を読むのもそのひとつです。

 これらを上手に組み合わせれば、エアコンに頼ることなく仕事は可能です。ゼロにせずとも、時間と仕事の組み合わせを考えることで、限りなく利用を抑えることができます。

 わたしは放射脳ではありませんが、脱原発信者がいうように、電力不足が懸念されるのは「ピーク時」であり、夏場の暑い昼下がりから夕方前にかけての時間です。

 ここで電力使用の総量を減らしたライフスタイルが一般化すれば、エネルギー政策も変わってくる。これは選挙を経ずに民意だけで取り組める政策です。

 むしろ暑い盛りの昼下がり。西日になる少し前の熱だまりのなか、エアコンを使いパソコンを使うライフスタイルこそ、本末転倒ではないかと考えるのです。

 ちなみに「放射脳」とはネットスラングで、排他的で論理性に欠ける脱原発派を指します。

 関東地方において、埼玉県の熊谷市が「暑い街」として有名ですが、これは都心の熱気が流れ込んでいるからです。原発において電力の生産地と消費地、現地の苦悩などと議論が活発に行われますが、「熱問題」も都会の傲慢さのあらわれです。

 都心のオフィスビルでは窓を開けることができず、エアコンがなければ1〜2時間で、全館が50度近くに達するという試算もあり、完全に止めろとはいいません。ただ、ピーク時に発熱性の高い電子機器の使用を控えるだけで、エアコンの使用量を抑えることができるのではないかということです。すると、熊谷市の気温上昇をわずかながらでも抑えられる。という議論は寡聞にして知りません。

 さらにサマータイムです。国が決める必要はありません。各企業で自主的に取り組めばよいだけのことです。特にIT企業は・・・それが本当にITの名に値する、営業主体の体育会系企業でなければ、タイムシフトはさほど難しいことではありません。夜型でなければ仕事ができないなど妄想です。いや、夜型ならば夕方出勤、翌朝退社にすれば良いのです。

 家庭でもできます。もちろんパソコンも控えますが、ピーク時の1時間、冷蔵庫の電源を抜くという方法です。震災直後の計画停電で経験しましたが、冷蔵庫はかなりの断熱構造になっており、電源を落としてもしばらくは温度を保持でき、開閉をしなければ1時間ぐらいの電源オフなら問題も無いでしょう。

 熱中症対策としては、夜間電力を使って凍らせたペットボトルにいれたお茶や水が溶けるのを待ちながら飲みます。うちでは保温ポットに氷とお茶を入れています。

 冷蔵庫の電源は極端にしても、ピーク時に発熱を控えるだけでも・・・・といった意見を聞かないのはなぜでしょう。

 答え。

 人は便利を捨てられない。

 そして

 理想論も自分の利益を壊さないということが前提になっている。

 ということ。

 正午から夕方にかけて猛暑になると知りながら、エアコンを効かせながらパソコン仕事に取り組むのも同じです。

 その便利と利益が人を脆弱にしているとしたら、これを本末転倒と嘆くのか、進化の副産物として受け入れるべきなのかという話し。

 ジャニーズのタレントのコンサートが中止となり、つめかけていたファンのなかから低体温症で倒れる人が続出しました。熱中症ではなく低体温症です。

 隅田川の花火大会も中止になるほどの豪雨が引き金となりますが、花火大会で低体温症になったという報告はありません。

 医者ではなく現場にもいませんので一般論に過ぎませんが、自律神経によるものでしょう。

 コンサートが中止になった。ショック〜、テンションダウン、そこに豪雨。もう、どうにでもなって・・・と低体温症。体温維持する役目の自律神経がフリーズ状態になると、些細な温度低下でも低体温症を引き起こします。

 それだけで楽しみにしていたということもあるでしょうが、ここに疲労と虚弱という要素があるのではと睨んでいます。

 当日の日中は暑く、外を出歩くだけで体力を消耗しました。それでも都会の街中は意外と涼しいのは、電車やバス、店舗などではばっちりとエアコンが効いており、暑さをしのげているように感じるものです。

 外回りの営業マンなどしていると痛感しますが、エアコンの有無による寒暖の差は体力を奪います。寒暖差アレルギーという病名も発明されたほどで、エアコンの下では寒さに備え、無い環境では暑さに対応することを交互に繰り返すことで、自律神経がやられてしまうのです。

 夕方、コンサート会場へ。そして疲弊した自律神経がフリーズしたのではないかと。

 エアコンは便利な道具です。しかし、常態化することで人間がもっている本来の能力(自律神経も含め)を失います。暑いときは発汗により温度調整しますし、高温が常態化すれば、つまり夏になれば暑い状態を平時として活動できるように変化していく機能を、特に四季のはっきりとした日本人は持っているのです。

 暑さは慣れます。だってもっと暑い国で暮らす人は沢山いるのですから。冗談か本当かはわかりませんが、真夏に来日したインド人が寒くて風邪をひいたという話しを聞いたことがあります。少しだけ分かるのが、エアコンを使わない生活を始めてから、店舗のエアコンを冷たさから「痛い」と感じるようになっているからです。

 インド人は暑さを感じないといえば人種差別です。人間は誰でも環境に適応する能力を持っており、ましてや四季のはっきりとした環境で生きてきた日本人は、その能力が本来高いはずなのです。

 ところが一度手にした便利は捨てません。それが能力を退化させることになっても、未来永劫、いまの生活は続くという前提で、便利さを謳歌します。これは人間の現実で非難しているものではありません。

 エアコンを使わない、控える生活を積極的に取り入れることで自律神経を鍛えることができ、電気の使用量も控えることにつながるということですが、誰もやらんでしょうねと諦観しています。

 快適さを得るためにエアコンを使い続けることで、快適の許容範囲がどんどんと狭まっていることを本末転倒と指摘するだけです。発熱するパソコンを使いながら、エアコンで冷却する姿と良い勝負でしょう。

 あ、病人や老人と、健康な人の区別は前提ですよ。

 ・・・ただ、夏の暑さに耐えられないと広言するひとを「病気」とするかの判断は迷うところですが。

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