知り合いの主婦を交えて食事に出掛けたのは先週の金曜日。
通りの向かいにあった吉野家に「280円」ののぼりがたなびきます。
前日の木曜日から吉野家は値下げに踏み切っていたのです。
それを見た主婦が憎々しげにいいます。
「吉野家って高いよね」
理由を尋ねると、彼女は「松屋」でパートをしており、そこの価格は250円だというのです。
でも不味いじゃん。とはわたしの主観。これはすき家も同じ。そしてわたしはファストフードとしての牛丼は吉野家しか食べません。以前の豚丼のほうが好きだとしても。
フェアに評価するなら、どれもどんぐりの背比べで、唸るほどの旨さも、はき出すほどの不味さでもありません。しかし、2003年のBSE騒動のとき「販売停止」を決めた潔さを味の評価に加えているからです。
安全が確認できないものは売らない。
吉野家の味は米国産牛肉でなければならない。
覚えているでしょうか? 2004年の2月10日。翌日の発売停止を前に吉野家に行列ができたことを。
そしてしばらくもせず、オーストラリア産牛肉などに切り替えたすき家などに客が流れ、吉野家は玉座を明け渡します。
ある程度のやせ我慢は人間の美徳と考えるものとして、吉野家の態度に敬意を表する・・・という話しではありません。
この主婦の態度に見つけた「デフレでなくしたもの」について。
アベノミクスでも給料が上がらないとメディアは繰り返します。
ラジオ番組からは、アベノミクスで所得が増えるのは大企業だけで庶民には廻らないと嘆く投稿が紹介されます。
だから所得が上がらないのだよとわたしは指摘します。
なぜなら、大の大人になってまで経済の仕組みを理解しない、しようともしない姿勢で所得が上がる方がおかしいからです。
まず、ラジオリスナーの過ちを指摘しておきます。
「建設業界は空前の好景気」
復興需要とアベノミクス、増税前の建設ラッシュ等々でね。だからどうしても給料が上がらず、生活が苦しいほどのレベルというのなら簡単。土方になれば生活できる日給は確保できますよ。頭を使いたくなければ身体を使えばよいのです。
お金の流れを考えれば、すぐに給料が上がらないことは明白です。
一般的なビジネスの場合、駄菓子屋であんこ玉を買うように、常に現金で決済されるわけではありません。締め払いといって、毎月単位で売り掛けで処理する取引において、末日締めの翌月末日払いの約束なら、4月1日に発生した取引代金の受け取りは5月31日となります。つまり現金を受けとれるのは2ヶ月後です。
さらに手形(支払い約束手形で、期日になればいくら支払いますと約束が書かれた紙切れ)の場合は、3ヶ月や6ヶ月、1年ものまで存在します。するとお金を手にするのは翌年です。現金になるまでの不足分は、運転資金として銀行から借り入れ補います。無事に手形でかわした約束が守られてひとつの取引が完了します。
さて、その前に会社は給料を上げることができるでしょうか。会社は慈善事業ではありません。営利団体です。というより、もっと現実的な話しをすれば、運転資金として銀行から借り入れができるのは黒字の会社だけです。決算で赤字が出ると、いまの銀行はカネを貸してくれなくなります。すると結論はすぐにでて倒産です。
赤字にするのは簡単です。収入より支出を多くすればよいだけのことです。社員の給料も立派な支出です。そこからものすごく単純に話をまとめると、多少、景気が良くなったからと給料を上げてしまっては、会社が倒産リスクが増大するということです。
会社が倒産すればアベノミクスの論外にはじき出されます。
じゃあ会社ばかりが儲かるじゃないか=社長ばかりが。となるかどうかは一年後の話しです。決算を終え、余剰資金というか、社員に還元しても経営を圧迫しないほどの利益がでれば、「決算賞与」として反映するかどうかは社長によりますが、少なくとも今の時点で社員への支払いを増やせる中小企業は多くないと言うことです。もちろん、わたしのかつての勤務先のように、赤字だとぼやき営業部長をいじめることレジャーとしながら、決算の度に、社長室が豪華になり、社長専用車のグレードが上がる企業もありますが、それはアベノミクスではなく会社の体質です。
ちなみに知人が創業した建設系の会社。決算賞与を出しまくっていました。税金で納めるより、社員に支払った方が得だと。のちに経費を精査したら、少し赤字になりそうで焦ったというのはご愛敬として。
それではローソンをはじめ大企業の社員の給料が上がるのは何故だ。
素朴な疑問ですが、これこそデフレの正体のひとつで、大企業と先ほど触れた銀行の問題との絡みがでてきますが、今回の本旨ではありませんでのさっくりと。
「内部留保」という企業のタンス預金のお陰です。そして大企業は手形を発行する側で、いわば支払いを先延ばしにできるのです。潤沢な現金を持ち、支払いは先延ばしにできるのが大企業で、狡いと言いたいところですが、それが自由経済の現実なのです。
赤字になると銀行は貸してくれません。単純に言えば大企業でも同じです。株式を公開していれば、新規株式の発行で資金調達もできますが、赤字会社の新規発行株式に高値がつくことなどありません。するといざというときのために、それは会社が潰れないためにも、現金で貯め込んでおくというベクトルに傾き、市場にお金が流通しなくなっていたのです。
だから報道を正しく見ると、一時金や、年齢制限するなど、各社条件付きになっています。先に説明したように、一年、二年と経ってから、ようやく安心して給与を引き上げることができるからです。
昨日、電車に乗り都心の出版社へ出向きました。車中を見渡すと半数以上がスマホをいじり倒しています。本を読んでいる人は僅か・・・というか私を含めてひとりほどです。
スマホでツイッター、フェイスブック、パズドラ(ゲーム)。
果たしてこれで所得が上がるでしょうか。
経営者の側に立てば、自己研鑽し、業績に貢献するもの給料を上げることは歓びです。しかし、勤務時間の隙間を見つけては享楽に耽る、というかツイッターやLINEで「私信」をする連中の給与などむしろ下げたいほどです。
スマホで電子書籍・・・はないでしょう。あれほど指先を動かしているなら、速読の達人でしかあり得ないページをめくる速度だったからです。
語弊を怖れずに言うなら、昨日同じ車両に乗り合わせた会社員達は、給料を下げるための努力をしているということです。移動時間も給料のうちです。
いやいやそれもサラリーマンの楽しみのひとつではないか。
もちろん、その気持ちは痛いほどわかります。
ならば、スマホというおもちゃの登場で、勤務時間という拘束の中に、息抜きという自由の翼を得たいまの境遇を喜んでいる人がどれほどいるでしょうか。
これがデフレでなくしたものです。
結論に辿り着く前にもうひとつ。
愚妹の娘、つまりは姪が今年の春から高校生になりました。それにあわせて家族全員スマホに乗り換えます。すると姪は、LINEにはまり、入学の報告とお祝い金の徴収にわが家を訪ねた姪は、ずっとスマホをいじっています。
姪の前で妹を注意します。貴重な時間を失っているんだよ。伯父、伯母など彼女(姪)より先に死ぬ。人類の歴史とは、それらが死ぬ前にどれだけの知識と経験を受け継ぐかで積み上げられてきており、年長者との接触時間とは人類史の1ページとも言え、思春期においてはもっとも大切と勘違いする、友人との暇つぶしに勝るものだけど、往々にしてそれに気がつかないのが青春でもあると。
なにより無礼であるとも。
それはさりとて、後日妹だけがわが家を訊ねたときのこと、高校に進学したことでなにかと物入りとこぼします。幸いに義弟がしっかり働いており、それなりのポジションになりつつあるようで、彼女がこぼすほど苦しくはないのですが、出費がかさむことは好ましくないとぶちぶち。ま、姉が亡くなったいま、私の所ぐらいしか、他愛のない愚痴をこぼす先もないのでしょうが。
余談ながら、ここで思い出したのが亡姉の息子、つまりは甥。再々婚相手の義父が育児放棄状態で、祖母経由で児童相談所送りとなり、高校進学のためにわが家で預かり
「偏差値25からの高校進学」
を目指した件はミクシィの「甥日記」で紹介しましたが、なんとか彼が高校に入学し、制服やら体操着やらを買い与えて、すべての段取りが終えて1週間ちょっとで、血縁の実父のもとに、後ろ足で砂をかけてでていきました。泥棒に追銭とはいいません。しかし、経済的視点で状況を振り返ると、よくぶち切れなかったなぁと自分で自分を誉めてあげます。肉親の愛情ってやつでしょうがね。
時間がないのに雑談を続けるのは悪いクセ。
反省してまーす(國母風)。
話を戻します。
一般論としていまのデフレでの不満の理由を喝破します。
「みんなお金を使っている。だからお金がないのだよ」
愚妹キョトン。
例えばスマホ。ガラケーのときは3〜4千円だった月額費用が7千円ほどに跳ね上がる。子供とのレジャーで訊ねるスポッチャ。スポッチャとはラウンドワンが手がけるスポーツをベースとしたアミューズメント施設。野原で遊べば無料なのに、金を払って身体を動かします。
ファストファッション。質の良いものを大切に切れば10年どころか20年だって持ちます。しかし、使い捨て感覚で洋服を買っては捨てているのは誰でしょう。
外食は贅沢でした。いま小学生だけでもファストフードでご飯を食べている姿を見かけることは、そう珍しくありません。低年齢化で言えば、中学生になればカラオケぐらい友達だけでいくようになります。野原の端に落ちていたビニ本を探した、我々の世代とは隔世どころか別人種です。
100円ショップなどもそうです。活用しないものまでかって、いずれもせずにゴミとなります。スマホで言えばソーシャルゲームのアイテム購入もそのひとつです。
バブル期と比較しても、支出の細目が増えているのです。
ランチとともに注文するドリンクバーは180円や280円で、ジュースやコーヒーが飲み放題となりますが、水で充分と考えれば無駄な支出です。
水の購入もそうです。生活に困っているとこぼしながら、ミネラルウォーターを購入する人を知っています。
格段に使うお金が増えているのです。ひとつひとつの支払額が少なくなっているだけで、総額にすると同じか、増大しています。
姪の話で言えば、高校入学に合わせてコンタクトレンズにしたのですが、ワンデータイプの使い捨てで、毎月3000円ほどかかると言います。2万円ほどするメガネを、わたしが買い与えたことがあるのですが、それを使わずにコンタクトにします。
消費が悪いと言っているのではありません。
結論を述べる前に、いまわが家のマイブームは行きつけのスーパーマーケットの弁当です。その値段なんと
「250円(税込みで262円)」
価格だけでなく、ボリュームのあるおかずに、なによりお米が美味しいのです。すべての弁当チェーン、ファミレスを軽く凌駕します。吉野家のご飯と比べるのが失礼なほどの美味です。というか、外食用のくず米じゃなくて、安くてもちゃんとしたお米を炊いて提供しているのだと思われますが。さらに夕方、売れ残るとそれが半額の131円(税込み)。
夕食に弁当を食べるのは寂しいと控えるのですが、その安さと価格に心が揺り動かされていると告白します。
この弁当は手作りの部分が大きく、切り干し大根の味が不安定です。しかし、文句などいいますまい。この値段で、美味しいものを提供してくれることに
「感謝」
こそすれ文句などいいますまい。
牛丼が280円で食べられる。歌い放題、飲み放題のカラオケなど、1曲100円で飲み代とは別に支払った新橋の夜を思えば楽園で、最新ファッション風の洋服を1万円もせずにすべて揃えられる時代に生きていることへの感謝を我々は忘れていないでしょうか。
経済や国家にとってデフレというのは、好ましい状況ではありません。だからアベノミクスで改善しようとしています。しかし、不景気と嘆く毎日のなかで、安くありながら、より良いものを提供し続けようとしてきたのは企業努力です。それは利益のためです。しかし、企業努力により豊かで便利な生活があるということへの感謝をわすれてはいないでしょうか。
これを思い出さない限り、アベノミクスが成功してインフレに転換したとき、生活と毎日への不満は、デフレの比ではないと予言しておきます。増えた支出細目を削るのは、目に見える「我慢」が求められ、それはできるけどやらない「やせ我慢」とは正反対から心を傷つけます。