まもなく2年。ということで東日本大震災がらみから「脱原発」について。原発の是非を問うものではありません。
わたしは「死」を怖れます。それも尋常ではないほど。小学6年生の頃に「死」に思い悩み円形脱毛症に罹ったほどです。
どうして「死」を怖れるのか、それは死後の世界の有無と、無としたときの魂の消失への虚無感を直視することができないからです。
しかし、それが運命というよりは、生物の仕組みであるならばあがいても叫んでも解決する方法などありません。すると面白いもので人間という生き物は「よすが」を探し始めます。心の解決策といっても良いかも知れません。たぶん、こうして人類は宗教を創りあげたのでしょう。
その「よすが」とは「なぜ? 死を怖れるのか」という現象そのものは脇に置き動機の探求です。ここら辺で十円ハゲができます。しばしも経たずに結論が出ます。答えは十円ハゲが教えてくれました。
十円ハゲが発見されたのは、陰鬱とした息子の姿を見かねた両親が心療内科に連れて行ったからではありません。当時のヘアースタイルは峯岸みなみ嬢より、丁寧に刈り込んだ見事な坊主で、その生まれた真空地帯を母親が見つけ「あんた、ハゲができてる」と笑ったことです。
で、12才でハゲはさすがにイヤだと親にすがると、考えすぎるからだと指摘され、悩みごとでもあるのかと、さすがに親らしい配慮を見せますが、油断はなりません。わたしが「死」について考えているなどと哲学的アプローチから語ろうものなら、
「くだらないことを考えるな」
と父の雷鳴が聞こえたことでしょう。私が育った環境において哲学とは屁理屈で、屁理屈をこねるのは男子にあるまじき行為とされてタブーでした。
すこし、余談を。親や教師は子供の主張を認め、才能を伸ばすべきだという主張がありますが、才能とは否定されても伸びるものであり、もちろん、認めて伸ばすに越したことはありませんが、どれだけ否定してもわたしの哲学への興味は薄れることなく、かえってその密かな学究は、隠れキリシタンの心境を理解するのに役立ち、弾圧が信仰を強めるということを体感するに至り、後に新興宗教との距離感を保つのに大いに役だったものです。
坊主頭の12才にも思春期のつぼみが膨らみ始めています。ハゲとはすなわちモテナイとは、昭和の小学生の浅薄な発想に過ぎませんが、いずれ訪れる「死」より、目の前の「モテ」が肝心です。
そして今日を最後に考えるのをやめようと思ったとき、死を怖れる理由を発見したのです。
「考えられなくなることがいや」
死後の世界がアリ、輪廻転生し、例え蠅に生まれ変わっても、自分の存在を認識できればイヤ。それはジョニー・デップに生まれ変わっても、宮脇睦として生まれた記憶が無くなれば、それは「無」と同じこと。いわば
「我思う故に我アリ」
を存在がなくなる死というものから捕らえた恐怖だと気がついたのです。それを一応の解決として、ハゲ改善のために思考停止にハゲみます。
いまに至るまで「死」への恐怖を克服していません。また、父と姉がそれぞれ40代でなくなっていることから、次は自分の番だという恐怖心というか諦観もあります。
ただし、12才の頃から30年を経て、決定的に異なるのは
「死への経験値」
の違いです。ある種の寛容というか、死という現象を徐々に受け入れつつある自分を見つけるようになってきているのです。
例えば「ボケ」もイヤでした。老人性痴呆症などになれば、自分という存在の喪失でアリ、それは「無」と同じだと20代前半ぐらいまでは頑なに拒否していました。しかし、出典は忘れましたが、誰かの言葉にこんなものがありました。
「惚けるとはね。もう考えなくていいよっていう神様からのプレゼントなんだ」
いま、なるほどとも思います。それを詭弁ととるか、知恵とみるかは価値観の違い。
そして決定的に言えることが、様々な人の死に触れ、死について考える時間を重ねるごとに、鷹揚になっていくということです。
ある意味においては「不感症」、しかし、デリケートな赤ちゃんの肌では業務用の火力のガス台で中華鍋を煽ることはできないように、耐性を身につけたから見えてくること、到達できる考えが存在する・・・と、わたしは考えます。
これは昨今の「素人礼賛主義」の対極に位置するものです。
素人だから分かること、もあるでしょうが、素人の発想は所詮素人のそれであるのが事実です。専門的な耐性が身についているからこそ下せる判断があるということをないがしろにしてはなりません。
ずいぶんと脱線しているようですが、ここから本題へはいります。
ツイッターを見ていると「脱原発」の側に立つ有名人の活動が相変わらず活発です。それはもはや宗教といってよいでしょう。些末な発言でも活動につながりそうなものはリツイートし、原発推進派の失言や腐す主張を見つけてはリツイートし、しまいには論理のすり替えにすら気づかず「脱原発マンセー」とリツイートしています。
絶賛思考停止です。
本当に原発を停止したいのであれば、推進派の主張にも耳を傾けながら、落としどころを見つけるのが、大人の対応ですが、
「ダメなものはダメ」
的な発想は、社民党の福島みずほさんあたりに任せておけば良いことです。
十代、二十代の前半までならわかります。しかし、三十を過ぎ、四十を通過し、五十を踏んでいるオジサンから、果ては還暦オーバーのおじいさんにも見つけるのです。
彼らの発言で繰り返される前置詞はこうです。
「福島の事故が起きるまでは」
しつこいようですが、本稿を初めてお読みいただく方のために繰り返します。わたしは30年来の脱原発派です。先の「死」と「原発」・・・正しくは原子力とは無縁ではありません。はだしのゲンに恐怖しました。スリーマイル島もチェルノブイリはもちろん、物心がついた頃は冷戦のまっただ中で、ソビエトの水爆はICBMとセットとなり、その流れ弾を怖れたものです。
ちなみに、いまの居住地の選択理由のひとつは、仮に都心にソビエトの水爆が弾着した場合のシミュレーションが、たしか「ムー」だったと記憶しているのですが、掲載されており、東京の主要環状道路である環七の外側にいることが、サバイバル確率を高める条件としてあったことです。ただし、爆風被害と、その後の放射性廃棄物による汚染は避けられず、あとは風向きによる運不運が生死を分けるとあったような。
核兵器と原子力発電。両者と向き合ってきた三十年のなかで、もっとも見たくもない現実として福島の事故がおこりました。そして蓄積してきた知識と経験から福島産の農産物を気にすることなく食べていますが、惜しむらくは北海道産の「ゆめぴりか」が存外に美味く、福島産の米を買う機会が減っていることです。
そしてすぐに全原発を廃炉にする経済リスクも知っています。それは原発への恐怖からはじまり、では、なぜ原発を作るのだろうかという素朴な疑問に移ったのは「死」と対峙したときの同じ工程です。
原発は社会と経済のメカニズムとして組み込まれており、変革するとしても、費用が発生し、どこから捻出するかとみれば、短兵急に実現するとなれば急激な増税しかありません。
あ、東電をはじめとする電力会社にできないことは、事故前から明らかなことなのでここでは議論に含めません。
するとソフトランディングという選択肢が現実的だと結論に至ります。中期的か、長期的かのいずれかに脱原発を目指すかであって、短期的、即時撤廃という超短期という選択は社会に与える影響が激烈で、端的に言えば所得の低い生活弱者を直撃します。電気代だけではなく雇用問題と、そこから波及するマイナスの経済効果も考慮してです。
雇用問題だけを取り上げれば、すべての原発及び、かかる電気会社社員を解雇して、彼らを復興関連の土木作業に当たらせるのが効率的ではありますが、我が国には「職業選択の自由」があるのでそう簡単ではなく、現場の親方の立場に立てば、
「トーシロを送り込んでも役に立つもんかべらんめぃ」
てなところ。
尻を叩いて急がせることと、いますぐ実現しろと迫ることは似て非なるものと大人なら知っています。
脱原発をぺらっとクチにできる大人を、わたしが死について考え始めた12才とは言いません。
ネットスラングとなった「中二病」をウィキペディアから引きます。
<中二病(ちゅうにびょう)とは、中学2年生頃の思春期にありがちな自意識過剰やコンプレックスから発する、一部の言動傾向を揶揄した俗語である。基本的には精神的に不安定になる思春期に成長する自意識と残った幼児性の間で背伸びをするような言動。またそのためにおかしな行動をとってしまうことを言う。名前に中二と付くが、大人にも使われる。>
原子力爆弾、もちろん水爆も中性子爆弾も含めた恐怖をリアルのものと意識せず、スイッチをつければ灯りがともることを当たり前とし、山手線は数分おきに乗り入れ、長袖を着なければしのげないような夏のエアコンを、エアコンを効かせこたつに入り雪見だいふくを食べる生活に疑問を覚えず、それが原子力発電により支えられ、じつは原子力を人類は制御し切れていないことを知らずに過ごしてきた人々ほど大騒ぎしている脱原発。
多感であり、小学生より行動範囲が広がり、それなりの理論武装もできるようになり、また、新しい環境に追いつくことに必死な中学一年生や、高校受験に追われる中学三年生でもない「中二」。
ツイッターでリツイートを繰り返す有名人が早く進級することを願いします。震災から2年経ったのですから。