PTSDと気のせい

新年すっかり明けましたが、おめでとうございます。

弊社の株式投資も順調な辰巳相場へと駆け上がりそうで希望の持てる年明けです。景気は気からというよりに気分の問題も大きく、すべては気の持ちようとは、コップに残った水が半分しかないと残念がるか、半分も残っていると喜ぶかの違いと同じです。

ところが最近、気になることがあります。いや「気にしすぎ」だと思うことがしばしば。それは

「PTSD」

心的外傷後ストレス障害というものですが、とみに耳にすると思います。しかし、この診断要件は「生死に関わる事態に遭遇した」というものがあります。ところが、どう考えても「それじゃあ死なねえ」という程度の暴行などでもPTSDを軽く診断します。いや、本当に精神科医(心療内科)が診断したかは分かりませんが、かつて某大物俳優(歌手)と、大物俳優のご令嬢の離婚の際に、俳優側から受けた仕打ちを虐待として、令嬢側がPTSDを持ち出したもので、当時、まともな医師は鼻で笑ったものです。

しかし、正論に被害者感情が上回るのがマスゴミであり現代日本の病巣です。そしてPTSDが胃潰瘍より軽く診断されるようになりました。

そうはいっても、被害者の気持ちになれば・・・と、どこに基準を揃えるのでしょうか。わたしの妻は異常なほど痛みに弱く、肩こりからくる偏頭痛で涙を流して嘔吐することもあります。ところがわたしも肩こりが酷く、噛み合わせの悪さも手伝って、こうした痛みは日常茶飯事、かつて虫歯が多かった頃は、その為にできる炎症からの膿を、しらふの状態で自分の指でにじり潰すこともしていました。そもそも素手で薪藁を殴り続けるなど、ドMの変態でもなければやらないこと。あ、性癖か・・・ではありません。ガマンということを刷り込まれているということ。

もちろん、痛みに強すぎて悪化させたのは虫歯でアリ肩こりではありますが、生死の別つような暴力にはいまだに出会ったことはありませんが、袋だたきは何度かありますがPTSDになってはいません。

それはそういう人だから・・・かもしれません。しかし、わたしのような鈍感も含めてPTSDには「生死」というラインを儲けており、どう考えてもそのラインを越えていなければPTSDを名乗るのは如何なものかと・・・気のせいと断じます。

いや、それでも病気だ・・・でしょうね。でもパニック障害や、強迫性障害など別の名前のほうが「本当」っぽいという話し。ちなみにわたしは強迫性障害の経験者。で、治療方法は心療内科にしばし通った後に結論づけた「気のせい」で根治しています。というか、それを「性格」として折り合っています。

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