馬鹿になるのは1ヶ月で充分

 「学者議論」という言葉は、可能性や理論を振りかざすあまり
なにも結論がでないという意味です。

 かつての昭和時代

「末は博士か大臣か」

 とは誉め言葉でしたが、以前指摘したように大学進学率が急速に
高まったバブル崩壊以降、日本の国力は急速に衰退しており、博士
の増加が「ポスドク」という、行き場のない博士を大量生産し、
政権交代により「素人」が大臣をする時代になったということは、
いまでは「侮蔑」を意味するのでしょうね。

 わたしは子ども時代、こう宣言したと、いまでも親戚のおばさまに
ちくりといわれます。

「東大にはいれんやったら、大学なんていかんちゃ(土佐弁風)」

 そして宣言通り高卒です。

 中学一年生で暴力に出会って、勉強の非力さを知ったことが
そのきっかけですが、

「勉強しない楽しみ」

 をみつけてティーンエイジがそれに抗うことは困難です。

 東大が「秋入学」をうちだし、幾つかの大学が賛同する方向に
なったと新聞が報じます。東大曰く「グローバル化」に乗り遅れる
というのですが、海外に・・・欧米諸国に時期を揃えたからと
留学生が増えるほど簡単なものではありません。

 というかシンプルに述べれば、

「海を渡ってまで学びたい何か」

 があれば、時期の問題など些末なことです。グローバル化に
ついては最後に東大へ「提言」を用意しております。

 さて秋入学にあたり、「ギャップターム」が指摘されています。

 もうこの時点でやる気が削がれるのですが、日本一の大学を
もって「日本語」で説明できないほど、この国の学力低下は深刻に
なっているということです。「空白期間」やtermが学期を表すと
するなら「空白学期」「待機学期」と造語しても良いところを英語で
逃げるところに、三流の広告屋なみの発想しかない貧困さ、この国の
大学制度の問題を映しています。

 というわけで以下「ギャップターム」を使っている箇所には
(笑)がすべて省略されているという前提でお読みススメください。

 東大は、受験は今まで通りに行い、入学時期を9月の秋にする
といいます。入学までの約半年と、4年後の卒業後の秋から冬に
かけてを「ギャップターム」として、入学前はボランティアや
海外留学にあて、卒業後については企業に協力を呼びかけています。

 時系列に沿ってこの馬鹿げた議論を高卒のミヤワキが喝破します。

 まず、入学前の半年間、いわゆる受験勉強で凝り固まった価値観
をほぐすように使って欲しい・・・と希望だけですべて理想的に
廻るのなら、民主党の誰一人、嘘つきと呼ばれることはなかった
でしょう。

 ここで海外(欧米ね)の事例をもちだして、様々な経験を
するとさらっといいますが、欧米では長期の夏休みに
サマースクールや海外留学を小中高のうちに経験する習慣があり
長期休暇は別の学びの機会という文化が根付いています。

 翻って我が国はどうでしょうか。
 東大に合格した子どもに、さらに勉強しなさいと尻を叩ける親も
親戚も教師も少数派でしょう。

 そして小学校の頃は「神童(町内会レベルですが)」と呼ばれた
わたしの経験則から断言できます。

「馬鹿になるのは1ヶ月で充分」

 高校を卒業し、思春期のリビドーと若さ故の体力を持て余した
青少年に、半年間も勉強をしなくても良い時間与えて馬鹿になるな
というのは酷な話しです。

 どうしても「秋入学」を実現したいのなら、この半年間は大学を
開放して「自主登校」を許すなど、みずからできるギャップターム
対策を大学側がとるべきでしょう。そうでなければ、せっかく詰め
込んだ知識を説かし流した半年後、秋に集う東大生の脳みそには
かけ算九九ぐらいしか残っていないかも知れません。

 つぎに、入学後。
 いまの議論が「四年制」を前提にしているのが論外。

 なぜ、グローバル化に揃えるなら「飛び級」を推奨しないのか。

 と、いう問いに自問自答したのは5秒後でした。答え、

「学費を一年損する」

 だってそうでしょう。次に述べる就職についてに重なりますが、
秋入学、秋卒業として、3年間で大学を卒業できれば、他の四年生
大学と同じ条件です。逆に3年間で4年分の学びを実践できた
優秀な学生は引く手あまたですし、「卒業後」に半年間、インターン
やなにかで企業に貢献できるのですから企業が門前市を成すことで
しょう。

 さらにいえば、いま四年制大学の就職活動は大学三年生の12月
からはじまり、早い学生は4年生になったころには内定をとり、
卒業までを遊びほうけます。つまり、

「大学の学びは3年間で充分。のこり1年は学費の集金のため」

 ということです。
 東大の提言に胡散臭さを感じた私の直感が叫びます。

「我が身のことしか考えていない」

 で、最後に卒業後のギャップタームについて、企業側には
通年採用などで協力して欲しいと呼びかけます。これについては
半分賛成です。

 というのは「春先の一括採用」が必要な理由は、企業の会計年度
というよりも「社畜の養成」にあるからです。社畜の言葉が悪ければ
こうでしょうか。

「企業文化を理解させるため」

 大学入試という選抜システムを通過し、決められた就職協定を守る
善良な市民予備軍を、学校から企業への移行するにあたり、余計な
知識を吸収させる前に純粋培養するためには、外部の空気に触れさせ
ないほうが便利だからです。

 どれだけ美辞麗句を並べても、経営者が望む社員の理想像は

「従順な羊」

 なのです。だから一律の研修が難しくなる通年採用に移行すれば
従順な羊より、自分で餌をとってくるオオカミも必要となり、
自動的に経験者の中途採用などがいまよりも広がり、就職浪人する
より社会に出て研鑽を積むという選択肢が増えるのではないかとは
期待しています。

 しかし、それより卒業後のギャップターム解決を呼びかけるなら
相手が違います。企業ではなく「国」や「地方自治体」にです。

 企業が春に一括採用するのは先に述べた理由もありますが、
会計年度の頭なら、多少の景気の変動が「期首」ということから
帳簿の処理がしやすい

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