崇高なのでしょうが胡散臭いと鼻をつまんでしまうのが
「ボランティア」
を声高に叫ぶ人です。
ボランティア自体を否定するものではありません。しかし、私が
考えるボランティアとは「奉仕」の心でやらせていただくものであり
キャリアに加えるものではない・・・ボランティア活動化でない
限り・・・と、考えるからです。
特にその中でも臭気が酷いのが
「阪神・淡路大震災のボランティア」
自体はすばらしいとおもうのですが、これをきっかけに「政治」
を目指したと自称する人たち。我が町と縁もゆかりもありませんが
小選挙区で当選した「平山たいろう」衆議院議員もそのひとり。
例えば楽天市場の三木谷さんは、震災を気に
「人生は一度きり」
とある種の悟りから起業を目指したと言います。これは分かります。
しかし、なぜ? 政治なのか。
防災行政、都市計画などなど主張はあるのでしょうが、ボランティア
として現地入りしたのであれば、震災直後に求められるのはスピード
であり人手だと知っていることでしょう。物資も勿論ですが、必要充分
でなくとも「いま」に対応できるもの、「とりあえず」でもその場は
用をなすのは命は待ってくれないからです。
震災ボランティアをきっかけに政治屋を目指した議員にとって
「ハイチは対岸の火事」で済ませられる問題なのでしょうか。
初動があまりにも遅く、かけ声はあまりにも小さすぎます。
そして他人の痛みを理解できないのであれば、政治屋さんどころか
人として失格・・・ですが、民主党党首は宇宙人だと副大臣がいうの
で、そもそも価値観が違うのかも知れませんが。
あるいは震災ボランティアで、現地視察に「大名行列」でやって
くる政治屋をみて
「俺も、ああいうふうに威張り散らしたい」
というのが「原点」ならば・・・致し方ありませんが。