冒頭での石原慎太郎への批判が私たちにとっては新鮮でした。
本旨でないので要約の上、引用させていただくとこうです。
小説家というのは非常識で破廉恥な職業だとされていた。
ところが石原慎太郎という頭も育ちも良いお坊ちゃまがやっても
いい職業にしてしまった。
著者の曽野綾子さんによれば、小説家という職業は不幸を
創作の糧とし、非常識というスパイスにより成り立つものであり
はつらつ健全とは微妙に異なる世界に住んでいたはずだと言うこ
とです。
そう考えれば人間失格の太宰をあげるまでもなく、おかしな
人が多かったことを思い出します。
これはたかだか50年ほどの時の流れで、小説家が文化人と
なり清廉潔白をどこかで求められるようになった変化として
興味深かったのです。
著者はアフリカの貧困地帯やエイズ患者のためにボランティ
アとして現地入りして活動しています。「人類愛」という言葉の
対極が目の前にあるような理不尽な・・・いや、それも多分に
現代日本人的な価値なのでしょうが、そのような状況を軽快に
描写し、著者の躍動と使命と楽しみと満足が伝わってきます。
そう、あえて対比するなら社会制度にすべての理由を求める
かの派遣村の元村長との違いでしょうか。
平易な言葉で述べればこうです。
「楽しんでやっている」
ところが、翻って著者は現代日本の「甘え」に腰に手を当て
クビを少しだけ右にかたむけ、溜息をついている様子が文章から
浮かんできます。
そして本書のタイトルとなった
「第13章 弱者が強者を駆逐する時代」
の一節を引用します。
「気の毒だと思われている人を批判したり、まだそんな程度
では大して気の毒でないと言うことは許されない時代なの
である」
つづけて途上国には裸足の女性がいて、乳飲み子を抱えた
女性の乞食がいる事実にふれコントラストを描き出します。
小説家が非常識人でいられた時代、それは「真っ当」が大手を振り
お天道様の下を歩いていたからではないかと、ふとよぎるのでした。
■弱者が強者を駆逐する時代
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