正しいのバーゲンセール

 正しいことは本当に正しいのでしょうか。

哲学論争ではなく実際問題、正しいには何かの基準があり、その
基準がそもそも正しいかというとまた哲学論争のようになってしま
うのですが塩野七生さんの「ローマ人の物語」を一昨年から読み続
けこの年始に「軍人皇帝」が続く時代にようやく辿り着いて考えに
耽ります。

多くが正しいと信じての行動がローマを混迷へと引きずり込み、
そして瓦解を止めることができなくなります。

今の我が国の政治の混迷を重ねるのは古代ローマ帝国に失礼極ま
りない話ですが、次々と皇帝に名乗りを上げて部下や従者に刺し殺
されるその不幸だけは奇妙なデジャブのようです。

ローマを持って政治を語るのではありません。
もう少し、下世話で即物的な話です。

神奈川県の「禁煙条例」により、パチンコ店でもタバコが吸えな
くなるといい、それをもって私は

「神奈川県には行かない」

とこちらで宣言したことがあります。この禁煙条例が緩和され、
嫌煙家には「骨抜き」と罵倒されそうで、一方で愛煙家や商売人か
らすれば「当然だ」となりました。

こと「タバコ」に関しては半ば宗教的熱狂を持って撲滅運動が
展開され、愛煙家は国賊やならず者という主張も普通になされて
おります。しかし、今回は実情に即しての現実的な采配を振るっ
たことに、非神奈川県民の無責任さから残念に思います。

「壮大な市場実験だったのに」

と歯噛みするのです。

「利口と馬鹿」「賢いと愚か」

前者と後者のどちらが「正しい」でしょうか?
馬鹿より利口を、愚かより賢いを選ぶのではないかと考えます。

嫌煙家の主張はさておき、愛煙家のつぶやきをとりあげてみる
とこんな意見を耳にします。

「やめようと思うけど・・・なかなかね」
「つい、すっちゃうんだよ」
「身体には悪いと知ってるけどね」

はい、愛煙家は利口と馬鹿のどちらでしょうか。

やめる方がいいと思いつつ吸っているのは利口の所作ではあり
ません。

違う例で考えてみます。

「痩せなきゃって思うけどつい食べちゃう」
「甘いものがやめられなくて」
「運動もついさぼちゃって」

ダイエットやシェイプアップです。

それではあなたに質問です。

「今年に入ってからの買い物は必ず必要なものでしたか?」

マーケティングの世界の格言に

「全ての衝動買いが止まったら一日で経済が破綻する」

というものがあります。本当のところは分かりませんが、
客は必要なものだけを買うわけではないという教えです。

タバコが身体に良くなからやめよう。
甘いものも食べ過ぎももちろん。
適度な運動は身体にいい。

これらはすべて「正しい」ことと言われるでしょう。

節制を心がけ己を律する。

この反対が浪費と怠惰です。タバコなどは「脂肪」にも
ならず文字通り「煙」となって消えていく嗜好品です。しかも
ある種の常習性もあります。これをもって百害あって一利なしと
断ずる嫌煙家もいます。

故に「禁煙条例」にてパチンコ店や小さな喫茶店に居酒屋
からタバコを閉め出し浪費と依存性からの更正を促して、
神奈川県が愛煙家という愚かな浪費家を駆逐したとします。

その先の神奈川県経済に大変興味がありました。

タバコがもたらす経済効果の話ではありません。

タバコへの依存から脱却した人の消費行動の変化が実体
経済にどう影響するかという興味です。

マーケティングの世界に足をつっこむと、人は必ずしも
合理的で健全な判断を下すとは限らないことを知ります。
経済学者などが的外れなことをいうのは、机上の空論のなか
のキャラクターが合理的な判断を下すから成り立っている
ということを失念しているからです。

紫煙をくゆらせいつもの酒場で。
フィーバーした後の一服。
学生時代から通う喫茶店での一本。

ちなみに私は愛煙家です。ただ、仕事中のタバコをやめて
もう10年になります。その為か、私がタバコを持っていて驚
かれる人がいます。それぐらい吸いませんが愛煙家といいます。
仕事中の喫煙から遠ざかったのは理由は健康なんかじゃありません。

「忙しかった」

マック(パソコン)の付属品になる仕事をしていると、
両手を使うのでタバコをとる暇も火をつける余裕も、さらには
折角火をつけたタバコを口にくわえる刹那もなく、もったいな
いなぁと。お陰様で仕事の質が変わりました。

「全部きっちり終わらせてからタバコを吸ってやる」

最初はこれがモチベーションとなり、今に繋がる仕事のやり
方が身につき人生が変わりました。この体験からも、神奈川の
実験に興味があったのです。

もちろん、「たかがタバコ」ですから何も起きないかも
しれませんが、生活習慣は確実に変わりそれによる変化を
「県単位」で実験して貰えるなんて・・・と無責任にワクワク
していたいのですが。

「正しい」は果たして至上なのでしょうか。
またその「正しい」は何を基準としているのでしょうか。

タバコから離れて考えてみます。

鼻白む話ですが、時の政府はいつも間違ったことをしてきた
のでしょうか。田中角栄の日本列島改造論も「今」で判断する
のではなく、時代をさかのぼれば正しいと賛同者が多かったり
して、またバブル経済も後の祭りで口を汚く罵るのは簡単です
がだれがノーといったでしょう。経済的にリバタリアンに
シンパシーを覚える私からみれば、「銀行救済」など下の下の
政策ですが、当時悪評吹き荒れた「公的資金注入」をアメリカの
金融機関にいま投入すべきと言う論調はどうでしょうか。

小泉純ちゃんの「郵政民営化」もしかりです。

有り体な言い方をすれば自民党政治は終末期という見方に
賛同します。政権交代も今の民主党でなければ期待を寄せる
ことでしょう。いっそ、暴論という前提で夢想するなら、
社民党や共産党に政権を取らせたらとも。

民主党以外という前提の理由を述べればこうです。

「今より姑息な自民党風政権が生まれる恐れがある」

内側に右と左を内包し、何より党首に節操がないくせに、その
党首に意見するものがいないおおよそ民主政治とは遠く映る
寄り合い所帯への危惧です。

そして麻生太郎首相のある意味筋の通った筋のない政治姿勢へ
の批判にこう思うのです。

「正しいのバーゲンセール」

民主党の政治屋さんも離脱した坊ちゃんも「正しい」と連呼
します。正しいほどあやふやな概念はないのです。これは機会が
あれば掘り下げますが。

最後に、政治とは今への対策と未来を見据えた施策の折り合い
をつけるものです。正しいとは今の「時代の空気」から判断され
ることが多く、時に未来に評価を受けることになる施策はブーイ
ングとともに入場します。

ブラウン管の向こう側から連呼される「正しい」にチャンネル
をひねる日々を過ごしております。

ブログ村に参加してみました。宜しければ右バナーをクリックしてください→ にほんブログ村 政治ブログ メディア・ジャーナリズムへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください