勝てなくても批判されないオシムサッカー

勝てる試合を落とすのはもはや「お家芸」と呼んでもよいのかと
思うほどダメダメな我がサッカー日本代表。

追加点を取らなければならない局面、ボールを前に送り出す状況
でもバックパス。

今日はサッカー人気凋落について。

ドル箱コンテンツだった「サッカー日本代表戦」の凋落が著しい
と報じられています。

視聴率は右肩下がりで、一挙手一投足が物議を醸していましたが、
最近ではTBSでしかニュースを見なくなった元世界チャンピオン
の亀田さんの試合より視聴率を稼げなくなっています。

「視聴率至上主義はいかがなものか」

といいつつこういう比較は相変わらずされるのですが、確かに
代表戦のスタジアムを見ると結構空席が目立ちます。

識者の解説としては「中田ヒデ以降のスター不在」とします。

海外組をあまり使わないオシム監督になって、海外で活躍する
選手が減ったこともその理由と付け足します。

確かに理由のいくつかではありますが、ドイツ大会の1年ぐらい
前には(理由はともかくとして)空回りする彼を指して

「ヒデ不要論」

がありました。
オールドファンはフランス大会予選の「キングカズ」に姿を
重ねて世代交代が脳裏をよぎりましたし、にわかにとっては、
渡ったばかりの海外組や、A代表当落線上の若手の方が応援し
やすかったことから浮かんでは消えていました。

俊輔と小笠原でいいんじゃない。

などと。

また、もう一つの有力な「説」としては、

「ドイツ大会の(惨敗による)期待の反動」

がありますが、フランス大会に初出場したときもずいぶんと
お気楽な予想から一転大落胆したものです。

あのときに比べれば、王者ブラジル相手の惨敗ぶりは

「当たって砕けました。木っ端みじんに」

とスッキリしたものがありましたし、先制点をとってから
同点となるまでの間は妄想が暴走しました。

負けているのに引いて戦う従前の代表チームに比べれば
ずっと良かったというのが振り替えればの感想です。

それでは何故、人気が凋落しているか。

ずばり「わかりにくい」からです。

プラチナチケットとなった代表戦を見に行くと不思議な光景
に出くわすことが多々あります。

埼玉スタジアムではカテゴリー1に属して、特別席近くなど
で観戦していると、あまりサッカーを知らない集団が陣取って
いたり、特別席もサッカーが好きと言うより、イベントに集ま
って盛り上がっているだけだったり。

スポンサーや「広告代理店経由のチケット」での観戦です。

もちろん、悪いというのではありませんが、何度も電話を
かけネット予約をし、それでもダメでヤフオクで要約ゲット
した良い席の隣で

「●●さんから貰ったの♪」

と、選手の区別もA代表とオリンピック代表の区別もつかず
に、あまつさえ

「ベッカムでないの」

という話し声が聞こえてくるとガッカリします。
一般人には入手不可能のチケットが良い席に多くあります。

私がスタジアム観戦を無理してまでいかなくなった理由です。

「馬鹿馬鹿しい」

スポンサーによって支えられ、それを「代理(主に放送電波
という既得権の独占販売ですが)」している人たちを優遇する
のは悪いとは言いませんが馬鹿馬鹿しい。真っ当に買っていると。

また正規ルートのチケット販売も「ファミマ」から始まりと
一般発売までには階段がありわかりにくいのです。

人気を背景にスポンサーを優先する戦略は商業的に悪いこと
ではありませんが、がらがらのスタンドをテレビ放送で見たと
きに

「なんだサッカー人気ないじゃん」

と思う、「にわか」は多く、負の連鎖となります。

そして最大の「わかりにくい」理由が

「オシムサッカー」

だというのが私の見立てです。

皮肉屋の監督のコメントを額面通りに報道するメディアが
さらにわかりにくさを悪化させます。

特に

「世界のジーコをあれだけ批判していたメディア」

が、あのおじいちゃんの采配に一言も文句を言わない理由が
わかりません。

サッカーファンなら一家言あるでしょうし、それぞれの監督の
違いとジーコが非難された理由も解説できるでしょうが、

「代表戦だけのファン(もどき)」

の方にはわからないのです。
海外組を使わないのもそうです。

思い出すと酷いなぁとなるのですが、ジーコの時には

「海外組偏重」

と叩いておきながら、国内組でしばらくいくと

「何故呼ばない?」

と糾弾していたのです。

そして今は、何も言わない。

「勝てなくても批判されないオシムサッカー」

は奇異に映ります。

どこの国でもそうですが、特にJリーグ以降の日本代表監督
の歴史は批判と非難の歴史ですから。

その歴史の文脈にない「非難されない監督」。

私のサッカー日本代表戦人気凋落の最大の理由と見ています。
叩けばそれだけ話題となり、耳目を集めます。
悪評もまた評ですし、バッシングは記事にしやすいのです。

が、悪口を書かないものですから、紙面も番組も扱いが小さい。
はてさて、だれが「止めて」いるのか。

ジーコの時とおなじく、オシムに任せた以上は文句を言うと
きは辞めて貰うときだというのが私の考えです。

監督の進退はオシムの方が重みを知っていることでしょう。

しかし、批判精神をもっていない人はジャーナリスト呼びません。
広報・スポークスマンと呼びます。

月曜日の試合の敗戦は選手の責任と報じますが、前任の
ジーコの名言(だったと記憶しているのですが)を思い出します。

「勝てば選手の力、負ければ監督の責任。
サッカーとはそういうものだ。」

人気不信をスター不在になぞらえるのは野球の

「ミスター神話」

と同様で凡百です。

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