顔はまずいよボディーにしな。ボディーに

虐め問題が起こるたびにおかしな議論が宙を舞います。

「最近のイジメは隠れてやる」

というもの。イヤミのシェーと同様、若い方はついてこれない
かも知れませんが、それも私の重ねた年輪ですからすいません。

「顔はまずいよボディーにしな。ボディーに」

は、3年B組金八先生のなかで三原順子さんが、同級生を
虐める際に吐いた有名な台詞です。

1979年に始まったドラマです。昭和でいうと54年。

今から28年前から

「イジメは隠れて」

が基本で、野球が9人で、サッカーが11人でやるように世界中
の常識なのです。

あまり人様のご意見にとやかくいうのは好きでないのですが、

「まだ、いるんだ。」

というものを発見しました。

「教えて!goo いじめ問題の解決法」
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3ωqid=2586612 

の回答番号「ANo.15」のごもっとなご高説ですが、イジメの
理由として日本人のカルチャーを挙げます。

「村社会」

が理由で、さらには

「狩猟民族にイジメはない」

と。
戦後、自虐史観をなぞるかのようです。

村社会のイジメは可愛く狩猟民族のイジメは生死にかかわると
考えている私にはびっくりな意見です。

善悪ではなく世界中にイジメはあります。
狩猟民族でも農耕民族でも。

その中でもあえて「村社会、日本」とするなら擁護しましょう。

日本には「村八分」という「虐め」が伝承されています。

古来は

「仲間はずれにはするけど葬式と火事の時は話は別」

というものでした。
例え嫌いで虐めたとしても、生死にかかわるときは助け合います
よという「村社会」です。

一方、「狩猟民族」のイジメ・・・というより、彼らは虐殺の
多い歴史です。

「今日はこの辺で勘弁したろうか」

という発想はなく、報復を怖れる故に一族郎党皆殺しです。

はてさて、どちらが非道いでしょうか。

イジメについて語るとき「民族論」を持ち出すのは「論外」
なのです。

国家の品格の著者、藤原正彦さんの論を拝借するなら

「イジメは卑怯」

であった時代があり、「卑怯者というそしり」は人として
もっとも恥ずかしかったのが古来の日本なのです。

陰湿になって陰惨になると喧伝していますが、

「無視されるのは死ぬより辛い」

というのはどうでしょうか。
それこそ、

「何処かに属していないと不安になる村社会の精神性」

じゃないんですかね。

私が子供頃は

「無視するような奴はこっちから無視してやれ」

といわれたもんですが。
もちろん、集団を扇動してやるような「卑怯者」など相手に
するなという意味を含めて。

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