躾は家庭の文化。だから内政不干渉

最近、あちらこちらのネタ会議で「低位順応の連続性」の話しを
しているのですが、皆さん何となく感じていた

「おかしくない」

に合点がいったように頷かれます。

それでは何がそうさせているのかというと

「アメリカの植民地政策のなかの愚民化プログラム」

の結実かも知れませんが、

「全ては教育」

によるものです。

私が子供頃はまだ「戦前教育」を受けている人も多かったのです
が、戦後も60年を過ぎ、敗戦直後に産まれた子供がぐるっと暦が
巡って還暦を超えています。

先日も「学生運動あがり」のとある方と雑談をしていたのですが、
日本の左翼思想のピークはあの頃だったのではないかと。

そしてそのピークの頃「染まった」方々の「子供」が、社会の
主力となっているのが現在です。

右左で善悪を語るつもりはありませんが、あの頃の

「平等で自由な社会を実現する」

という空気の甘ったるさだけがその後も生き続けて、結果、

「人は誰でも自由に生きる権利が拡大解釈」

され、今の

「俺様至上主義」

につながったのではないかと。

・・・私がコンテンツ会議を「ネタ会議」と呼ぶ所以なのですが、
この時も本当は「年末年始のコンテンツ」が主題でした。

当時の逸話を聴くとなかなかの「左より」な方ですが、彼は最後

「教育勅語を復活させるぐらいはやらないとダメかもね」

とぽつりと。

イカレタ教師の話はオモシロおかしく取りざたされますし、私が
「お世話」になった組合のセンセーがたのようにエピソードに事欠
かない人も多いのですが、圧倒的多数の

「真面目な先生」

にとってはツライ時代であります。

多分、生のままの子供達は100年前からも1000年前からも
変わっていないと思いますが、取り巻く環境が激変しているのが
辛いところです。

携帯電話、インターネット、そして親と祖父母。

道具はさほど問題ではありません。

しかし、水よりも濃い同じ血が流れる(一般論として)、親や
祖父母という環境の劣化が著しいのです。

流石に最近では

「子供の問題というより親に問題が」

という論調が多くなってきますがまだ甘い。

「親の親」にも問題があります。

今の子供の親の親。

若い家系なら40代の祖父母も珍しくありません。

だから先生が保護者にしつけについて注意したとしても、
その親自身が

「そんなしつけ知らない」

という環境で生まれ育ち、子を産み落としているのですから、
無茶な注文であるのです。

しつけには時に罰を与えることも・・・これは家庭の方針にも
よりますが・・・必要だとしても、イマドキの学校の先生の

「愛の鞭」

は体罰として処罰される危険が発生します。

しかし、しつけは家庭の仕事。
ですがこの境界線が崩れています。

というか正しくは一方的に崩している「低位順応の連続性」が
起こっているだけです。

つまり、「ちゃんとした家の子はちゃんとしている」のです。

ただ「悪貨は良貨を駆逐する」ことを考えると、今度は低位順
応の連鎖が始まります。学級崩壊のレポートを見ると、ぷよぷよ
の連鎖のようですからね。

これは不公平な話しです。

「ちゃんとしている方が損をする」

仕組みになっているのです。

親にいっても「生まれたときから知らない」のですからどうにも
なりません。

「躾のなっていない親を躾る授業」

は実現困難でしょうし、

「躾のなっていない祖父母を躾る授業」

なんてねぇ。

そこで我らが首相「あべっち」に「美しい国。」の為に一つの提
案があります。

まず、

「躾は家庭の文化。だから内政不干渉」

と決めます。
続いて、理解レベルに応じてクラス変えをする

「習熟度別授業」

を応用して

「しつけ別クラス分け」

を実施します。

「ちゃんとした躾が身に付いている子供」とそうでない子供を分け
てしまうのです。

各家庭のぬかみその漬け物やみそ汁、カレーライスの味が違うの
も文化ですし、創価学会の活動をしていてもモルモン教徒であるこ
とも各家庭の問題であり、学校の先生が干渉するものではありません。

そして、「躾」もまた各家庭により違います。

武家の流れを汲む家系、八百屋の娘、公務員の家庭など様々です。

当然、学校の先生が踏み込んで良い問題ではありません。

しかし同時に、

「躾のできていない子供せいで授業が潰されたり、
クラスの和を乱される他の子供」

の「人権」を考えれば、「文化別」に分けることに異論はないの
ではないでしょうか。

先日、イザ!のブログにて「給食費」について評論家の潮さんの
コラムにもの申しましたが、自分の稼ぎの少なさを棚に上げて給食
費が高くそもそも制度が必要なのかという「論客」がいるご時世に
悲しくなりましたが、この潮さんは

「イスラム教徒の禁忌に配慮していない学校給食」

と非難されていました。

■イザ!ブログ
北朝鮮並みの暴論を展開する薄給の評論家 潮匡人氏に捧

そうです。しつけ(文化)別クラス分けでは、イスラムの礼拝に
配慮しますし、モルモン教徒にもそうですし、

「椅子に座らないのが我が家のルール」
「子供のやりたいようにさせるのが方針」

という何よりも「子供の自由が最優先という文化」をもっている
ご家庭にも「配慮」するということです。

私が考える「しつけ別クラス分け」は難しいものではありません。

「ルールブックに載っていない社会通念を理解できるクラス」
「学校で決まっているルールは守れるクラス」
「何よりも自由な風でいたいんだ! 俺達はクラス」

の3クラスに分けるだけです。

・・・私は結構「人って捨てたものじゃない」と信じています。

だから、グレーゾーンで

「みんながやっているから」

で右往左往していた人に

「ルールブックに載っていない社会通念はまだ存在していたんだ」

と気づかせてあげるだけで、この国は簡単に

「美しい国」

になると信じているのは楽天的でしょうか。

石田純一さん的には「不倫は文化」でしょうが、

「躾は文化」

です。身が美しいと書いて「しつけ」なのです。

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