11人いた日本代表が、10人のギリシャに勝てなかった理由は、ギリシャの背後にオリンポスの神々がいたから。ではありません。ならば日本の背後には八百万の神がいるはず。
後出しジャンケンなら何でも言える。その通り。でも「にわかサッカーファン」でも20年も応援していれば、サッカーのセオリーぐらいイヤというほど分かります。むしろ特定のチームに肩入れせずに、無邪気にサッカーを楽しんでいるぶんだけ、今日の日本は「負けなくて良かったね」というはなし。
敵の退場者により数的優位になることはあります。ところが少なくなったチームが勝つことが多いのがサッカーの面白いところです。チームワークとか、精神力とかではありません。
今日の日本・ギリシャ戦を振り返り、チャンスは幾つもありました。個別の場面ではありません。「時機」というもので、タイミングというか「局面」というほうが正確でしょう。
まずは「退場直後」。相手は動揺しています。ひとり減るのは不安です。ここで前掛かりに攻めるのがセオリー。我らが代表はここで「慎重」になりました。言葉を換えれば先制してからのコートジボワール戦と同じ。「迷い」です。
ギリシャ側から考えればわかること。ひとり少ないのです。いままで通り攻めてこられれば、敵はひとりあまり、補おうとして陣形は崩れ、個体差の勝負になります。それも繰り返されれば、体力よりも脳みそが、処理能力の限界に達し、そこが攻撃にとってのチャンスの瞬間です。
このすべてがありません。そしてこの局面は、セオリーから少なく見積もっても、5回はありました。
1:退場直後
2:前半終了前
3:後半開始直後
4:メンバー交代時、あるいは残り15分を切ったあたり
5:後半終了直前
日本代表が活かした局面は、後半終了直前のみです。
反対にひとり少ないギリシャは、慎重な攻撃に耐えることで、不利な状況になれることができます。慣れれば不安は薄くなり、体力勝負にはいりますが、パス回しは自分たちにとって安全圏で廻すのみで、コートジボワール戦で、ことごとくパスカットや、弾際を奪われた「恐怖心」からなのでしょう。これではギリシャのデフェンス陣に休んでくれと言っているのと同じです。
事実、ギリシャのデフェンスラインが、自分の立ち位置で、日本選手のボール廻しを眺めながら、休んでいるシーンが何度もありました。
セオリー通りの局面を行かせず、これまた数的優位な状況でのセオリーである、相手の体力奪う仕掛けもしなければ勝てるはずがありません。そしてサッカーにおいては、不利を甘受した上での捨て身の攻撃が決まること、あるいは賭けたワンチャンスに、勝利の女神が微笑むことは多く、試合終了のホイッスルを聞いたときの率直な感想は
「よく負けなかったね」
自分たちのサッカーを表現。自分たちのサッカーができれば。
日本代表選手が口にする台詞です。ナイーブです。きっと、予選敗退すれば、何人かが自分探しの旅にでかけることでしょう。
ワールドカップという舞台で、自分たちのサッカーをやろうとうするトンチキは日本選手ぐらいでしょう。どこの国でも、選手達は
「勝つ」
ためのサッカーに取り組んでいるのですから。両者の違いは表演用の武道と、フルコンタクトの武術の違いで、やっている競技が異なるなら、勝つなど夢のまた夢だったということです。