同じ日常を取り戻すこと

あれから・・・と耳にタコができていませんか。わたしはできています。

東日本大震災の当日、預かっていた中学生の甥(当時)は、職業訓練校の試験日で、彼は中学の卒業遠足をキャンセルし、受験しました。最初の揺れがあった2時46分には帰宅しており、二次募集の高校受験のために勉強をさせていました。

幸い地震の揺れによる落下で、壊れたものがあったぐらいで済みましたが、ラジオ、テレビ、インターネットとすべて開いたチャンネルから伝えられる情報は、次第に絶望の色を帯びてきます。

と、いま今年の2時46分を迎えましたのでひとたび手を止めます。

はい、再開。ちなみに甥のクラスメイトが卒業遠足で向かった先は「東京ディズニーランド」で、液状化により足止めとなり、地元の中学校に戻ってきたのは夜の10時を過ぎていました。

ここから怒濤の日々でした。わたしの仕事は一部、震災により開店休業状態になりました。被災地に比べれば、苦労とは呼べない程度ですが、震災による影響は確実にありました。

人づてに聞いた話では、関西まで行くと、ほとんどかわらぬ日常だったともいいますが、阪神淡路大震災のときの東京を思えば、そんなものなのでしょう。関西に親族や知人がいない人は、他人事のように被害を語っていたものです。

日常生活においてはコンビニの棚から食品が消えました。スーパーマーケットも同様で、インスタントラーメンからはじまり、カセットコンロも品切れとなりました。

原発の事故、それにともなう「デマ」により、水不足がはじまります。

これらへの準備は日頃からしています。それはわたしが東京にやってきた35年前から言われ続けている「関東大震災」への備えです。

むしろ、知人に水を分けるぐらいの余裕があったのですが、問題は甥っ子の進路です。人生をすっかり折り返した我々と違い、これからを生きる彼の命をつなぐのは学力か手に職か。

彼は「ナルコレプシー」という病を抱えていました。突然寝てしまうという病で、相当程度は薬でコントロールできるのですが、彼はそのコントロールができませんでした。

思春期特有の「ねむい眠い病」であることは、勉強をさせるとねむくなるのでナルコレプシーのせいではないことは明らかなのですが、病を言い訳に克己することを拒否し続けていました。

そこからいわゆる学力不足を補う「ガテン系」という選択肢は、命の危険と隣り合わせとなります。作業現場で突然寝たら、最悪は転落事故です。

だから、生活習慣も含めた自己を確立する猶予期間としての進学で、東奔西走というか右往左往していました。

彼の卒業式直前にようやく進学先が決まり、ホッとするのは束の間に過ぎず、入学準備に追われるなか、甥は中学の卒業式の夜、クラスメイト全員で

「江戸一(えどいち)」

に繰り出すといいます。焼肉やしゃぶしゃぶが食べ放題の店で、やろうと思えば飲酒だって可能で、どうやらそちらの目的もあるようです。

甥の話によれば、あるクラスメイトの親が予約を取ったとかで、その異常事態に慌てふためき、子育てにおいて大先輩の妹に相談をすると、

「よくあること」

といいます。いまどきの中学生は、期末試験や部活の大会終わりに

「打ち上げ」

と称し宴会を開き、マクドナルドやファミレスどころか、居酒屋に集まる強者もいて、そういう子は親も公認だといいます。

ようやく決まった進学先。万が一にも事件が起きて、入学取り消しになったら洒落になりません。なぜ反対するのか理由を説明した上で、甥の判断に任せると告げます。卒業式が終わったあと、お前の結論を教えろと。もちろん、彼が「行く」といったとしたなら、ぶっ飛ばしてでも行かせはしませんでしたが。

ただ、甥のことでお世話になった担任教師に知らせないのも不義理と思い密告をします。生徒の不祥事は教師の評価に影響すると考えたからです。すると担任は冷たくこう突き放します。

「くりかえし指導してきました。その上で、卒業式のあと、彼らが何をしようとわたしたちは知りません」

・・・そういう時代なのでしょうか。それともその卒業式に、前年や前々年の卒業生という名のチンピラ小僧が集まり、大騒ぎするような中学だからでしょうか。しかも敷地内にはいることを黙認しているのです。足立区立KG中学校での実話です。

卒業式後、甥の結論は「いかない」。わたしは既にほっとなどしていません。ある事実を知っていたからです。まずは、にこりと笑い、結論を評価します。

「賢明な判断だ」

そしてニタリと笑い、その事実を告げます。

「今日の夕方から計画停電だから江戸一」

店舗は計画停電の対象エリアとなっており、夕方以降の営業を休むとホームページにも記載されていました。知らない中学生どもが、チャリンコで現地に集合すれば、暗闇が待っていたというオチです。

そんなこんなで4月を迎え、入学式を過ぎてしばらくもせず、甥はわが家をでていきます。血縁上の父親が、引き取るといい、甥も父親と一緒に暮らしたいといわれれば、こちらは止める理由が見つかりません。妻が、あまりにも嘘を重ね続ける彼との生活に限界を感じてもいました。ナルコレプシーの他にも彼には「嘘つき」という病があったのです。

虚言癖ではなく「嘘つき」としたのは、その程度のすぐバレる嘘ばかりで、しかもバレても嘘じゃないと目を見て否定する可愛げのなさです。たぶん、そうやって育てられてきたのだと、血縁のあるわたしは憐憫すら覚えていたのですが、妻は彼に振り回されるわたしの姿が怒りへと変化していたようで、軽い鬱病にかかっていました。

買いそろえた制服に教科書、靴に体操着。一式持って出ていき、その費用の一円たりとも、実父から支払われることはありませんでした。ついでにいえば甥を虐待した養父は、しっかりちゃっかり「子供手当」を受けとっていたことは腹立たしい想い出です。甥のためにとしたことについて、銭金はどうでも良いと思っていましたが、その甥が後ろ足で砂を掛けるようにでていったとき、不快感を否定できない小さな自分を発見し自嘲します。

そしてペットロス・・・もとい、甥ロス。急激に子育てが終わり呆然としたなか、被災地でもある茨城県にまで足を伸ばし、引き取って(購入ですが)きたのが、わが家の黒柴のメス「さくら」号。

震災を起点としたあれから・・・とは、彼女との年月を指し、彼女(犬の雌)を見たときの数回に一回は必ず震災を思い出す私にとって、「あれから」とわざわざ指折り数える理由がないのです。だからテレビで繰り返される「あれから」の言葉耳にするたび

「忘れてたの?」

とつぶやきます。未曾有の大災害は被災地ではない足立区に住むわたしにとっても他人事ではない、と日々暮らしています。もちろん、被災地で暮らしている人のそれとは違うものでしょうが。

集計を取ったわけではありませんが、今年のテレビは「震災番組」が花盛りです。その切り口の多くが「進まぬ復興」。

金太郎アメのような報道番組の企画、そして構成に、ある懸念が浮かんで離れません。それは被災者や関係者を不愉快にさせるモノかも知れませんが、わたしの周辺取材で集めた生の声でもあります。

懸念をひと言で述べればこう。

「被災地と非被災地の確執」

これを震災番組が煽っていないかという懸念です。

仮設住宅の住民から、政府や自治体による充分な対応がなされていないと不満の声が漏れ、復興が進んでいないと、瓦礫が撤去されたものの野原となった大地を紹介し、いつになったら安心して暮らせるのかと嘆く住民の声を司会者がなぞります。

あるいは立ち入り禁止地域、制限区域に放置された車両や建物を紹介し「生々しい震災の爪痕」として、なにひとつ復興がすすんでいないかのような映像を繰り返します。

これを「政府の責任」と結論づけたいのかも知れません。お上への責任転嫁は、もっとも安直なフォーマットです。

はじめに断っておきますが、すでに新しい生活基盤を築き、震災前の生活には完全に戻らずとも、「あれから」よりも「これから」に向かって歩き出している被災地の人々がいることを知っていますし、仙台在住でも、比較的被害が軽かった知人は、個人的な日常ならすでに取り戻しています。

そしてこれらはネットを見ていれば、折に触れ紹介されており、新聞もときどきですが、歩き出した人々を紹介します。

ところがテレビは「被害」を強調しつづけます。

驚いたのが、ある主婦の声です。

「いつまで支援しなければならないの?」

いますぐヤメロというものではありません。ただ、テレビを見ていて映しだされる仮設住宅の住民の多くは年配者ですが、見たところ足腰もしっかりしてそうでいながら、推測に過ぎないと断りながらも

「平日の昼間」

に取材に応じられる生活を不思議がるのです。

彼女は続けます。

「震災から一年ぐらいは、支援への感謝の言葉も多くあったのに、いま報じられるのは不満と不安ばかり。不安はしょうがないけど、不満しかいわれないと、なんだかモヤモヤする」

支援してやっているんだという上から目線の人柄ではありません。しかし、繰り返し報じられる被災者の不満は、まるで怨嗟のようで、被災地を応援しようというチャリティーイベントを見つけても、また愚痴をこぼされるのかと頭によぎり、すこし躊躇するようになったといいます。

テレビに限らず、取材を受けるのは、結構面倒なものです。ときには制作側の「シナリオ」に沿った発言を求められることもありますし、記者が理解するまで説明を繰り返すこともあります。

端的に言えば、忙しいと取材は受けにくいのです。と、一般論として主婦に説明し、つまりテレビに映らない人たちが大勢いると付け加えます。

こんな報道もありました。

「被災地にアベノミクスは届いていない」

奇遇ながら、我が町足立区でも、その効果を感じている人は、きわめて少数派です。友人の経営する電気工事会社は、超多忙を極めてはいますが、「単価」にはいまだ反映されず、数をこなして利益を出しており、それをアベノミクス効果といわれると腹が立つと愚痴をこぼします。

また、景気回復の足音が遠くに響くようになったがためか、事務所に借りていた物件のオーナーが、きわめて厳しい条件変更を突きつけてきたことにより、ただでさえ忙しい年度末のさなか、事務所移転を余儀なくされました。

好景気になったからとみなが幸せになるわけではありません。むしろ「格差」は増大するものです。これはすでに復興がすすむ被災地で問題化しつつあります。

しかしと彼はいいます。

「仕事があることは、ありがたいことだけどね」

今年の震災番組で「進まぬ復興」をよく目にしたとは既に述べました。たしか日テレの番組だったと記憶していますが、こんなシーンがありました。

復興が進まぬ理由として、建築関係の資材高騰と人材不足と指摘します。公共工事の入札が不調になり、最低落札価格を大幅にあげたケースを紹介し、宮城県(だと思います、すいませんうろ覚えです)の、防潮堤だか防波堤の工事の現場に場面が変わり、そこにいる労働者に出身地を尋ねると

「秋田県」

とオジサン達が元気よく手を挙げ、ひとりだけ北海道がいるとニコニコ。たぶん「おれ、テレビでるっぺ(偽東北弁)」と、クニの家族に自慢していることでしょう。

地元の土建業は、もっと儲かる仕事、割の良い仕事に従事しているのかもしれませんし、それを否定はしません。少しでもおおく銭を稼ぐことが復興につながることは確かですから。

イコールではないと理屈では分かりながらも、仮設住宅で不満をたれる60才ちょっとのオジサンは、腰も曲がらずしっかりと大地に足を卸しており、ここに見つけた違和感は、先の主婦と同種のモノでしょう。

年寄りにまで働けといえば、いまのご時世的には叱られるかも知れません。しかし、1000年に1度あるかないかの災害に襲われ、消失した・・・当時の報道をなぞるなら「壊滅」した街を前に、ただ、誰かがしてくれるのを待っている・・・と、錯覚しかねない

「被災者=弱者=問答無用の保護対象で批判など言語道断」

というテンプレートに沿った報道が、被災地とそれ以外の地域に住むものとの間に、見えない溝を掘ってはいないでしょうか。これがテレビ報道にみつけた懸念です。

そもそも被災者だって間違えることはあります。過ぎた要求をしていることもあります。さらにそれが復興の足枷になっていることは果たしてないのでしょうか。いや、あります。

いま、話題になっているのが「高すぎる防潮堤」。震災直後は安全のためと、高い防潮堤を期待しましたが、時が経ち、振り返ったときに、高すぎる防潮堤の存在が過剰な安心感を与え、被害を拡大させはしないか。あるいは、押し寄せる津波が見えないことのデメリットから、計画そのものを見直そうという声があります。

どちらの主張にも一理ありますが、津波警報がでたときには、波の有無、視認の可否はともかく、

「高台に逃げる」

のが先決というのが、震災から学んだことであり、制度や体制、その道路の整備が先決ではないかと、素人ながらに思うのですが、さらにはここに「景観」を持ち出し、防潮堤に反論する若者も番組に出演していました。

平時において景観は大切ですが、防潮堤は有事に備えるものです。水面が凶器に化ける津波対策です。震災前の景観をよみがえらせることが、そのまま震災前の安全対策と同程度になることであるなら、それを是とするのは行政としては困難です。

これらは次の伏線として使われていました。

「行政は一度決めたことを変えない」

ステレオタイプの批判ですが、思い出してください。震災から1年を越えてもあまる時間において、ペテン師 菅直人による唐突なストレステストの導入を筆頭に、勝手に決まっていることを変え続けて迷走したのが民主党政権をです。「八ッ場ダム」に代表されるように、一度決めたことを気軽に変えれば現場は大混乱するのです。

硬直的な行政、というフォーマットに沿った不満と、ゴーサインがかかり始動した復興対策を意図的に混同し、より混乱を引き起こしかねない情報操作をテレビに見つけます。

あれから・・・の時を経て、なにも学んでいないのはテレビの側ではないでしょうか。これからを見据えて歩き出した人々を取り上げず、立ち止まる人々ばかりを全国に発信するテレビ。

打ち上げられた船が野ざらしとなり、津波に流された建物が放置される風景・・・これは、浪江町や富岡など、原発事故の影響で立ち入りが制限されている地域の映像です。

手付かずではなく、手出しが困難だったのです。

瓦礫が撤去されながら、再建されない街並みを背景に

「なにも進んでいない」

としたり顔で司会者が語ります。しかし、ここから先は「個人の財産権」が絡みます。行政が個人の「自宅」を建てることなどできません。

防潮堤に反対と声を上げるのは自由です。しかし、半年後に同じ津波がやってきたとき、それでも強行して設置しなかった行政の不備だとなじりはしないでしょうか。

復興を加速させる必要性について異論はありません。

しかし、そろそろ「できないこと」についての結論を明らかにすべきではないでしょうか。これにより「リソース」の効果的な投入が可能となります。「できないこと」まで取り組むそぶりをとることにより、実現困難な希望を与え、機会損失を生み出してはいないかということです。

できないこと。その最たるものは

「震災前とまったく同じ日常を取り戻すこと」

です。

あれからの時が3年を経て、わたしの知りうる限りの被災者はとっくに気がついている当たり前のことです。

ところがテレビがそれを要求します。まるで国民の権利であり、行政の義務であるかのように神様でも不可能な無茶ブリをします。

テレビは何様だと毒づきながら、震災特番をザッピングしていると、テレビ東京だけは「エイリアン4」を放送していました。なんだかホッとしたのは、追悼を強制するかのテレビ報道が、被災地を非日常の空間のように取り扱っていることへのアンチテーゼに見えたからです。

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