選挙は大変だとぼやく旧友に「やめれば?」と訊ねると、ニヤリと笑い
「権力はなぁ・・・麻薬なんだよ」
知り合いの社長から聞いた話。婿入りした先が政治の家系だとかで、地方議会議員となり、上手くいけば国政の扉が開く野心を隠さずに、しかし旧友に本音を吐露したときの言葉で、あのときの奴の目が忘れられないといいます。
換言すれば、権力はそれが目的化するということです。
暴力に似ています。「暴力」イコール否定の風潮がありますが、ここでの暴力は我が身を守り、相手を傷つけることができる攻撃力という意味です。
13才の頃。小学生時代は同級生として一括りだった級友が「不良」となります。なぜだかわたしは目をつけられ、呼び出され説教されます。校舎のはずれにある誰も足を運ばない夕闇の教室で不良は10数人。うるさいだなんだと責め立てられ、静かにすると約束をさせられます。
振り返れば理不尽な話しですが、日頃なかよくしゃべっていた女子のひとりを、不良のひとりが惚れていて、目障りだったというのが事の真相。
でもね。こういうバカを相手に一歩引いたら図に乗るのです。韓国や中国と同じです。的に掛けられました。イジメの始まり・・・だったのですが、暴力に関しては躾という名において家庭内で親しく接しており、なにより理不尽にいつまでも耐えている日本国民ほど我慢強くもありません。
不良のひとりが調子に乗り、暴力をふるってきたことにカチンときて反撃します。不良のずるいところは、もみ合いになると仲裁と称して、加勢することです。ここら辺も周辺二国にそっくりです。
教師が近づいたこともあり、一端中止となりましたが、その後も挑発が続きます。別件ですが、高校時代にも同様のことがあり、相手は不良ではなく一学年上のバレー部の連中でしたが、集団(実はこれも力)を背景にするものは同じ行動パターンになることを後に知ります。
どうして不良如きに説教されなければならないのか。また、それに従ったのは恐怖に屈した卑怯な振る舞いで自分を恥じました。卑怯とは日本古来の価値観において、もっとも恥ずべき行為です。
解決手段として選択したのが「暴力」です。亡父に「殴り方」を教わり、それから2年ほど、ほぼ毎日、薪藁(丸太などに荒縄を巻いたもの)を殴り続けて右手の拳の骨が変形し、後にギターなどをはじめたときにスリーフィンガーにチャレンジすると、手の甲の骨が突っ張り難儀し、挫折する後遺症に見舞われます。
ぬきんでた暴力を身につけたわけではありませんが、殴る技術だけは身につけたので、その後、件の不良グループから2回ほど挑戦され、そのうちの一回は事実上の番長(古いですね)だったのですが、なんとか退けることができました。
人が変わったわけではありませんが、うっかりすると暴力で解決しようと考える思考回路は暴力により得たものです。
だからこそ、諸説有りますが、後にゴッドハンドこと、極真空手の創始者、故 大山倍達総裁の言葉として知った
「力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり」
を心に刻んでおります。と断った上での告白です。
「暴力には本能的な快楽がある」
本能に耽溺するかしないかはその人のありよう。己や家族の身を守るためや、戦うべき時を知るのか、本能に流されるのかは大きく異なります。
権力も同じです。権力を持っている人にひれ伏すものは多く、先生と持ち上げられて悪い気がするものは少数派。まして選挙という公的なプロセスを経て得た身分により、権力の使用を白紙委任されたと錯覚する人が現れることは不思議ではありません。
そして政治家のもつ権力は、法律を作るという最強の力です。いうなればサッカー試合で、オフサイド基準を自分好みに変更できる選手のようなものです。
もちろん職権濫用。ただし、明確に違反とされていなければ合法であり、暴走抑制システムは「良心」以外にはありません。
民主党による政権交代が、彼らが「平家」になったことは何度も指摘しました。そしていま、自民党が「平家」になりつつあります。
TPP反対を掲げながら、前のめりになっているのもそのひとつですが、最たる例が
「タクシー規制強化」
です。
政府による需給調整が撤廃された2002年以降、新規参入や増車が原則自由になりました。わたしの近所でも自動車修理工場がタクシー業界に参入していました。
しかし、「台数が増えすぎて、運転手の生計がたたない」「生活保護より少ない収入」などと社会問題とされ、2009年から再規制がはじまり、ほぼ全ての大都市で増車や新規参入が制限されます。
これを受けてか、近所のタクシー会社は廃業したのか、縮小したのかわかりませんが、車両を見かける機会がグッと減りました。
これをさらに規制しようというのが
「タクシー サービス向上 安心利用推進法案」
まぁ「安心」といれるのは安心でないときで、ヤクザと詐欺の口上と同じです。
法律の骨子はこう。
“国土交通相が大都市などを特定地域と指定し、特定地域内では3年間、タクシー業の新規参入や台数の増加が禁止される。さらに、事業者に対し、強制的にタクシーの台数の削減を義務づけることができ、応じない業者には、営業停止などの行政処分が下される”
(FNNニュースより http://goo.gl/BT2Ewd )
端的に言って「恣意的な運用」が可能となるルールで、国交大臣が指定した地域においては、新規参入が不可能となり、台数の削減義務が課せられれば、弱小事業者は廃業を余儀なくされ、既得権を持つ大手タクシー事業者を利するだけの法律。つまりは、政治にすり寄れば得をするという、平家に群がる政商促進法です。
タクシー業界だけを見ているからこういうバカ法ができるのです。
選良足る政治家をバカと断じる論拠を示しましょう。
「安い賃金で働く自由がある」
そう、生活ができないと嘆くタクシードライバーを選択したのは、タクシードライバーです。仮に甘い言葉で引き入れて、薄給でこき使う某居酒屋(そういえば、ここの創業者も自民党の議員になってましたね)のようならば、我々日本国民には
「退社の自由」
があるのです。奴隷ではないのですから。古代ローマ人における「奴隷」の定義とは、自分の人生を決める自由のない人というニュアンスで、アフリカ諸国から「輸出」されていた黒人奴隷とは異なります。
そんなことはない。誰もがより高い給料が欲しいものだ。
もちろん、くれるものを断る人は希でしょうが、その職業の賃金が安くても望んで働く人がいるのも事実です。最たるものが
「アニメーター」
です。アニメーターの低賃金体質は、一説によれば手塚治虫が作ったという話しもありますが、この30年改善される兆しすらありません。30年と断言できるのは、一瞬だけわたしも目指したことがあるからです。
拳の骨を変形させていた頃、絵を描くことが好きで、それを仕事にできないかと考えアニメーターという職業を知ります。ところが月収は5〜6万円。慣れてきても10万円ちょっと。親と同居でなんとか食べているというアニメ雑誌の記事により挫折します。
母親がサラ金に作った借金を残し蒸発していたわが家において、かじるスネなどなかったからです。
21世紀になっても、アニメーターはいまだに貧困の中にいて、それでもクールジャパン(これも実に胡散臭い)とやらが背中を押しているのか、アニメ作品は量産されています(オタ向け)。
そう、彼らは
「安い賃金で働く自由」
を行使しているのです。
翻りタクシードライバーはどうでしょうか?
事務所のある足立区舎人は、10年ほど前になりますが、フジテレビのドキュメンタリー番組で、「タクシー村」と称されたほど、個人タクシーのお宅が多い地域です。事実、ウチの私道沿いだけで、12の世帯数のうち元も含めると5軒。
みな個人タクシーで、結構な年輩が多いのですが、悠々自適な勤務を続けています。個人タクシーは上客を捕まえているのです。
上客を得るには相応の営業努力が必要です。話し上手を武器とする人もいれば、裏道抜け道に詳しいドライバー、運転技術が確かであったり、社内がいつも清潔であったりと、なまけていてお客の支持を得られることなどありません。
これは会社勤めのタクシードライバーにも通じます。出店は忘れましたが、タクシードライバーがこう答えている記事を読みました。
“乗車年数を重ね、客を拾うコツを掴んだ。大変だけど徐々に水揚げは増えている”
当然の話です。一方、日中から駅前に並び、同僚とタバコを吸いながらお喋りに興じ、あるいは日陰のある公園に路上駐車して惰眠を貪り、パチンコ店に出入りするタクシードライバーもいます。
一律の規制とはこうした努力しないドライバーを保護することにつながりかねません。つまり
「タクシー サービス向上 安心利用推進法案」
という名前に資さない可能性があるということです。
安い賃金と喧伝されながらも、タクシードライバーになるということは、安い賃金で働くことを望んでいるということです。そしてその職場での努力も放棄しているものを、どうして保護しなければならないのでしょうか。
大切なことなので繰り返します。
「退社の自由」
があるのです。タクシー業界に問題があることは理解しています。ドライバーが生活保護以下と喘ぎながらも、タクシー企業の連鎖倒産を耳にしないと言うことは、会社は損をしていないということであり、そこに搾取の構造があることは疑いようがありません。
ならばタクシードライバーにならなければ良いのです。
事実、バブル期はタクシー需要に供給が追いつかず、奴らは横柄で阿漕でした・・とは本件とずれますが、ただし、タクシードライバーを希望するものも少なく、各社は各種免許の取得や、寮設備など福利厚生の拡充により従業員の確保をめざしていました。
つまり就職希望者が少なければ、企業は厚遇で迎え、その反対は冷遇するということです。
2009年の規制時には仙台のドライバーの生活苦が例に挙げられました。
さて、いま仙台はどうでしょうか。知人の話では楽天の優勝により・・・ではなく、復興景気で沸きに沸いているといいます。それでもタクシードライバーは生活苦に喘いでいるのでしょうか。
ならば解決方法は簡単です。転職です。
いま、建築業界は未曾有の人材不足に喘いでいます。未経験者でも、汗を流すことを厭わなければ、すくなくとも生活保護よりおおくの賃金を手にすることができます。デフレと下請けイジメで賃金は叩かれましたが、それでも身体を使う職業の場合、「食べる」ことも仕事のウチで、食べられる分ぐらいの手間賃は支給されるのです。ちなみに、いまこの賃金は上昇基調です。
食べていける仕事はあるのです。
なぜ、タクシーだけ規制により保護しなければならないのでしょうか。タクシードライバーは絶滅危惧種ではないのですから。
建築業界も機械化が進み、昭和時代と比較して肉体労働の割合は減っています。高年齢で建築業へのガテンはきついかも知れませんが、食えないよりはマシで、わたしが身体を鍛えているのは、いざというときセメント袋を担げるようにしておくためです。
中年タクシードライバーなら、自動車免許は旧制度のものでしょう。すると8トン車(旧基準の4トン)を運転できます。新制度で免許を取得した若手は、5トン未満しか運転できません。高所作業車のなかにはこれに触れる車両があります。
また、高所作業車をレンタルしたとき、現場まで届けてくれるサービスもあるそうですが、するとそこまでの移動に「運転」は必要となります。
アマゾンでは当日配達を行うなど、ネット通販の拡大により、宅配便の需要も急増しています。ここでも運転は重要なキーワードです。
つまり、体を使う仕事か、運転免許が活かせる職種を探すか、運転プラス体を使う仕事につくなら、生活することは可能ということです。
裏返せば、体も頭も、どちらも使いたくない人がタクシードライバーにすがりついているのです。あ、もちろん、しっかり稼いでいるタクシードライバーはこの限りではありません。
いや、俺はタクシードライバーが好きなんだ。
『あまちゃん』における主人公の父親などはこのタイプかも知れません。そしてその上で生活保護費の以下の収入だというのならば
「安い賃金で働く自由」
を行使したに過ぎません。規制を持って国家が救う必要がどこにあるのでしょうか。
つっこみが面倒なので記しておきますが、障害者や健康にハンディキャップをもった人をひっくるめての議論ではありません。それは福祉の仕事です。
自民党の平家化においてタクシードライバーは一例です。
そしてわたしは安倍首相の「保守」に疑義を持ち始めています。
このタクシー規制など最たるもので、選択的労働弱者まで保護するって社会主義や共産主義者のやることですからね。
高校無償化の見直しも年収910万円って、ボーナスを夏冬合わせて4ヶ月とした16ヶ月で割り算すると、月収56.8万円ですよ。これで10人の子持ちというのなら大変・・・ってそうなると、子ども手当もそれまでにガッツリもらっているわけで。
安倍は保守か? いまもっとも注目しているトピックです。
安倍首相は政権を維持することだけを目的化し、思想信条とはかけ離れた政策でも取り入れているのではないか。つまりは権力を握り続けることを目的化していないか。権力は麻薬です。
靖国にも行かないし。