いまさら感が漂うネタですが、誰も突っ込まないので。
最高齢の篠田麻里子嬢で27才。昭和の感覚においてアイドルとすれば詐欺的な高齢とはいえ、不惑を越えたおっさんからすれば愛らしいお嬢さんのひとりに過ぎず、頑張れと応援することはやぶさかではありません。というか、面白いことをやっているなぁとずっと注目していたのは「マーケティング」の視点によります。
日本の芸能界は世界的に見て異常な業界で、テレビへの露出が人気を左右します。ネット系アイドルなども居ますが、所詮はネット限定のローカルアイドルで、三丁目のタバコ屋の看板娘に毛が生えた程度です。つまりテレビの露出が人気を左右します。
AKB48は秋葉原の劇場からでた。最初は7人しかいない観客の前で、そこから一歩ずつ階段を登っていった。
CRぱちんこAKB48のリーチ予告でも流されますが、これは巧みに事実を述べながら、真実を表していない見事な演出です。
だって
「秋元康が会いに行けるアイドルをプロデュース」
って、一期生が集まる前から、すべてのメディアで大騒ぎしていたからです。つまり、彼女たちはスタート時点から有利な立場にあったのです。もちろん、有利な立場だけで、成功するほど甘い世界ではありませんが、有利な立場を与えられ続ければ、競争が有利になることは自明です。
卑下しているのではありません。事実を述べているのです。
「秋元康」
という看板、その人脈、そして彼のバイタリティはそれだけの価値があるのです。ジョーカーが必ず手の内にありながらポーカーをするようなものです。
そしてウィキペディア情報によれば、先の7人の観客というのも巧妙な演出で、その他に65人の関係者が観劇していたというのですから、言葉で語るほど悲惨なものではなかったことでしょう。アマチュアバンドなら7人でも多いほどですと過去の自分に涙。
むしろ関係者が65人集まったことに意味があると見るべきではないでしょうか。その「内訳」です。業界関係者なら顔見世興行というか内覧会で、一般客の人数などむしろ少ない方が話題性を集めます。
「あの、秋元康プロデュースでこけた」
とね。
しかし、初期のブログを見れば、分かることですが、公演デビューを果たしてから10日もせずに、
「お台場Hot☆Fantasy」
に出演しています。ウジテレビ・・・もとい、フジテレビの冬の公共財である電波を使って集客し、小金をせしめるためのイベントです。
同じくブログには、翌月(翌年)のTBSの深夜ドラマのエンディングテーマに採用されており、どちらも「テレビ露出」です。以下、詳述が面倒なので避けますが、万事がこの調子で、のし上がった、這い上がったというより
「アイドルの王道」
です。劇場かサンシャインシティかの違いです。
イメージ戦略の勝利。というのが彼女らの成功の半面です。
イメージ戦略でいうなら、またの緩さが週刊文春により、次々と暴露されていますが、先週みつかった「しょたこん手ぶら」で児童ポルノに触れた河西智美嬢の、AKB運営会社の社長との深夜の密会。
報道を信じるかどうかはともかく、大所高所から説教垂れて何様?感がとみに激しいTBS「アッコにおまかせ」で和田アキ子はこれに触れません。
河西智美嬢はホリプロ。
和田アキ子は言わずと知ればホリプロのゴッドネーちゃん。
以前、テレ朝系バラエティー番組「いきなり!黄金伝説。」をバックれたときも生ぬるくスルーしていましたが、都合の悪い情報に触れないのは芸能界も三菱自動車も同じです。
なにもないなら、ないとフォローをいれるゴッドネーちゃんが口を閉ざすあたりに、事情が見えてきます。
以前にも触れたと思いますが「ガチ」とはイメージ戦略上の印象操作に過ぎず、疑い出せば「ジャンケン大会」どころか、「総選挙」すら怪しく見えてきます。ちなみにわたしはそう見ています。エンタメですからね。そしてそれを非難はしないのは、プロレスのそれと同じ。また、本当に筋書きがなくても困らないところに、誰も突っ込みをいれないのも優しいなぁと。
なぜなら「センターポジション=メインボーカル」ではないということ、というか彼女らにとってそれは意味を為さないという告白だからです。かつてスマップから森くんが抜けたとき、頭を抱えたのはレコード会社といいます。スマップの音程の不確かさは、日本芸能史上、追随を許さないといっても過言ではありませんでした。その中で森くんだけは、普通に歌えたので、彼のボーカルをベースに声を重ねていたそうです。
いまはといえば、3〜4万円ほどのソフトで音程を調整することができるので、こうした苦悩は不用といえますが、コンサートなどで、AKBの誰がメインボーカルを務めて、変わらぬ品質の歌声を提供できるということでしょうか。彼女たちの生歌には、ファンが悲鳴を上げたほどですので、ゲテモノ趣味的なその視点からの品質ならばともかく、一般市民の鑑賞に堪えられるものとなれば、本来はメンバーは限定されて然るべきです。
しかし、ジャンケンでも選挙でも誰でもOKという大胆さとは、センターに立つこととセンターで歌うことは別物という宣言なのです。だから、一連の販促イベントを前提する時点で、彼女たちの口パクを批判するのは「空気が読めない」となります。
イメージ戦略が奏効して突っ込まれませんが、頑張っていることと音程は比例せず、成功もしかりです。頑張っている感と、実力をあえて混同させるイメージ戦略は見事と唸ります。
ただし、ほころびは随所に溢れています。
河西智美嬢がソロデビューのきっかけとなった競馬番組は20才を過ぎたAKBメンバーの「ガチ」投票とのことですが、先日は片山陽加さんというメンバーの予想が「手違い」で当選無効となっていました。本当に「ガチ」なら、メンバーの将来まで左右する大事件ですが、さらっと流されるのがAKB48らしさです。
さらにいえば、なぜアイドルグループが競馬なのか?
先の河西智美嬢と噂になった社長は、馬主として有名人ですが、邪推に過ぎないとこれはつっこみません。
過去の「恋愛騒動」にしても、処分基準と内容は不明瞭です。ガチだとするならば、理不尽に過ぎます。
プロデューサーの広井王子と噂になった秋元才加嬢は、彼の演出する舞台によくでていたとかも邪推に過ぎないのでしょうが、そもそも秋元康の奥さんは、おニャン子クラブの「うしろゆびさされ組」の高井麻巳子。面倒見ているタレントに手を出す・・・親しくなるのは自然な流れの恋愛ならば止められはしませんが、そうした空気感があるのではとみるのが一般論です。かつての芸能界ではタブーとされた「お手つき」です。
こうした周辺情報から見るに、「恋愛禁止条例」なるものが、イメージ戦略に過ぎないことが透けて見えます。そもそも恋愛禁止と謳いながら、プロモーションビデオやドラマではキスをさせているのは、なんというのでしょうか、AV女優にプライベートのエッチを禁じるようなものでしょうか。
流れ弾をあてるようで心苦しいのですが、恋愛禁止条例を遵守しているモーニング娘。系列(ハロプロと呼びます)では、AKB48が生まれた2005年にモーニング娘。を「卒業(中退でしょ?)」しています。小栗旬との夜遊びがばれてのことです。
穿った見方をすれば、すでに凋落傾向にあったとはいえアイドル業界のセンターにいたモーニング娘。の、屋台骨 矢口真里の卒業により生まれる空席を狙ったプロジェクトがAKB48ではなかった・・・とは陰謀史観に過ぎるでしょうか。ただ、時期だけはバッチリ符合します。
まぁともかく見事なイメージ戦略の勝利で素晴らしいと感嘆するばかりですが、もう半面なくしてAKBのブレイクはなかったと言えるでしょう。キーワードは
「エロ」
最近は控えめですが、彼女たちのグラビアには必ずといって良いほど白いビキニのカットがありました。
それが意味するものは
「下着」
です。PVで下着を晒している彼女たちですから、下着に見える水着を着たからと騒ぐことではありませんが、週刊少年サンデーやマガジンなど、少年誌のクラビアでも半裸を晒しています。
ディープな話になりますが、白ビキニを下着のイメージに重ねたのはお菓子系雑誌という、平たく言えばエロ本から生まれた技術とされており、それ単体は健康的でも別のものと複合し、あるいは一部をクローズアップすることにより
「エロい妄想もできる」
という発明です。雑誌社としてはあくまで水着だと言い張ることで、児童ポルノとされることを回避できるからです。
この路線で鮮烈だったのは小倉優子さんです。
スクール水着を着た少女が飛び込み台でしゃがみ込み、そのお尻だけをアップにしたグラビアがありました。コンビニで立ち読みしていて「二度見」しました。なんじゃこりゃと。コンビニでエロ本が封印される前のことだと記憶しています。
スクール水着を着た少女が飛び込み台にいる。健全な目で見れば健全です。お尻のアップもそうですね・・・「飛び込む勇気の出ない少女の絵」と解釈できなくもありません。もちろん、そうみるものは希でしょうが。
白ビキニも同じです。下着じゃないです。かりにセーラー服を身にまとい、スカートひらりで中身が見えても下着じゃないです水着です。だからエロくないんです。エロい想像をするのは勝手ですが。というのがAKB48のグラビアの特徴だったのです。あとセクシー系グラビアの定番である、ワンサイズしたの水着もAKB48はしっかり踏襲しています。
口移しでお菓子を受け渡すCMは批判を受けて中止となりましたが、それはキャバクラでのポッキーゲームで、ほぼすべてのシーンでエロの要素を盛り込んでいるのがAKBのブレイク理由の残り半分です。
少し前まで流れていた「ムシューダ」のCMで、HKT(AKB博多)のメンバーが、小さなタンスの引き出しを、足で閉めるシーンでは、わざわざ開脚する
「足がわ」
からのアングルを採用しているのも、エロく見えるのはあなたがエロく見ているから。というもの。意図的なエロですがね。だって群舞の美しさ、伸ばした足のキレイさを見せるなら、正面からのカットが一番だからです。
そもそもステージ衣装もパンツが見えそうで見えない(衣装の構造的に見えないのですがね)ところもエロの仕掛けです。
ここまで書いた時点で、実はファンなのだろうという疑問を持たれたのなら、それへの答えと「エロ」という結論に辿り着いた理由は同じなのでまとめます。
「AKB48とはフレンチカンカン」
AKBではなくSKD。わたしの子供の頃には「松竹歌劇団」が活動していて、折に触れてテレビでも紹介されていました。足を上げて、スカートの中をみせるようでいて、見えないこと踊りに素朴な疑問を父にぶつけます。
「何をやっているの?」
ニヤリと笑った父は
「パンツが見えるかも、で見せない。そこがいいんだよ」
語感からエロと察することはできました。しかし、性癖なのでしょう踊って足を見せられても何も感じません。むしろ、くるぶしぐらいまでのスカートをはいてそこから見える・・・コホン。
というかまだ幼かったことも理由でしょうが、何も感じなかった経験が刷り込まれ、あられもない姿で躍る女性に性的興奮を感じません。しかし、それが「エロの記号」ということだけは記憶したのです。そこからAKB=フレンチカンカン=エロと閃きます。
つまり「エロの記号」を巧妙に織りこむことで、少年誌から青年誌まで「露出」でき、フレンチカンカンにより規制の激しいテレビの向こう側から「ぷちエロ」をまき散らすことができたということです。確認しようがない未確認情報に依れば、ギャラも格安だったと耳にしており、すると出版不況の折、さらに規制のやかましい昨今、重宝なコンテンツだったと言えるでしょう。
以前、「ガチ。という虚構がAKB商法の神髄」としましたが、彼女らの裏メニューは「エロ」なのです。そして誰でも注文できる裏メニューです。
「イメージ戦略」がエロを裏メニューに隠します。ガチに代表される「友情、努力、勝利」の演出により「エロ臭」を抑えることに成功したのです。
つまり、シンデレラストーリーではなくサクセスストーリーであることが重要だったのです。有名プロデューサーとその人脈に、芸能事務所各社の思惑から生まれたアイドルにエロを重ねることはできません。性接待に代表される、芸能界の暗部が強調されるからです。そこを力士が裸を恥ずかしがらないように、彼女たちもまた水着・・・下着ではなく・・・も戦闘服なのだと錯覚させたことが、最大のポイントです。
そしてイメージ戦略が「免罪符」となります。堂々とエロを見て良いと。一所懸命な少女を応援しているんであって、生足を見ているわけではないと。そして熱狂するにつれ、手段と目的がすり替えられることはよくあることで、そこまでいけば信者の誕生です。
最初に触れたように、デビュー直後からちょろちょろテレビに出演しており、その割りには、売れるまで時間がかかったグループで、日本テレビの朝の情報番組「スッキリ」のなかで加藤浩次に「冷笑」をもって迎えられていたものです。
はじめてオリコンのウィークリーランキング1位を「リバー」がとったときなど「だれそれ?」という程度のリアクションで、天の声こと山里亮太が空回り気味に大騒ぎしていた・・・これがデビュー丸4年のできことで、前々年の2007年には「アキバ枠」ということで、中川翔子や「グラビア界の黒船」ことリア・ディゾンとともに初出場していたことを思い出せば、どれだけ猛プッシュしてもなかなか売れず、その点では「頑張った」んだというサクセスストーリーに嘘はなく、事実を述べながら、真実を表していない見事な演出といったところでしょうか。
いまから5年ほど前だったと思うのですが、AKBがブレイクしたとメディアが騒ぎ始めたころ、母校の高校で話す機会があったときに「AKB」に触れたところ、ファンと公言したのは40人の生徒のなかでひとりだけでした。彼女たちへの違和感はこれが出発点です。その後同じ匂いをK−POPから感じたのは余談です。
業界における圧倒的優位とエロ、それらを覆い隠すイメージ戦略。
これがAKB48のマーケティングの正体です。
握手会だって沖田浩之が歌ったところのソフトな「B」です。というかそうでしょ? フォークダンスで触れた女子の手を思い出せば、かつての少年達は誰もが頷くことでしょう。
いまさら感の漂う「AKBネタ」ですが、ここで蔵出ししておかないと、使うタイミングがなくなる可能性が高いなぁと。次々と脱走兵が生まれてますからね。