節電の夏・・・昨夏、関東では耳にたこができるほど聞いた言葉
ですが、これからはこれが当たり前になるのでしょう・・・とは
大嘘です。節電は東電がバリバリ原発の安全神話を垂れ流していた
ときから繰り返されていたことです。関東地方の方なら覚えている
でしょう。
「ジャーン、電気は大切に」
というデンコちゃんのかけ声を。つまり、これからではなく、
今まで通りということ。些末なことのようですが、こうした歴史の
継続性は情報を読み解く上で欠かせない視点なのです。
お為ごかしか謀っていたのか、はたまた本気かはともかく、節電
とはオイルショック以降くりかえし叫ばれてきたことであり、
「エアコンの設定温度は28度」
というのもそれ。
で、それを守ってきたかといえばどうでしょう。個々人の家庭を
網羅することは不可能ですが、ひとつだけ言えることは、これらを
啓発するべきテレビ局は守ってきていなかったと断言できます。
かつての「オイルショック」のころ、わたしは子供で実感として
はありませんが、深夜放送は自粛されました。実際に体感したのは
湾岸戦争でエネルギー供給に不安が見られたときです。
20代前半の闇雲なエネルギーを抱えて、夜に目を閉じることを
拒否していた時代、深夜放送の終了は世界からの隔絶を感じさせる
のに充分でした。インターネットとケータイ電話が普及するはるか
以前の話しです。それでは静かに寝たかといえば、レンタルビデオ
店に深夜族が殺到したことが懐かしい想い出です。
そして「政権交代前夜」の2008年、原油高に喘ぐ日本経済に
一石を投じるために時の与党である自民党は
「深夜放送の自粛」
を打ち出したら、テレビ局はもちろん
「ネット世論は猛反発」
したことは記憶に新しい所です。テレビ局は己の銭儲けのためで
いま、脱原発を唱えている電波芸者・・・もとい、有識者もそれは
違う、言論規制につながると拡大解釈して元気に自民党を攻撃して
いました。
ネット世論で目立ったのは
「深夜アニメが見られなくなる」
・・・どこまでも自分の都合です・・・が、これが「大衆」の
本質です。
関西人に自主的な節電は難しいと考えています。
わたしの血筋が関西で、幼い頃から関西系の人間と触れる機会が
多かったこと私的体験を基にしているのですが、一般論として
彼らは自分の利益に敏感で、権利を死守しようとする傾向がありま
す。それは電気使用の自粛を呼びかけたときに
「なんであかんの?」
と返すかの如く。自分勝手なワガママ放題というのとは少し
ニュアンスが異なります。いっそ、計画停電を強行して、電気が
止まった暁には太陽光パネルを設置しているお宅の周辺で
「たこ足配線」
して電気を融通しあい、計画停電の区割りの境目では、
工事現場用の延長コードを用いて、電気を分け合うといった
独自の発想で逞しく、生活を楽しむことでしょう。
どちらも「節電」とは、厳密には言えませんが、関西人的発想
でいえば「自衛策」であり、そこには
「お上を信用していない」
地域性があるからです。
そのため「くいだおれ太郎」が節電のため、電気を止めたと
また話題集めが上手な権利を持つ会社が仕掛けたと苦笑いする
報道がありましたが、「太郎」が置かれる通路のシャンデリアや
地下へ向かうエスカレーターは稼働し、そこにはクリスマスツリー
に巻き付けるかのような安っぽい照明が点灯していました。
昼間の映像です。昨年の関東では、日中、室内の照明を落とし
て営業するコンビニは珍しくなく、下りのエスカレーターを止め
ている商業施設は沢山ありました。
本気で節電を啓発するのなら、昨夏の関東での実例を持って
関西に苦言を呈する・・・ことをメディアがするわけがありま
せん。この国ではいつからか、客に文句を言えなくなりました。
わたしはいいますがね。
で、関西と言えば「脱原発」。いままで足立区民として
出生地とはいえ大阪府、その後、大阪市の首長として活躍する
橋下徹氏の話題は避けてきました。
地域の代表は地域の住民の総意であり、わが街足立区から
民主党のサラリーマンと広言し、いまその会社を去った3P
好きの平山泰朗氏でさえ、区民が選んだのです。それよりは
幾ばくかマシであろう人材にもの申すのは僭越と控えていた
のですが、どうやら「国政」を狙っているようなので少しだけ
触れておきます。
橋下徹さんの発言はぶれまくっています。原発再稼働容認
だけではなく、そもそもの政策レベルから絶えず・・・あ、
良い言葉を使えば「進化」しているともいえますが、わたしに
は場当たり的に、国民受けする方を・・・それは妥協の産物
とニュアンスが異なるのは、
「分かりやすい敵が作れる方」
をチョイスをしているように見えるのです。そしてこれは
いつものことですが、微妙な判断を求められる、前提条件が
変わればどちらを選択しても良い・・・再稼働に代表される
ような問題に関しては語尾を濁し、あるいはオプションの
可能性を提示しています。
商売の現場にいるものとしみれば、当たり前のことですが
これが最悪にでたのが、昨年のペテン師 菅直人であり、
あの馬鹿が
「来るべき時がきたら若い世代に引き継ぐ」
という発言も幾つかの可能性を示唆したものです。
来るべき時・・・とはどの時とは明示していません。
きたら・・・来なかったら? 続投と宣言しているのです。
若い世代・・・の定義とは?
引き継ぐ・・・形にして院政を敷く可能性は?
橋下徹さんもこうしたレトリックを多用しています。
分かりやすい言葉を元気よく発言し、それがマスコミが
飛びつく理由でもありますが、それだけを評価するなら
小学生の国語の授業と同じです。
そもそも「脱原発」を掲げるなら、「原発容認」である
石原慎太郎ちゃん・・・もとい都知事閣下と手を組むのは
論外であるはずだからです。そういえば永田町の不動産王
小沢一郎を橋下徹氏は絶賛していましたっけねぇ。
洩れ伝わる彼の政治家としてのそれをみていると、府政
市政はともかく、発言をみるかぎり政治屋のそれとなんら
かわらないのです。
もっといえば都合の良い、みみざわりの良い、目立つこと
ばかり大声で叫ぶ姿は、政権交代前の民主党と同じです。
その彼が率いる「維新の会」に期待を寄せるという世論が
高いと言うことは、この国の国民はなにひとつ学習していな
いという絶望を認めなければなりません。
仮にこういう人もいるでしょう。
「脱原発を旗幟鮮明にする維新の会だから期待する」
・・・計画停電をつきつけられてあっさり手のひらを返し
たことはどう総括するのか気になるところですが、脱原発の
デモが大規模になったと海外のメディアも報じました。
ただ、今回の再稼働は関電で、関電前ではユーチューブ
情報によれば2000人ほど・・・映像を見るともっと少ない
気もするのですが、まぁこの数字はなかなか正直で好感を
もちました。
一方での大規模デモですが、これは永田町、首相官邸前
での「週末ヒロイン ももいろクローバーZ」。
コホン、もとい。毎週末に脱原発のためのデモが行われ
ております。自発的に集まったといいっていますが、この
自発的とは特定の思想の組合や団体、あるいはフリーランス
のプロ市民ではないというニュアンスで、ツイッターなどで
動員をかけていることから「自発的」という語感に違和感は
ありますが、これなどとても些末な話しです。
確かに毎週末にデモの参加者が増え、先週末はなんと
20万人を越えたと主催者発表されたとかしないとか。
20万人です。ただし、警視庁は1万7千人と発表。
左派系のニュースサイトでは警視庁の発表を批判する記事
もありましたが、わたしは1万人以上集まっただけでも
凄いと思っていたのですが、日曜日には再稼働の現地である
大飯に300人の活動家・・・もとい反対する市民が集結
・・・あれ? 遠いからかな・・・と思っていたら新宿でも
デモが行われそれは4000人。
20万人のデモは金曜日の夕方。正確な日時は6月29日
の午後6時開始予定。まともな中小企業に勤める会社員なら
月末に追われ、定時退社など叶わないというのが世間相場。
ましてボーナス前(中小企業なので)で査定はあらましで
ているでしょうが、会社への忠誠心を意識する頃。なにがど
うして
「月末の金曜日の夕方6時」
に集まれるのでしょうか。公務員やそれに準じる職業なら
可能でしょうが、すると組合の影が見え、そこから左派系の
活動家の動員も疑われますが、事実確認のしようがないので
これはスルーします。
いや、そうではない。仕事を切り上げ、職場で睨まれたと
しても「脱原発」の声を上げなければならない!!
として、ならばどうして天下御免の休日の日曜日の新宿は
4千人だったのでしょうか。どうして大飯は300人だった
のでしょうか。
ここでひとつの仮説です。
「会社帰りにちょっと寄り道で脱原発を訴えるのはともかく
貴重な休みにわざわざでかけてまでは再稼働ハンターイと
さけぶのはちょっと」
電気を浪費するスマホを使いツイッターで「デモなう」と
叫ぶようなライトな感覚、そして休日はつぶしたくなく、
寄り道の道草なら食べようとする、どこか自分の日常から
切り離した無責任な脱原発論をそこに見つけてしまうのです。
それは「無理のない節電」を呼びかけながら「再稼働」に
眉根を寄せる電波芸者と同じです。いままでの生活に対して
無理がおこらない程度の節電なら電力不足は否めません。
もちろん、東電や政府のいうことを鵜呑みにしているわけ
ではありませんし、繰り返しになりますが、わたしは脱原発
を唱えてつづけていますが、原発は止めました、あしたから
無毒になりますという性質のものではないので、現実的な
着地点が必要となるのです。
そのために一時的な再稼働・・・これは夏場だけという場
当たり的なものではなく、10年単位での・・・をしながら
廃炉費用と、その研究を進めていき、同時に代替エネルギー
を用意しなければならないのです。
例えは悪いかも知れませんが、長い間同棲を続け、金の貸し
借りから、互いに深く刻み込まれたキズをもつ彼女を、簡単に
捨てられないのと同じです。別れるに当たっては、色々な
ケジメをつけなければならない・・・とわたしは考え、
急進的な脱原発派の主張が
「イヤになった女など捨てれば良い」
と聞こえて不快です。
字数が・・・正確には執筆時間が尽きてきているので、
いまの脱原発派の活動に同意できないのはやはり、左派の影
がちらつくのも大きな理由です。先ほど、ボンヤリと指摘し
たように、都合の良い情報をつなぎ合わせて正義を語るのは、
菅直人と同じ人間のクズです。
で、さきの「20万人」。1万7千人でも充分ですが
集会人数を水増しするのはプロ市民の常套手段です。
そこでITジャーナリストらしく「IT」を駆使して検証
します。
グーグルマップでみた首相官邸前の道路はおおよそ20m
ほどです。ユーチューブなどで見るデモ映像は歩道だけでし
たが、仮に車道まで占拠するほどの大規模デモだったとします。
今度はマピオンが提供する「距離測」で首相官邸周囲を
測定すると、敷地に沿った一周で1.2kmです。
それでは20万人とはどれくらいの規模になるのかと
ネットで検索すると、バンド「グレイ」の大規模コンサート
を発見しました。
そしてウィキペディアによればこの20万人コンサート
「GLAY EXPO」の会場規模は
700m×264m
とあり、先の道幅20mで20万人を納めるには
700×264÷20=9240m
となります。すると官邸を7.7周です。
1周あたりの人数は
20万人÷7.7周=25974人
となります。官公庁の端といえ、1周まわる分はともかく、
周回をまつ6.7周分=17万人はどこで控えていたので
しょうか
行列をなしていたとします。
これも先の距離測ではかります。
首相官邸から南に抜けると高速道路があり、これは
国道246と重なり、比較的直線が多いのでこれを列んで
待ったと仮定します。
すると六本木を超え西麻布、南青山を眺めながら渋谷の
ヒカリエの南を東から西へぬけ、さらに進み池尻大橋は
サクッとクリアし、三軒茶屋を過ぎ、駒澤大学あたりまで
人が列んだ計算です。それも横幅20mですから、車道まで
はみ出していることは言うまでもありません。
20万人とはそういう数字です。
菅直人などは目的のために手段が正当化されると思ってい
る典型的なチンピラ左翼の思想・・・あ、彼の目的は自分が
政治屋であり続けること・・・ですが、脱原発を真剣に
考えて行動している人がいるなら、こんな粗忽なウソは
自分たちで訂正し、正しい情報、正しい国民の声を伝える
努力をしているという活動を寡聞にして知らず、とても
悲しい気持ちになります。
1周25974人で、歩道とはみ出した人をいれて、半分
として13000人弱、そして反対車線と周囲の人数を加算
した警視庁発表の1万7千人のほうがリアリティがあります。
政府も東電も嘘つきだ・・・これは否定しません。
しかし、嘘つきを倒すために嘘をついて良いという
菅直人のような論法に頷くことなどできません。
急進的な脱原発への道は節電・・・無理を重ねる節電の道
です。それを選択するのもひとつです。わたしのように
この10年、ノーエアコンで過ごしていれば、それほど無理な
ことではありませんが、真夏に取材にきた大手新聞の記者は
いまでもあうたび、暑かったと愚痴をこぼします。
無理せず節電しながら、原発を止めることができる。
ウソです。脱原発派だからこそ脱原発活動の情報発信は正直に。
でないと、菅直人と同じレベルの人間と見られてしまいますよ。