子供の笑顔のうわまえをはねる

 日本全国に伊達直人に矢吹丈、ほかには坂本龍馬などなど、歴史
からフィクションまで様々な「善意」が溢れかえっています。

何度も述べているように偽善でもやらんより、やった方がマシ。

というのが私のスタンスですから悪いことではありません。

ただし、同時に、これも繰り返しになりますが、

「愛のない100万円より愛のある1円」

というどこからのテレビ局のしっかりギャラを受けとっていると
噂される、あのバラエティとは一線を画すものです。視聴者から
小銭を集めるより、CMのスポンサーフィーから支払えば、桁違い
になるなどという野暮はいうまい。きっとこういうでしょうから。

「みんなの善意を集めることが大切」

ふーん。

でもそうなるとやっぱり、スポンサーから報酬を得ている、
テレビ局にいわれたくないなぁと、もう10年以上(多分、もっ
と)あの番組は見ていませんし、出演したタレント(を、知れば
ですが)は向こう1年色眼鏡で見ることにしています。

それに比べれば「タイガーマスク募金」は、罪がないというより
はるかにマシです。

ただ、今週になって沈静化しましたが、こうした「ブーム」は
手のひらを返した時に、恐ろしく、また、愛情は失った時の方が
悲しいものだということを知っていると切なくなります。

まず、議論を単純にするために「児童養護施設」で統一します。
児童養護施設の運営は様々な団体が行っていますが、いわゆる
役所の出先機関ではなく、それぞれの自助努力が求められます。

補助は出ますが、基本カツカツです。それを助けるのは伊達直人
ではなく、日常的寄付をしたり面倒を見る篤志家です。なかには
駐車場経営といった事業での収益で賄っている施設もあります。

だから伊達直人・・・と、いうのは勿論。しかし、ランドセルは
この時期、施設によっても異なるでしょうが、すでに用意している
こともあり、だぶつくこともあります。また、親もなく、ものも
ない子供でも、好き嫌い、好みはあり、これを「贅沢」といわれ
れば、それまでですが、善意という美名の前に率直な欲望を口に
できない子供の心を妄想して涙がにじみます。

あのね。子供だって遠慮もすれば気も遣うのです。

ランドセルをあげるぐらいは・・・そうですね。

それはそうでしょう。やらないよりやった方が遙かにマシ。
なにより善意を腐そうものなら人非人あつかいを受けるので
得か損かで語れば褒めそやす方が得です。

しかし、施設でサイズの合っていない洋服は珍しくありません。
なぜなら、お古を「シェア」しているからです。

いやいや、それでも施設に入れる子供はまだ幸せだという論も
その通りです。「入居待ち」している児童は少ない数ではありま
せん。

多少でも行き先があれば、それが本人の望む形でなくとも
いかざろうえません。いや、行くところがあるのならそれもまた
「贅沢」だという主張を否定しきれません。ソマリアやハイチを
想像するまでもないでしょう。

そして私の知っている施設にいる子供にとって、唯一の楽しみ
は日曜日の「ご馳走」だったといいます。一番嬉しかったのは
「ラーメン」だと。

よくよく聞くと「サッポ●一番」のようなインスタントですが、
それでも嬉しかったと言います。

施設にいる子供の境遇は様々です。親に殴られた子供など
ざらです。ある中学生は親に鎖で縛られて、軟禁されていたと
いいます。また「弱い」子供だけでなく、「荒れた」がために
親が引き取りを拒否することもあります。

こうした「色んな子供」を一緒に育ててくれているのが
施設です。

さて、伊達直人のプレゼントとして、何が喜ばれるでしょうか。

ツイッターで、児童施設にパソコンを送ろうと呼びかける
声を見ました。もちろん、施設に問い合わせてパソコンが欲しい
と望みそれをプレゼントするなら素晴らしいことです。

ちょうどパソコンが古くなっており、渡りに船なら運命的な
幸福を感じることでしょう。

しかし、それを望まない施設ならばどうでしょう。

こうしてメルマガやブログを呼んでいる人にとってパソコンは
筆記用具レベルかも知れませんが、いまだに覚束ない人は
多く、そこに「機械」だけを持ち込んでも負担になるだけです。

色んな子ども達がいます。そして今般の報道であまり触れて
いないのですが先生と呼ばれる親代わりの「職員」は激務で、
そこにパソコンを覚えろと私は口が裂けても言えません。

パソコンを寄付するのであれば、セットアップから「指導」
まで含めるほうが実状に沿っていると私は考えます。

また、先ほど述べたように、「色んな子供」がいます。
彼らのなかには「ネット」に触れる環境が好ましくない子供も
います。

例えば施設に入る前に「保護所」という、児童相談所の管轄下
の公的施設があり、ここに入居した子供は互いの素性を明かすこ
とや連絡先を交換することを禁じられています。しかし、子供の
口にも戸は立てられず、「出所後」にネットができるようになっ
たら

「××で検索して、俺のブログあるから、遊ぼうぜ」

という誘惑もあるのです。完全無菌にはできませんが、こうし
たリスクをネット孕んでおり、タイガーマスクからパソコンが
届けられたことに職員が「余計な仕事が増えた」と考えたとし
ても、私は責める気持ちにはなれません。

つまり、与える側の「希望」が必ずしも施設の需要とマッチ
するわけではないのです。

そして皆さんの善意を疑うわけではありませんが、私には
大手新聞社も含めた手放しの礼賛にこう思うのです。

「ものだけ与えても子供は幸せになれない」

モノがなければ困るのは当然ですし、愛がなくても100万円
のほうが大切です。しかし、人はパンのみに生きるに非ず、
子供はランドセルだけで育つわけではありません。

ついでにいえば施設の職員が持て余すような「もの」より
キャッシュのほうが実情に即しています。こんな場面を
想像してください。

ある施設の運営はやはり厳しく、そこから公立小学校に通う
直子ちゃんは、自分のお洋服がお古であることが不満でした。
両親の虐待により施設に預けられたのですが、まだ夫婦仲が
良かった頃は、お出かけする度にお洋服を買って貰っており、
子供といえども「楽しい記憶」にすがるのは人間の自然な
防衛本能です。

戯れに新しい服が欲しいといっても、お金がないと施設の
先生は相手にしてくれません。興が過ぎてしつこくなるのも
子供ですから仕方がありませんが、わがままはきつく戒めら
れます。

先生としても我が子同然の子ども達に新しい洋服の一枚ぐ
らい買ってあげたいのですが、預かっている子供のひとりだ
けとはいかず、全員となればポケットマネーでは足りません。

現実の生活は子ども達が想像するより厳しいのですが、
現実の全てを伝えるには幼く、しかし、現実との接点から
逃れる術はありません。

直子ちゃんの前にタイガーマスクが現れました。

タイガーマスクは洋服をおいて去っていきました。

洋服は先生が分配してくれましたが、一緒に暮らす友達
のほうを直子ちゃんは欲しくて仕方がなく、先生にこう求
めます。

「私が貰ったものジャン」

・・・架空のストーリーです。

そしてしつこいようですが善意は尊重した上ですが、
私は体験からこう懸念するのです。

職員の日頃の苦労を見ずに、モノを与えた満足感と
喜ぶ子供の笑顔という上前をはねる行為。

私事についてはミクシィの非公開版で書くつもりですが、
豊かな側、恵まれている側からだけ見る「善意」というもの
に懐疑的です。

もちろん「偽善」でもやらんよりはマシ、なのですがね。
ただキャッシュなら「先生」が分配できますし、あるいは施設に
相談した上で望むものを「提供」したのなら、そこにも「親」の
意思を繁栄できるのでより望ましいのではないでしょうか。

あのね。人間の残酷な真実としても「ものをくれる人」には
従うモノで、それを家庭教育では活用するもの・・・ということを
誰も語らないのが不思議です。

ちなみに「子供手当」を受け取れない施設の子供はいます。
 

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