ウチの子供はダンサーにしたい

私は保守的な考えに頷きつつも「リバタリアニズム」にも
シンパシーを感じます。

リバタリアニズムとはザックリといえば

「他人に迷惑をかけない範囲なら何をやっても良い」

というものです。もっとも、道徳や理念を重んじたときに、
その人の振るまい自体が「迷惑」を受けとればパラドックスに
陥るので他の思想とは並び立つのが難しいのが現実です。私の
中では「矛盾もまた人」と抱きしめております。

と、いう立ち位置から新しい取り組みには賛意を送ることが
多く、またやる前から批判するものを嫌いますし、しくじって
もチャレンジャーに拍手を惜しみません。

「杉並区立和田中学校夜間宿“夜スペ”に東京都教育委員会が待った」

と報じられて都知事も識者も白石真澄さんも憤りを表します。

・・・私は教育委員会に1票。

「それって公立学校の仕事?」

という疑問。
こういった新しい取り組みに諸手を挙げる白石真澄さんはラジオ
番組の中で「出る杭は打たれる」と腐していましたが、教育委員会
の真意は分かりませんが、公教育を担う公的機関として逸脱するの
ではないかということです。

和田中学校は取り組みは結構ですし、PTAの方が開設している
ホームページによると学力も向上し保護者にも概ね好評のようです。

「顧客ニーズを満たしている」

ことは確かなようですが、私はここが怖いのです。

「公立学校の塾化」

の先に待っているのは「受験」です。杉並区の教育委員会はこう
コメントしています。

「地域の求めに応じた創意工夫の一つ。
従来できなかった限界に挑んでおり推移を見守りたい」

・・・だとしたら。

「ウチの子供はダンサーにしたい」
「我が家ではシェフを目指している」
「将来は歌手に」

と地域の要求があれば、ダンススクールや調理師学校、ボイス
トレーナーに公立学校が口利きをすると考えるとどうでしょう。

今回「協力」している塾を非難するつもりはありません。
「破格」の値段で儲けは出ないといいますが、広告費換算し
さらに受講者は商売での「見込み客」となるわけですから、確実に
算盤があう話ですが、それもこれも営業努力です。

しかし、だからこそ「公」としていかがなものかと。

何故この進学塾になったのか?
という疑問に答える報道もサイトも見つかりませんでした。

突っ込みが入る前にフォローしておきますが、この「塾」は
地域本部(協議会)が主催する「私塾」と表明しているので「公」
ではないという意見もありますが、「校長名義での開催を知らせ
ている」点から「公」として綴っております。

それと杉並区教育委員会のホームページにあった

「杉並区学校運営協議会規則(PDF)」

を見る限り、抜け穴というか知恵を絞ったという感が否めません。

現状追認的な受験対策。
直面している親御さんからすれば大歓迎でしょう。

しかし、ある教育関係者から聞いた話ですが、進学塾は学力を
伸ばすというより「テクニック」を教えるといいます。そのテクも
含めて「学力」といわれればそれまですが地域のニーズに応えて
「受験対策」をする時代に(思惑はともあれ)とりあえず

「待った」

をかけたことにホッとしております。
リバタリアニズムに立てば「まぁいいんじゃない」ってところ
なのですが、「公」の精神との整合性に議論がかけているのでは
ないかと、そしてなし崩しとなるまえにとりあえず「待った」を
かけたところに賛成票をいれます。

また、この「塾」は費用がかかるのですが、

「生活保護世帯には配慮も検討」

とコメントされていますが、具体的な「配慮」がないところなど
も見切り発車というか

「声の大きい誰か」

なのか

「功を焦る誰か」

がいるのか。
格安とはいえ最大で月に42000円の負担です。
事情(生活保護?)によっては半額となるといいますが
それでも21000円。

生活保護世帯ではかなり厳しい金額です。

例えば「運営本部」を「活用」してそこから奨学金形式で「塾費」
を負担したりなどがなければ「格差」はより広がります。

日本は世界的に見ても格差の非常に小さい社会だと思いますが、

「格差」

にうるさい人たちがこの

「公立学校を舞台としたぷち格差の始まり」

を騒がないことも不思議です。

・・・これらの取り組みが完全に民間のボランティアや篤志家に
よるものなら万雷の拍手を送るのですが。

ちなみにいつもアクセル全開で珍妙な論を展開する白石真澄さん
ですが、

「こんなことだから日本に天才は生まれない」

と憤ってみせていましたが、どんな環境でも天才は生まれるもの
ですし、その点に関しては問題は「受験対策」に進学塾を使う
というレベルの話ではなく、飛び級やら英才教育という別次元の
こと。

受験対策で天才が生まれるのなら・・・永らく続いている受験戦
争の果てに日本中が天才で溢れているはずなのです。

変わったことをすると叩かれるという文脈からだとしても、

「地域のニーズ」

という誰かの意を汲んだというものですから「天才」とはピント
がずれております。本当にいつも楽しませてくれます。

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