携帯電話による進む格差社会、階層の固定化

 未成年報道はどうあるべきか?
読売新聞は実名・顔写真入り、一面報道。

未成年の匿名報道は「更正」が第一目的のはず。

もの凄くうがった見方ですが、

「死んじまったら更正もクソもない」

ということでしょうか。

私は未成年でもそれが「幼児」であったとしても、真っ当に暮ら
している市民の生活を脅かす危険性のある凶悪犯は実名で

「晒す」

べきだと考えています。
なにも初犯の下着泥や、一回限りの万引き犯を晒せとはいいません。
しかし常習となると話は別ですし、何より

「殺人、火付け、強盗」

は、初犯であっても市民に及ぼす害悪の影響は甚大です。
まして「逃亡」しているのなら、サーカスのライオンが逃げ出し
たようなものです。

ライオンに悪意はなくても、人間のルールには適合できないので、
場合によっては

「射殺」

されます。
人を殺すという一線を越えたら子供も大人もないではないでしょうか。

実は少年犯罪は減少傾向にあるのですが、その一方で

「猟奇的未成年犯罪」

は増えています。
報道が抑止力として機能せずに、ブースターになっている気がして
なりません。

と論をぶっておいてなんですが今日は全く別のネタ。

「携帯電話による進む格差社会、階層の固定化」

ちなみにナンバーポータビリティーで、携帯回線会社(キャリア
といいます)の広告出稿量増加傾向にあるので、携帯電話に不利な
ネタをメディアは控えているようにみえます。

そして余談ついでに

「エスタブリッシュメントの広報機関、日経新聞」

では「Web2.0」煽りが激しくなってきています。
まぁこの新聞は本当にお金の臭いに敏感です。但しこれは正しい
姿です。

「日本経済新聞」

ですから。もっとも経世済民という視点からは「本末転倒」では
ありますが。

先日、夜の9時30分ごろ地下鉄の車内でシートは満席で、立っ
ているかたがポロポロ。

そして、普段電車に乗らない私には奇妙な光景が。

全48席中、携帯電話使用者が9名。
18%が携帯電話でメールとおぼしき操作をしています。

となりに座ったサラリーマンは、「覗き見防止フィルム」を貼っ
て電車内という

「公共空間」

「プライベート」

を守ろうとします。
もしかしたら仕事の連絡かも知れません。

かなり好意的に解釈してみることを試みてみました。

超ハードスケジュールビジネスマンで、移動時間しか連絡方法が
ない。そこで電車内でビジネスメールをやり取りしている。

・・・そこまでしてメールを多用するでしょうか。
ビジネスなら「電話」がまだまだ主力です。

それと隣りに座ったサラリーマンは約20分ほど、操作を続けて
いました。

いちいち、細かくチェックするほど下品ではありませんが、読書
している目の端に

「チャカチャカと動く指」

は目障りなので否が応でも気づいてしまったのです。

何十件も「連絡」していたのでしょうか?
まさか、「長文のビジネスメール」でしょうか?

車内と見渡すと「ビジネス」とは縁遠そうな小僧までチャカチャ
カと忙しそうに指先で調子っぱずれのタップダンスを踏んでいます。

皆が皆、夏の終わりの咲ききったひまわりのように、首がうなだ
れ視線を落として、チャカチャカと。

まぁ気色が悪い。

友人や知人、恋人とメールのやり取りをすることを悪いとは言い
ません。

しかし、いつでもどこでも「友達」と連絡をとりあい、そのこと
に時間を割く行為が「格差」を助長するというとどう思います?

友人は大切です。一般的には。

但し、友人は「関心空間(自分の興味を持っていること)」のな
かでの繋がりです。

友達の多い友人Aを持っていたとします。

友人Aは様々なところから情報を集めていますが、あなたに話し
をする際は

「あなたが興味を持ちそうなことだけ」

を話しします。

これは当然の話で、犬嫌いに今年のトップオブブリーダーの話を
することはちょっと考えられませんし、酒を一滴も飲めない人に、
今年の「秋味」の発売日を教えても話題が拡がらないからです。

友人Aがどれだけ拾いネットワークを持ち、刺激的な情報を収集
していても、

「あなたの興味がなさそうなこと」

は教えてくれないのです。

携帯電話でやり取りしているのが、友人知人といったプライベート
だとします。

そこで得られるのは友人知人にまつわる「エピソード」か、あなた
が興味を持っている情報だけです。

つまり、その輪の中から抜け出ることができません。

その結果、階層の固定化が進みます。
仲の良い友人、知人、関心空間でグルグル廻っているのですから
当然です。

格差の拡大も当然といえば当然でしょう。
いつまでも「学生時代の延長」で、「同じ層」と付き合っている
訳ですから、その層が

「時代のブーム」

にでもならない限り、這い上がることはできません。

「携帯電話以前」の時代は、移動時間に書籍や新聞、中吊り広告、
乗客のうわさ話、車窓の景色など様々な情報収集のチャンスがあり
ました。

また、逢えない時間は愛を育てましたし、独りぼっちの時間に
巡らせる思索から「ハッ」と気づくことは少なくありませんでした。

ところが、今は24時間携帯電話を通じて、友人に知人、恋人、
会社に束縛され、コントロールされ、いつも繋がっていることを
強要され、それを当然と受け入れています。

そして「いつも忙しい」まま年月を経て、老い、気づけばラスト
チャンスまで僅かとなるのです。

最悪なことは「時間を潰している」ことに気がつかないことです。

そんなに頻繁に連絡を取らなければならない友達が必要か。
私はいりません。そんな面倒な奴は。

私には3年ぶり、4年ぶりにあう「親友」が何人かいますが、
連絡なんてまずとりません。

しかし会ったときには「0.5秒」で昔のままです。
古くさい言い方ですが、それが友達じゃないでしょうかね。

格差社会の拡大は小泉政権のせいではなく、携帯電話による過剰
なコミニュケーション社会の出現ではないか。

携帯メールじゃなくWEBだとしても大差はありません。
自分が知りたくてクリックするWEBサイトとは関心空間でしか
ありませんから。

大胆な仮説で夢想で妄想かも知れませんが、一度、街にでる際に
携帯電話を

「あえて持たない」

と、私のこの説があながち暴走しているわけではないことに気が
つくことでしょう。

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