テリー伊藤の長嶋茂雄評の錯誤

いちいち真剣に取り合っちゃいけないのが「テリー伊藤」さん。彼はその場の空気だけで発言するので、流すのが正解です。ただ、わたしが知る限り、すこし下の世代になるので、聞きかじりの知識となりますが、後世のために指摘しておきます。

長嶋茂雄氏が国民栄誉賞。誰も異論はないでしょう。異論があったのは妻ぐらい。曰く「王さんのほうが先でしょ」。国民栄誉賞とは王貞治の世界記録を顕彰するために創設されたもので、王さんが最初の受賞者と告げると「ならOK」と翻意。

テリー伊藤さんは熱狂的な巨人軍ファンを公言しており、長嶋茂雄氏が国民栄誉賞の報に接してこういいます。

「彼が頑張っている姿を見てね、我々も頑張ってきたんですよ」

・・・病後なら正しいでしょうが、あえていいます。それは違う。なぜなら、長嶋茂雄氏は

「スーパースター」

だったから。石原裕次郎と同じく。

スーパースターとはなにか。努力など不用な超人です。存在しているだけで空気が輝く華やかさを持ち、人智を越えた活躍をするからスーパースターです。長嶋茂雄氏をスーパースターとして否定する人はいません。

いや、長島も努力していた。はい、ここからはよく知っています。というのは、写真誌が登場する前後から、プライベートの暴露が庶民の慰みとなり、メディアが暴走したあたり。長島氏でいえば、第一次長嶋政権が成績不振で追われたころと相前後して、

「実は努力していた」

と流布されたのです。そこで「あの長嶋も」となるのはスーパースターであったからですが、昭和時代、スーパースターはカラりとした英雄で、その影を日向に引きずり出し「人間宣言」させるような愚は犯さない、粋な時代があったこと、テリー伊藤氏は忘れ去ったのか、記憶が錯綜しているのか、いつものよに何も考えていないのか。

問答無用の人気者。それが長嶋茂雄氏です。

で、わたしはといえば「努力の人」の王貞治派でしたが。だから江川より西本で、いまはといえば、またぞろごね得で巨人にはいった選手を美談のように語る日本球界に吐き気がして以来、興味をさっぱり捨て去りました。

ただ、そんな爽快な時代もあったというエントリーです。

 

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