一神教の気持ちを理解する例え話(転載自由)

 正月に妹と、その子供の姪と甥と焼肉屋で食事をしました。姪はもうすぐ社会人となる年令ながら、社会に出たくないとぼやきます。かといって勉強もしたくない。つまりはモラトリアム(執行猶予)を求めているのです。

 そこで辛辣ながら社会の仕組みを説明し、要約するとこんな感じ。

「働かざる者食うべからず」

 人はパンのみに生きるに非ずといいますが、パンがなければ生きられず、パンを手に入れるためには、労働にせよ、泥棒にせよ働かなければならないと諭します。

 頭では理解する年令であり知識もありますが、感情が理解していないようで不満げです。

 専業主婦になる手もある。と提案すると

「それは無理。ママみたいにはなれない」

 彼女の母親、私の愚妹にとってはこれ以上の言葉はないでしょう。

 私は同意し、言葉を継ぎます。

「たしかにまだ君には無理かもね。そもそも専業主婦になれば、って話しもこれからしづらくなるしね」

 姪はキョトン。甥は聞いている振りして肉をバクバク。

 女性だから、男性だから、という言い方を否定する動きがあり、それを「ポリティカル・コレクトネス」と呼ぶ。政治的正当性というか、すべてを平等に均等に均質に扱え、という一種の脅迫と語弊を含めて説明します。

 差別はいけない、戦争はいけない。多様性を受け入れろ。

 言葉にすれば当たり前のことで、それを目指すべきだけど、強制したからとできるわけではない、けど強制する人がいて、それが新たなトラブルの種になる、ことに気がついていない人が多い。

 要約すればこんな説明をすると、再びキョトン。

 差別はダメで、戦争はイヤ、そして多様な価値観というのは、未成年の姪にとっても漠然と理解している当たり前のこと。それが何故、トラブルの種になるのか、という疑問が返ってきます。

 そこで「世界の大半は一神教だから、根源的な意味での多様な価値観を理解しがたい」と続けます。

「神さまは一人。キリストやアラー、厳密には預言者だけど、まぁそういう唯一の存在を信じるのが一神教。だから他の神さまの存在は許しがたい」

 わかったようでいてわからない。

 それではと、例え話をします。これ、一神教の思考回路をザックリと理解するのに役立ちます。

「君たちの親はパパとママだよね。それは事実だし疑わないよね。だから、ある日、伯父さんや伯母さん、赤の他人が、パパだよ、ママだよっていっても信じないよね。それが一神教の人の感じ方」

 対して日本には八百万も神さまがいて、漠然とながら多様な神を受容しており、それは一神教を信じる人からみれば、沢山の父母を受け入れていることで異様で異常に見えるということ。

 日本人的な多様性、正しくは「いい加減さ」を世界が受け入れれば、世界は平和になるけど、赤の他人をパパやママと認めることが難しいぐらい、簡単なことじゃない。と、かみ砕きます。

 語弊はアリアリとしても、絶対的な存在を身近に置き換えるなら、揺らぐことのない事実としての「親」。その否定があり得ないことなら、子供でも想像でき、一神教を理解するきっかけにはなるでしょう。

 差別がいけないことは明らかだけど、差別を撲滅するために差別している人を差別することを正当化する人がいる。戦争反対を暴力的に訴える人もいる。そして多様性の押しつけ。実はすべて繋がっている。社会ってそういう矛盾でできているよ、ということは早く知っておくと得するよ、とアドバイス。

 そしてこう締めくくります。

「伯父さん自身は一神教って厄介だなぁと思うけど、それを一神教の人には言わないし、その信仰を止めろとは絶対に言わない。それはその人の人生だから。そしてその信仰をこちらに強制せず、笑顔を交換できる相手なら仲良くするように努力する」

 どこまでわかったかわかりませんが、子供に恵まれなかった私にとって、人生訓を垂れるという「親コスプレ」ができた楽しい正月のひとときでした。

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