外国人への「お通し」と余りものへの無知と偏見

居酒屋などで席につくとすぐに供される「お通し」。これを巡って外国人観光客とトラブルになっていると、テレビ朝日「モーニング・ショー」は報じます。古くからあるネタながら、定期的に発掘されるネタで、外国人観光客のなかには歓迎する人もいて、店側の説明不足と客の無知で、それは「旅の楽しみ」でもあるはず。

実際、番組では「チップの代わりとしては嬉しい」という外国人男性の意見も紹介されていました。

そして番組出演者による意識調査。賛否については「お通しアリ」としたMCの局アナ 宇賀なつみによる「私たちは好き嫌いがない」に集約されることでしょう。

対して、お通しとはなにかという下りで、プレゼンター局アナが「前日の余りものなど」との説明を捉え、やはり同局社員 玉川徹氏は「ほら、やっぱり」と、その発言のニュアンスから妙約するとこんな感じ。

「余り物なんか喰えない」

狭小で無知。と、断じます。
「お通し(付きだし)」の為に仕入れをする店もありますが、これを除き、もちろん、店の方針で異なりますが、すべての飲食店に通じることは、「余りもの」はゴミや残飯ではありません。

仕入れた食材がすべて売り切れることは皆無に等しく、どうしても残る食材があり、これに工夫(仕事)を凝らして提供しているのです。日替わりランチや激安ランチや、その添え物や小鉢などの副食も同じくです。

余りもの、だから捨てる。この廃棄食材のロスと、廃棄費用は代金に反映されます。プレゼンターの局アナは、

「300円のビールに500円のお通しで千円はイヤ」

 と、そもそもの計算すら間違えていますが、どんなお店に行っているのか。安く飲みたいと懇願するのなら家で飲め、という話し。なにより、そのお通しが、わずかながらも店の利益を生むから、仮に300円のビールを提供し、継続して営業でき、お客をもてなすことができるのです。

 なにより、お客には店を選ぶ自由があります。お通しがイヤなら、お通しをださない店、例えば「吉野家」などに行けば良いだけのこと。

 日本の文化、習慣、気性を知らない外国人ならともかく、あまりにもモノを知らず、店の事情を斟酌しない大人が、公共の電波で幼稚で無知な発言を恥じないことに呆れます。

 お通しで嫌いなモノがでたらどうする。その時は「はずれの回」と諦めるのも大人の楽しみかたです。すべてのあたりのくじはなく、ハズレがあたりの旨味を増すのです。

 なお、同番組MC羽鳥慎一はトマトが苦手なようで、お通しを断ることができず、お金は払うのは良いけど、嫌いな食材だと残すのがもったいなくてイヤ、といいます。

 供されたときに仲居さんなら、ウェイトレスさんに「ごめん、これ苦手なんだ。下げくれる」と伝えれば良いだけのこと。気の利いた店なら、好きなモノを訊ねて一品こさえてくれますし、少なくとも食材のロスは減らせます。

 昭和時代には当たり前だった、大人の振るまいです。

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