ドローンが着陸できないウサギ小屋

 ITジャーナリストを名乗り、ITに厳しいのはおかしい。

 こんなご批判を戴きました。その論理でいうなら「戦場ジャーナリスト」は戦場を賛美しなければならなくなってしまいます。こうした自分の思いこみだけで、平気で人の言動を指摘できるタイプは、総じて人の話を聞かないので面倒です。

 リアルならぶん殴って解決を目指すことでしょう。と、こうした比喩的表現も理解できないくせに絡んできます。

 もっとも、世に溢れるITジャーナリストの大半が、ITを礼賛しているのは事実。それは企業礼賛で飯を食べている傾向が強く、IT批判をすれば「飯の種」がなくなるという台所事情からで、むしろそちらのほうが「ジャーナリスト」なのかと首をかしげてしまいます。

 私のIT批判とは、徳大寺有恒氏における「自動車評論家」の再定義といえばおこがましいでしょうか。

 例えば「携帯電話評論家」。ここから現在「ITジャーナリスト」に衣替えをしている人が何人かいます。「スマホジャーナリスト」ではしまらないという事情もあるでしょうが、大半は面識がなく、攻撃が目的でないので名前は挙げませんが、彼らの名前を記憶しているのは、「写メ」の登場前夜から、携帯電話販売店の販促企画を手伝っていたからです。

 そして携帯雑誌に紹介される連中の「トレンド予測」に、つぶやいていたものです。「よくいうよ」と。

 端末の売れ行きの多くは「出荷事情」により、ざっくりといえば「製造台数」が決まっているので、売れなければ「0円ケータイ」へとながされます。0円になればどんな機種でも売れた時代がありました。一部の、具体的にはNECの二つ折り端末を除けば「価格」が、人気を分けていたのです。

 また、不要な機能も多く、むしろ「写メ」がヒットした後も、それに背を向ける端末も多く世に出されていました。ちなみに「写メ」の初代は、今は亡きJ-phoneから、これまた今はヤバいシャープが発売した「J-SH04」です。

 ところが彼らはでる商品、現れる商品を「褒め称え」ていたのですから。ネットもパソコンも、いまならスマホにも重なりますが、新しく生まれた産業に関わるなら、とにかく褒めておけば、それを利用とする企業からのお呼びがかかるものです。

 だから彼らにとって、ジャーナリストや評論家に不可欠の「批判精神」は不用というより、むしろ邪魔です。だからITジャーナリスト=礼賛マンセーと錯覚するものもでてくるのでしょう。

 ともかく、ITが絡むことに批判的視点を持っていることから、ともすれば「Disる(批判する)」と批判されることも多いのですが、一方で、友人が経営するガテン系企業での「LINE」の活用事例を知り、高い再現性があると認めたときは、当時は子供の遊び道具と軽んじられていた「LINE」の、ビジネスツールとしての可能性を記事にして紹介しています。

 私は現場の人なのです。再現性とは一般事例になり得ること、多くの人が恩恵にあずかれるケースなら、褒め称えますが、特殊事例やマニアの慰み者を、その通りに紹介する事はあっても、実体と離れた賛美はできません。

 そんな現場感覚から、強烈な違和感を覚えるのが

「ドローン礼賛」

 です。

 15才のクソガキによる犯罪予告が理由ではありません。少年については明日公開予定のマイコミの連載で指摘しているので、ここでは触れませんが、少年の犯罪動機は「金」です。

 少年はネットで映像をリアルタイム配信する「生主(ナマヌシ)」として、一部では有名人でした。特にドローンを入手してからは、各地を転々としつつ空撮映像を配信し、墜落事故を起こした善光寺でも、「空撮配信」が目的で、騒動を起こすつもりはなかったようです。

 ところがこれがきっかけとなり、過激化していきます。それはコンビニで食品にイタズラをした「つまようじ男」と同じです。平たく言えば「バカ」なのですが、バカを面白がるネット民の存在が、バカに勇気と前歴を与えることになります。

 この少年が逮捕まで至った理由は、ネット社会というより「過剰なコンプライアンス」にあります。

 逮捕前にも少年は、何度も警察の職質と補導を受けており、その様子を生配信します。屁理屈にすらならない少年の主張に、お巡りさんは丁寧に対応しています。これが犯罪の温床といえば、お巡りさんには酷な話しではありますが、昭和時代なら間違いなく、強制的に警察署に連れて行かれるレベルの「反抗」をしているのです。

 その昭和時代なら、見えないところや、跡が残りにくい箇所に暴力的な実力行使があったでしょうし、もう少し昔なら、柔道場に連れて行かれ「稽古」を付けられるレベルの腹立たしさですが、コンプライアンスの昨今、少年に具体的な痛みを与えることは憚られます。

 とにかく屁理屈が多く、週刊文春によれば「弱い物イジメ」をしておきながら、それを制すと「なんで俺を虐めるんだ」と被害者になるようなタイプといえば、少年の性格が想像できるでしょう。

 誰かがもっと早い段階で「半殺し」にしておけば・・・とは、もちろん、比喩表現ですが、常識から外れたバカに対して、コンプライアンスに縛られ、脆弱となった常識が、いかに無力化を知らしめる事件です。

 鑑別所に送っても、子供の話を聞くことを第一とする「更生施設」では、自己弁護の詭弁に磨きをかけるだけで、反省などしないタイプです。だから「金」を軸にし「損害賠償」を求めるのが、少年に反省を促す最適解なのです。

 これは完全に余談ですが、屁理屈をこねるタイプを黙らせるのに数字はとても有効です。厳然たる足し算引き算は、屁理屈のつけいる隙が無いからです。論点を数字に絞り込み、それを認めない限り、一切の会話に応じなければ、次第に屁理屈が弱まります。屁理屈を執拗にこねるタイプは、それが武器だと知っているからで、通じないと分からせるために数字を使うともいえます。

 話しをドローンに戻します。

 首相官邸への墜落事件、そして少年逮捕に接しても、

「ドローンは素晴らしい技術」

 という礼賛がなくなりません。もちろん、幾人かの犯罪者の前に技術が屈するのもおかしな話しですが、基本的ベクトルが

「素晴らしい」

 というところに違和感が残るのです。

 日経新聞あたりが礼賛するのはいつものことです。「新産業」とは、未来の広告主だからです。

 しかし、日頃は視聴者の見方のふりをするテレビが「礼賛」するのは、彼らが既にドローンの恩恵をうけているからです。いわば身びいきです。

 旅番組、ロケ番組で、やたら「空撮」が増えています。旅番組やロケ番組が増えているのは、スタジオでは「セット」を組む必要があり、ギャラリーを呼び込むなら、観覧席の設置から、そもそもの人集めに当日の整理と警備などの経費がかかります。

 ところがロケならセットは不要。多少の有名タレントをキャスティングすれば、放っておいてもギャラリーは集まります。ただし「絵(映像)」が「平面」になるのが難点でした。

 スタジオの場合「クレーン」を使うことで、映像に上下の移動を与え立体感(動き)を出せましたが、ロケはこれが苦手です。ここに「ドローン」の登場です。

 映像のプロフェッショナル向けのドローンは、「ビッグカメラドットコム」では、約140万円で販売されており、諸経費と訓練費を含めて200万円かかったとしても、繰り返し使える地上波放送の機材としてみれば、破格の部類にはいります。

 だから、テレビ局は恩恵をうけているドローンを否定することができない、とは穿ちすぎでしょうか。

 こうしたテレビ局の台所事情を理解していない「コメンテーター」は、墜落などにより危険性を指摘するなど、いつも通り視聴者の側に立って発言しますが、「専門家」を呼んで利便性と可能性を発言させるところに、局の都合が透けて見えるのです。

 しかし、端的に言ってドローンは危険です。

 ドローンと一口に言っても、小型無人機の総称で、もとは指令を元に自発的に行動する自立型無人機を指したのですが、いまは無線操縦型まで含んで使われており、何のことはない昭和時代からある「ラジコンヘリ」までドローン扱いです。

 官邸に落ちた物や、少年が飛ばしていた小型機は「マルチコプター」と呼ばれる、複数のプロペラを持つラジコンヘリコプターの一種です。

 空を飛ぶためのプロペラは、そのパワーに比例して凶器となります。アメリカでは自身が操作するラジコンヘリに、首を飛ばされた事例が報告されていますし、実際に回転するラジコンヘリのプロペラに指を突っ込めば、例え数千円の「おもちゃ」でも相当な痛みを覚えます。

 そのオモチャレベルでも、一度飛び上がると、下げる命令(=出力を減少)を出さない限り飛び続けます。そして「受信エリア」を越えれば、完全に制御不能となります。

 オモチャレベルにも「重力加速度」は等しくかかり、容疑者となった少年が飛ばしていたタイプのものは、重さ約400gで、最高200mほどに達するとあるので、これが落ちてきたら、打ち所によっては大怪我をします。

 だから何でも規制をしろ、というのではありませんが、危険性を伝えるのは報道の重要な使命だということです。

 私はオモチャレベルながら、ラジコンヘリもマルチコプターも持っています。だから断言できるのですが、ドローンの操作はむずかしいのです。それは空気の重さにあります。

 資料映像で楽々操縦しているのは、操作に慣れた人たちで、しかも「室内」というのもポイントです。空気は重く、そよ風でさえ、小さなドローンには「暴風」となります。

 ドローンの普及に懐疑的な理由の1つです。
 四季折々の季節豊かな日本です。風も吹けば嵐もやってきて、雨も雪もほぼ全国的な自然現象です。

「宅配にドローン」など、バカバカしい話しです。アマゾンによる宅配用サービス「Amazon Prime Air」の映像は衝撃的でしたが、アマゾンがYouTubeで公開する映像を見る限り、背景に映り込む木々の、小枝はおろか葉っぱすら揺れていません。

「無風」か、限りなくそれに近い状態ということです。

 また、これも重要な点ですが、アマゾンの物流センターを飛び立ったドローンは、お客の自宅の芝生が敷かれた「庭」に着陸しています。

 果たしてウサギ小屋と揶揄される日本の住宅のなかで、何パーセントが「ドローンが着陸できる庭」を持つのでしょうか。我が家にはネコどころか、ネズミの額ほどの庭はありますが、ここへの着陸は困難を窮めます。

 ドローン宅配は、アメリカの郊外などでは、一定程度の拡がりは期待できるでしょうし、インフラの整っていない新興国なら・・・とも考えますが、新興国は総じて人件費が安く、高価なドローンが降りてくれば、これを「捕まえ」て、ばらして部品として売りさばく人間がでてこないとも限りません。すると事業として成立しません。

 日本も例外ではありません。缶や瓶、古紙を「資源ゴミ」として回収する自治体では、その持ち去り(アパッチ)が問題化していますし、最近では「燃やさないゴミ(燃えないゴミ)」から、金属を回収する業者がゴミ漁りをしており、センサーの詰まったドローンは「お宝」です。

 なにより空気は重たいのです。ドローンにとって物理的な「壁」との間には「空気の流れ」が生まれ、それは鉄砲水と同じ程度に制御を困難にします。

 新聞販売店と組んで、お年寄りのサポートをするという、コンサルタント会社が、ドローンを使ったサービスを喧伝しています。

 自身で作った、イメージ映像では、ドローンが山間部に拡がる集落を飛び回っています。

 想像するに、山間部で一人暮らす、老人のために、新聞や、薬、食料品を「ドローン」を使って届けようというものでしょうが、ドローンの大敵は空気であり、風が吹けば、ジェットエンジンを積んだ鉄のかたまりの旅客機でも運休するように、空の道はすぐに閉鎖されます。

 また、雨や雪にも弱く、突風にも勝てません。

 つまり、ドローンが飛べるのは、気候の安定したときだけで、それ以外の厳しい自然環境の時は「人力」に頼るということです。

 少し、想像してください。風も雨もなく、穏やかな日はドローンが宅配し、土砂降りや大雪、前を向けないほどの強風といった厳しい自然環境のときは「人間」の出番となるのです。

 逆ではないでしょうか。

 危険で辛い仕事をするために、機械を活用するのであり、機械を補佐するために人を雇うのは本末転倒です。また、そのためだけに雇われる人間もいないでしょう。あるいは荒天時の臨時雇いとなれば、その分、単価が上がるのは自明で、果たしてそのときドローンの経済的メリットが維持できるのかは疑問です。

 来歴を見て胡散臭さを感じながらも、新聞販売店と組み、お年寄りを見守るサービスというコンセプトだけは、応援したいという気持から、ドローン宅配を喧伝する会社の名前は控えております。

 日本の空は気まぐれです。夕立もあれば、朝立ちもあります。都市部はビル風が吹き、郊外の川沿いは温度差から、いつも一定の風が吹いていますが、方向は一定していません。

 ある程度の重さと大きさを持つドローンなら、多少の風にも耐えることができますが、それは墜落時の危険性と完全リンクします。

 別の理由から「日本」という事情が、ドローンの普及を阻むと見ています。

 大雪の日でも台風の日でも、デリバリーのピザを注文し、可能な限り予定時間の配達を求める日本人がいる一方で、それを実現しようとする日本人もいます。

 彼らは強風、雨、雪で配達不能になるドローンサービスを受け入れるのでしょうか。

 全国津々浦々まで狂気が滲み出るほど、キメの細かな物流網が整備されている日本と、ネットが普及する以前の「通信教育」では、教材をセスナ機が「投下」するようなサービスが実在したアメリカとでは、あまりに国情が違いすぎるのです。

 ドローンのすべてを否定するものではありませんが、実際にできることは限られているということです。

 例えば無風の工場内において、設置工事不用の「コンベア」的な作業にドローンは活用できますし、人が立ち入れない、例えば福島第一原発の内部や、周辺の撮影や探査には力を発揮するでしょう。

 また、すでに「ラジコンヘリ」が実現していることですが、農薬の散布などを、自動制御のドローンにより、作業効率をアップさせることもで可能ですし、建築現場における「高所作業」の一部を代替させることへの期待もあります。

 屋根瓦の破損確認や、ビルの壁面検査などへの応用も期待できますし、同時にドローン診断を掲げた詐欺的な業者が現れることへの注意と警戒は必要です。

 人が乗れるサイズまでを想定すれば、災害時の救助用や、ドローン版の「矢切の渡し」的な利用法も考えられます。

 しかし、いずれにせよ、特性とリスクからも用途は限定される・・・という当たり前すぎる話しですが、なぜか「新技術」という冠に、平伏する○○ジャーナリストは少なくありません。

 これは「新しいもの=良い・正義」で、「古い物=軍国主義=悪」の裏返しで、GHQと日教組による洗脳で「戦後の昭和」の残滓で、ドローン報道にも見つけます。

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