私もWeb業界の端くれとして、業界の流儀にならって見ようと思います。
「メルマガが産経新聞を動かした!」
と。メルマガをブログに置き換えてもOKです。
何かといえば、先週「財務省の軍門にくだった産経新聞」と題した原稿を発表したところ、日曜日(2015年4月19日)の産経新聞に
と題した社説が掲載されたからです。Webが既存メディアを動かした(笑)!
ペンは剣よりも強し・・・とは、元は権力者側が死刑執行の書面にサインすれば、人を殺せることを意味したのですが、なにはともあれ、私の手柄などではなく、冷静に考えれば当然のことで、庶民の味方を気取るとまでの揶揄はせずとも、一般市民の生活に不利益になりかねないこと、と、同時に権力、その最たる「税」への暴走の可能性に懸念を表明するのは、新聞社に課せられた使命です。
遅きに失した、とまではいいませんが、同じ主旨の社説を月曜日(2015年4月20日)に発表した朝日新聞より早かったことは、産経新聞のファンとしての救いです。
とはいえ、韓国からは極右新聞と呼ばれる産経新聞ですが、丹念に新聞を読み込むと、リベラル色が目立つことはあまり知られていません。オタクやマニアへのアプローチも強く、また、OBというかドロップアウトしたものが左傾がかったメディアに行くことも多く、内部情報では「縁故入社」も目立つとかで・・・とは余談に過ぎますが。
何でも自分の手柄とするほど厚顔ではありません。微力が役だったかもと酒杯を煽ったとしても、喧伝するほど下品ではありません。
もとからの性格が控えめだったわけでもなければ、いまもそうではありません。人前にでることを厭いませんし、物怖じという言葉もあまり意味がわかりません。
楽器も弾けないのにバンドを組んで、オンチなのにボーカルに立候補するような目立ちたがりな性分で、未就学のころ、親戚宅を廻ると、幼き私の「(西城)ヒデキリサイタル」の幕が開いたようなお調子者。
しかし、Web業界にながく接しているウチに、あまりの「手柄自慢」「我田引水」の多さに、その行為の恥ずかしさを他山の石とし、控えるという機能の装着に成功します。
Web業界は手柄自慢が多く、しかもプレイヤーより、批評家や評論家、あるいは「流れに任せたら偶然成功しました、でも俺、実は知っていたけどね」的な自慢ばかりで、自分がなにか生み出したこともないのに
「これからは○○の時代!」
とは、
「皐月賞はドゥラメンテが固い!」
と、レースが終わってから声高に叫ぶような感じ。
で、新味が無くなると、名前を言い換えて、新しいものが生まれたかのように喧伝するのが「Web2.0」や「SNS」であり、キュレーションやバイラルメディアも以下同文です。
また、Webとはリアルにおいて、これだけ定着したこの期に及んでも漠然とした事象、珍事の代名詞として使われることが多く、漠然としているが故に、自由自在な解釈が許され、それを悪用・活用するリアルと、Web業界人との共生関係というか共犯関係が成立しています。
なんでもWebの手柄にして、薄い知識、浅い洞察力で、ニュースの解説をしている人たちに共通する特徴で、それは女優や芸人が政治経済を語っているのと同じ構図で、いまのテレビ業界を筆頭にしたメディアの幼稚化で、それはこの国の病巣というか、行く末を暗示しています。
“「ソーシャルメディアなどによる情報拡散のスピードが速く、新商品のCMや広告を出してから消費者が認知するまでのリードタイムが今までと比べて短くなっている」”
とは、「ITmedia ビジネスオンライン」で紹介された、サントリー食品のフレーバーウォーター
「サントリー 南アルプスの天然水&ヨーグリーナ」
が発売直後に出荷停止した理由です。
サントリー食品は今月2日に発売した「レモンジーナ」でも、出荷停止を発表しており、「品薄商法」が疑われています。
品薄商法とは、市場供給量を抑えて飢餓感を煽るもので、かつては「任天堂」などが得意としていました。
公取委にひっかかるので公的に認めることはないでしょうが、実際の売り場を取材した手口はこうです。
人気ソフトやハードが登場するたびに、そもそもの出荷数を少なく発表し、お客の飢餓感を煽ります。一方で、日頃から懇意にしている業者には優先的に出荷します。結果的に市場支配力が高まるという算段です。
任天堂のそれは、見込みの外れた(売れない)ソフトも引き受けてくれる「問屋」を守る仕組み(たまには美味しい思いをさせる)という見方もでき、一方的な批判はできません。問屋の存在は、メーカーにとって、一種のショックアブソーバーになっているからです。
ただし、サントリー食品の「ヨーグリーナ」は品薄商法というより「PR商法」と見るべきでしょう。
「大人気で出荷停止」
となれば、日頃広告を出しているテレビ番組のワイドショーは好意的に取り上げてくれます。サントリー食品(インターナショナル)と言えば、缶コーヒーの「BOSS」を始め、烏龍茶になっちゃん、CCレモンやリプトンに伊右衛門に、南アルプス天然水など、テレビCMを思い出すのは容易で、つまりは「話題作り」です。
サントリー食品はこれを否定しています。そしてわざわざ副社長を記者会見にひっぱりだしたところに、会社ぐるみというより、マーケティング(企画・販促)部問とPR会社の暴走があったのではないか、と邪推します。なぜなら、メリットよりデメリットのほうが大きいからです。
先のサントリーの「言い訳」をもとに、永江一石氏というWeb業界でのちょっとした著名人が、
“いまやソーシャルを無視しての生産計画はあり得ないことをレモンジーナとヨーグリーナが証明してくれた”
と題したブログを公開していました。
余談ながら、ひとつのエントリー(記事)を、複数のサイトに投稿することを「マルチポスト」と呼び、情報の水増しに繋がることからマナー違反とされていました。
私もかつて複数のブログでやっていましたが、ある日、検索結果に自分が書いた同じエントリーがズラズラっと並んでいるのを見てやめました。なんだか自分の中身が薄くなるようで下品で。
いま、この永江論考も含め、「BLOGOS」やらなにやらで大量コピーされていますが、いずれグーグルによる一斉粛正があることを心待ちにしております。オリジナリティ。我が国のWebに根本的に存在しないものかも知れません。
話を戻します。
永江一石氏の指摘は、サントリー食品の広報部の発表をなぞり、補足するもので、要約すれば
“若者がいる都会はソーシャルメディアで販売数が狂うことがあるよね。でも、高齢者の多い町や地方では残っていることもあるよね。解決するのはITリテラシーの高いPR会社と手を組まなきゃ”
てな感じ。
ITリテラシーの高いオイラに相談しなよ。という思いが滲むポジショントークにしか見えませんが、私がイラッとしたのはサントリーの広報の言い訳を、多角的に精査することもなく、がぶ飲み、もとい鵜呑みにしているところ。基本的なWeb業界との関わり方が違うので、彼が何を発言しようと構わないのですが、現場からすると「迷惑」な話しです。
マーケティングの面からも会社経営からも、もちろんWebの実体から考えても「ソーシャルメディア」は言い訳に過ぎないからです。
サントリー食品としては、ソーシャルメディアを悪役(波乱要因)にすることで、責任の所在を曖昧にしようとしているわけで、それは自己防衛としてひとつの手段ですが、Webの現場と物流、というよりマーケティングの視点から疑問を呈します。
インターネットブームがひと段落した後、
「ホームページは役立たず」
といわれた時代があり、それは活用法が間違っていたり、Web業界人の口車にのり、高い初期投資に見合う回収ができなかったりした企業の恨み言にすぎないのですが、今回の騒動でもソーシャルメディア(この表現にも首をひねるのですが切りがないので、そのまま)に罪はありません。
だって「在庫」が数多く確認されているからです。仮にソーシャルメディアにより「売れすぎ」たとするならあり得ない現象です。
レモジーナの時も、「在庫あるよ」という声は、それこそソーシャルメディア上に溢れており、品薄商法の疑いがかけられていました。
「田舎だからあるのかな」
と在庫があるというツイートに「はいそうです」と答える永江氏。永江一石氏は、ソーシャルメディアが活用されている(という条件設定もおかしい)若者の多い都会では売り切れても、田舎や年寄りの多い場所では在庫があることもあるという珍妙な論で説明しますが、いまでも「アマゾン」で買えるのは周知の事実で、それは彼のブログのアフェリエイト広告として紹介されています。
ヨグリーナへの結論もそうで、彼の認識とサントリー食品のそれは合致しますが、その言い訳は両者共に致命的な間違いを犯しており、ビジネスでは「死」を意味するレベルです。
再び永江氏のエントリーのタイトルを引用します。
“いまやソーシャルを無視しての生産計画はあり得ないことをレモンジーナとヨーグリーナが証明してくれた”
私はPR商法を疑っている立場ですが、仮に本当に出荷が間に合わず、それがソーシャルメディアによるズレであるなら、正しいタイトルはこうなります。
“いまやソーシャルを無視しての『出荷計画』はあり得ないことをレモンジーナとヨーグリーナが証明してくれた”
サントリー食品の説明を鵜呑みにし、ソーシャルメディアの「在庫あるよ」を信じるなら・・・というより、ネットでレモンジーナの出荷停止が話題になっていたとき、田舎ながらも東京23区内の足立区の小売店ではゴロゴロしていましたので事実として、出荷計画に不備があったということです。
百歩譲って、レモンジーナのときは「うっかり」だとしても、同じ客層を狙っているであろう、新味の清涼飲料水ならば、都心部や大手コンビニ向けの在庫を確保すべきです。
ましてや、ただの水に薄く香りをつけた「フレーバーウォーター」と呼ばれるジャンルは、昨年から新ジャンルとして、清涼飲料水各社が開拓しているジャンルだというのもポイント。
流行に敏感(と、される)な都市部のみの地域限定販売という手法もあれば、春だけの期間限定というアプローチもあるなかで、いきなり全国展開して、そして出荷停止、しかも2度も、さらにどちらも在庫が有り余っている。だから「PR商法」と断じるのですが、ソーシャルメディアによる拡散に理由を求めるなど、責任転嫁の卑怯者の所作です。厳密には別会社ですが「モルツ」を愛し続けるものとしてイラッとしています。
少なくとも、出荷停止を発表した「ヨーグリーナ」なら、直後に「特売」される状況を作るべきではありません。2015年4月21日(火)、つまりは昨日、馴染みのスーパーマーケットでは
「おひとり様6本限り 1本79円(税抜き)」
でヨーグリーナは特売されていました。埼玉県川口市で、永江一石基準でいえば、「田舎」になるのでしょう。あるいは「高齢者」ばかりの街なのでしょう。どう思います? 川口市の皆さん。
ちなみにこの店では、発売停止後もレモンジーナも普通に陳列されており、購入して飲みましたが、旨いとは感じず、あぁまた「おれ、流行に敏感だぜ」とTwitterで自慢するためのツールとして使われたのだなぁと溜息がもれ「ドロリッチなう」を思い出したものです。
念のために記しておきますが、TwitterによりヒットしたとWeb周辺では歴史が改竄されている「ドロリッチ」ですが、発売当初から「新感覚商品」として注目を集めていました。
これまた邪推に過ぎませんが、副社長まで臨席しての謝罪会見から、再びの出荷停止に社内調査したところ、意図的な関与・・・仕掛けがあり、あわてて「火消し」にかかったのではないかと睨んでいます。
サントリー食品は上場企業です。売上高で1兆2573億円を誇り、奇しくも発売停止を発表する前日は、年初来高値を記録していました。
それが充分な供給量として提示したのは、わずか月間190万ケースで、希望小売価格124円で換算しても売上高2億3千5百万に過ぎません。
仮にソーシャルメディアにより人気に火がつき、新商品の認知度が高まっているという「好機」に、増産、あるいは在庫からの出荷対応、または残っている問屋から引き上げ、売れている小売り網への商品の移送といった機動性がないのであれば、成長も期待できません。
サントリー食品の取り組みは分かりませんが、新商品については、通常の採算性を度外視することは常識的に行われることで、仮に移送費が嵩んでも、
「都内で爆発的人気。移送も間に合わず」
と記事になれば、本物の人気で
「レモンジーナ、ヤフーオークションで高値落札」
と、おまけまでつくことでしょう。
それもせずに・・・実体としてできないのであれば、つまりは「話題性」でしか販路が確保できないということで、どちらの商品も定番商品に育てることは困難で、収益の柱にはならないと株主に見限られてしまいます。
さらに、立て続けに「需要予測」を外したことも、収益性への疑問符となりますし、繰り返しになりますが、機動的な出荷体制の不存在とは、機会損失の証明です。
実際には、レモンジーナに続き、ヨーグリーナまで、在庫のだぶつきが確認されており、サントリー食品という企業への信頼は傷つけられ、永江説が仮に真実であるとするなら、
「サントリーの商品がある地域は田舎」
となります。本当の田舎はともかく、首都圏近郊や、地方の中核都市などの住民からして、「田舎」というレッテルは決して心地よいものではありません。あなたの街のコンビニなど小売店に「ヨーグリーナ」あるいは「レモンジーナ」を見つけたら、あなたは「田舎者」。あくまで永江基準ですが。
つまり、デメリットの方が大きいのです。
そこで、慌てて火消しにかかり、その「言い訳」としてソーシャルメディアが持ち出された・・・ことに、Web業界人として憤っています。
そして、本当にサントリー食品が「ソーシャルメディア」の影響力と考え、その力を過剰に見積もるなら、今後も過ちを繰り返すことでしょう。そして、ミニマム株主として、保有の方針を見直す必要がある・・・と、これは株主としての「ポジショントーク」。
ソーシャルメディアを言い訳にするな。そしてそれに群がる業界人の言葉に騙されるなと。渡りに船でも、その船は泥船だ。とも。
ソーシャルメディアの力は、特に購買力においては微力でしかありません。例えば「渋谷限定」とか、「ニコニコ超会議限定」と絞り込めば、その限定空間では高い効果が期待できます。
それはTwitterの普及期における、渋谷のしゃぶしゃぶ屋の成功例が証明しますが、全国規模の拡がりにはならなかったことが、同じく証明する事実です。
なぜなら、それは単に「コミュニティ」の力で、いまだに「松下幸之助」の名前が入った書籍が、パナソニック周辺で売れるようなものに過ぎず、また、首都圏で異例のどか雪が降れば、除雪のためのスコップが売り切れになるようなものでもあり、それは「昭和時代」から変わらぬ消費行動です。
局所的マーケティング、もっといえば「弱者のマーケティングツール」というのがソーシャルメディアの真の姿です。
ITリテラシー(笑
さて、わずか190万ケースとか言っておられますが、その規模を理解されておりますか?
飲料総研などの資料をひもとくと、茶系新製品以外での清涼飲料新製品で過去20年間で突出している最高数値です。
貴殿が言うような、大したことが無い商品で、上場企業の一開発グループがこれ以上準備をすることなど、何処の会社でも出来ませんね。売れなかったときの廃棄リスクは数十億円ですから。
旧メディアでは出来ないソーシャルメデイアの可能性を否定されておられるようですが、IT側の発想ではないですねぇ。
はて? 在庫のだぶつきが確認されておりとは、いったい何処でどうやってお調べになった上で断言されているのでしょうか? こういうのを風評被害を生め出す思い込みというのですよね。論拠は具体的にですよね(失笑
それと、冒頭の産経新聞社説の件、執筆者に確認されたのですか? これこそ朝日新聞社が漫画家の思想に対して書いたことについて、漫画家自身が”そんなことは考えた事もない。”と言った事と同じく、自己満足の思い込みではないでしょうか?(苦笑
注文が殺到する現象と、市場に在庫があるということは発注元の責任とは言えませんね。
例えば、貴殿がお得意とする分野のWEBでは、アクセス数が以上に増大して、サーバーがパンクしたとしますね。それは、サーバー運営者の責任でしょうか? アクセス数が想定を越えたたというのが正解なのに、運営側がアクセスした人に責任を擦り付けていると非難出来ますか? 出来るとしたら、その論拠はなんでしょう?通常月間平均より、常に十倍程度のサーバーを保有していなければならないとすれば、無駄な資金発生についてはどのように考えますか? マーケティングの観点からお答え下さいね。 マーケティングや、人を雇うときには、常に異常値想定のマックス準備を行わないとならないなんて説くのは貴殿流に言うと、馬鹿ではないでしょうか?