「バカッター」やマイナビの「0.2」でも触れているので、別の面から本書を紹介します。
米国は人種差別・区別の国であることを痛感させられます。
アッパー、ミドルとは、所属する「階級」を意味し、せいぜい日本では「山の手育ち」「都会育ち」ぐらいしか残っていませんが、厳然たる身分が米国社会にあることをSNSが「可視化」します。
つながりの可視化はポジティブに語られますが、黒人は黒人とかたまり、貧民は寄り添い、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)はWASPとつながっているのが一目瞭然となります。
また、
「私は人種差別主義者ではないが」
という注釈からはじまるコメントも、米国社会の実相を照らしています。
黒人の容疑者(?)を射殺した白人警官への批判も、こうした実態を下敷きにしており、しかし、著者の膨大なフィールドワークから浮かび上がってくるのは、口では人種差別を嫌いながら、選択的交友関係において、人種による区別を行っているということです。
さらに、私たちの世代的には「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で描かれた米国的「放課後」は既に消失していることにも驚きました。
我が子を守るためにかんじがらめに規制し、監視し、それを愛情と疑わない米国社会。異常と感じられる日本にホッとします。
余談ながら「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で描かれた、宙に浮くスケボーが登場した「近未来」は今年2015年です。
■つながりっぱなしの日常を生きる(草思社)
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