渋谷のスクランブル交差点に集う反日活動家

 渋谷に集まりバカ騒ぎする連中は、一斉検挙して身分確認した方が良いんじゃない? という話し。はい、ワールドカップネタです。

 連日未明からサッカー観戦は幸せの一語に尽きます。睡眠不足は仕方がないとしながらも、開幕戦を見終わってから数時間後に測った血圧が、医者が喜んで処方箋を書くレベルでした。上はもちろん、下も三桁。

 翌日以降、若干高めないつもの数字で、いまの健康診断では経過観察、噂の新基準ならセーフのレベルで推移しているので、いかにワールドカップに興奮していたかがわかります。

 イングランド・イタリア戦も楽しゅうございました。ドイツ・ポルトガルは悪夢のようでもありました。米国・ガーナの死闘も見応えがありました。

 最悪だったのは「日本代表戦」です。

 緊張するのはお互い様、高い気温もお互い様。FIFAランキングはコートジボワールが上とはいえ、弱者の逆転があるのもサッカーの魅力ですし、そもそも「強豪国」以外は微力と運の違いを数値化したのがFIFAランキングに過ぎません。

 ところが今大会、2014年6月17日現在10試合(今朝は2試合追加)以上をテレビ観戦した結論として、もっとも下手くそだったのが、我らが日本代表です。パスは通らない、パスが届かない、一対一でボールを奪われ、前に進むことすらできません。

 戦う姿勢が見えないどころか、「びびっている」ようにわたしには見えました。

 もうダメなんじゃない? というのが正直な感想。仮にギリシャ戦に勝てたとしても(本当か?)、その次はコロンビア戦。その状況下では2連敗でモチベーションの下がるギリシャと、コートジボワールが当たります。

 得失点差とモチベーションの関係性から考えれば、現実的には相当厳しく、「2勝」しても道が閉ざされる可能性があるからです。

 日本が連勝するとして、次節のコートジボワール・コロンビア戦でコロンビアが勝ち、最終節でコートジボワールがギリシャに勝てば、勝ち点は6で並びます。得失点差の勝負になりますが、ギリシャ戦で+3のコロンビアは有利で、仮にコートジボワールと日本の得失点差が同じなら、当該国同士の勝敗で決まります。つまり、日本のメディアが報じる以上に、厳しい条件に追い込まれているのです。

 絶望するには早い気もしますが、仮に日本がギリシャと戦う裏で、コロンビアとコートジボワールが引き分けに終われば、最終節の両国は引き分け以上で決勝トーナメント進出が決まります。

 今大会では強豪国同士での大量得点差という珍事も多く見られるので、そうした「奇跡」を信じたくもなりますが、いずれにしろ、コートジボワール戦の戦い方では、奇跡を口にするだけで厚かましいといえるでしょう。いや、出場してすいません。と他国観戦をしながら謝っています。

 日本がいまだサッカー後進国であると見せつけられています。

 本番を想定した練習試合で「あざやかな逆転勝ち」をしたと報じ、日本国民もそう信じていたのが、弱者の証です。

 ザックジャパンの永らくの課題は

「不用意な失点」

 であったことを忘れてしまいます。結果論ではありません。逃げきる、勝ちきることができてはじめて「強豪国」と呼ばれるのです。

 むしろ逆転劇こそ結果論に過ぎません。そしてそれを喜んで良いのは「本番」だけです。

 いちいち上げれば切りがないので割愛しまが、サッカー後進国である証左を、もうひとつだけ示しましょう。

「今からはね、叩くとしても大会が終わってからにして欲しい。大会中はメディアとしてではなく、日本人として日本代表を応援して欲しい。我々の一員として一緒に戦って欲しい」

■スポニチアネックス6月12日(木)8時56分配信
http://goo.gl/dl0979

 とは、日本代表の本田圭佑の発言。

 ま、本田もミランで叩かれ、日本でも叩かれたらたまらないのでしょうが、選手の弱音としてはともかく、そのまま報じるスポーツ紙が、この国のサッカーレベルを表しています。

 応援と批判は表裏一体です。

 興味がなければ厳しい言葉を吐きはしません。観戦を通じて、問題があると感じたから批判するのであって、それを黙ってみていろ、むしろ応援しろとは、代表引退の記者会見もせずに、

「自分探しの旅に出かけた中田英寿」

 と同じあまちゃんです。いや、引退すればニュースバリューもなくなり、見逃されもしますが、現役の代表でいる限り批判から逃れることはできません・・・ですが、本田の批判が目的ではありません。

 本人がイヤだと言っても、内容においては批判するのがスポーツジャーナリストの使命で、むしろ日本代表を応援するからこそ、厳しい指摘を躊躇してはならないのです。

 ところが先の記事も「好意的」に報じています。

 日本国民が忘れているので指摘しておきます。

「ジーコジャパンをどれだけ批判したのか」

 一挙手一投足を批判し、些細なミスすらジーコの責任としました。そして何度も繰り返しますし、結果がすべての世界ですから、ジーコを名将とは呼びませんが、

「攻めた結果の討ち死に」

 が、ドイツ大会の惨敗です。勝ちに行く、点を取りに攻めた結果、つまりそれは今大会で本田などがいう

「リスクを取る」

 ということで、すなわち博打に負ければオケラになるようなもので、帰りのバス代を残すようなケチな戦い方をジーコジャパンはしなかっただけのことです。わたしは今でも高く評価しています。その水準になかったのかもしれませんが、

“負けない戦いから、勝ちを狙う戦い方”

 の分水嶺がそこにあったからです。

 これをこぞって批判しました。負けたのですから仕方がありませんが、にわかファンまでがジーコに唾しました。ブラジルの地で、リスクをとれなかった日本代表には、ブラジルの英雄である

「ジーコの呪い」

 がかかっているのかと疑うほどです。

 とは冗談ですが、ジーコは監督時代にこういっていました。

「成功は選手の手柄、失敗は監督の責任」

 その言葉のままとはいえ、ジーコへの批判は非道すぎたとわたしは見ています。それは神様への甘えにも感じました。神様ならば、我らが代表を想像もできない高みに引き上げてくれる・・・バカバカしい。

 その甘えもまた、日本がサッカー後進国である証の一つですが、ジーコが背負った監督の責任論に関しては世界の常識です。

 コートジボワール戦の完敗に、現日本代表監督のザッケローニが

「敗戦は私の責任」

 と言ったというのは、至極当然の話に過ぎません。

 だから批判の矢面に立つのも監督の仕事・・・ですが、この4年間、ザッケローニを正しく批判したのはセルジオ越後ぐらいではないでしょうか。

「欧州組を重用しすぎる」

 とは、ザック批判の代表例ですが、ジーコの時にもそれはあり、しかしその批判の物量は桁違いでした。ザックジャパンにおいても、ファンの間では公然と批判されており、昨年の欧州遠征では批判の横断幕まで掲げられたことを、日本ではほぼ報じられません。

 一部引用するこんな感じ。

「日の丸の重みは?/結果を出している国内組より結果・出場してない海外組の方が大事?/ZAC(ザック)さんは海外組がすべて?」
■2013/11/17 10:00配信 宇都宮徹壱/スポーツナビ
http://goo.gl/ylMnXO

 最終メンバーで大久保嘉人が選ばれたことを「サプライズ」とする報道など論外。昨年のJリーグの得点王ですし、その前年の得点王の佐藤寿人など、呼ばれもしませんでした。

 また、コートジボワールのドログバを挙げるまでもなく、ワールドカップという特別な舞台において「ベテラン」の果たす役割は大きく、特に場数が物言うデフェンス陣に「ベテラン」は不可欠。2002年大会では秋田豊が招集を掛けられたように、2010年の川口能活のように。

 また、出場させるかはともかく、最終的な強化の段階で招集を掛けないことにも疑問が残りました。穴の多い吉田麻也に足りない何かを、ベテランはもっている、あるいは

「ロートルには負けていられない」

 と奮起させる当て馬としても・・・とは過ぎたことなので、振り返っても仕方がありませんが、しかし、まだ2戦残っており、我らが代表の奮起を期待するなら、マスコミは総力を結集してザックジャパンを批判しなければならないのです。

 マスコミによる代表批判は、別の効果を生み出します。

 カルト宗教にも通じますが、外部からの猛烈な批判はチームの結束力を生みますし、批判が強ければ同情する人も現れるものであり、なにより監督を批判することで選手への批判は多少和らぐのです。

 決勝トーナメント進出ができなければザックの采配ミスであり、そもそもの代表メンバーの選出に問題があった。この批判は当然のことであり、結果論ではなく、批判しなかったスポーツジャーナリストの責任でもあります。

 それでは無事、決勝トーナメントへ進出し、ベスト4、あわよくば世界一に輝いたとしたら、それは選手の頑張り以外のなにものでもありませんが・・・・はぁ。

 と、ながらく封印していたサッカーネタを解禁した理由はザック批判だけではありません。

 いよいよ反日活動家が本性を現してきたという話しです。

 コートジボワール戦に敗北した後、東京渋谷のスクランブル交差点は人手溢れかえり、見ず知らずの連中が、すれ違いざまに

「ハイタッチ」

 をかわします。一部では警官の制止を振り切り車道に出たとかでないとか。

 直後を報じたテレビ朝日「サンデースクランブル!」では、この行為を「好意的」に報じていました。番組のワールドカップ解説で呼ばれたであろう、元日本代表の名波浩氏の苦い表情が、彼の本音を物語りますが、反日報道局なので当然と言えば当然です。

 ハイタッチとは一般的に喜びを確認しあう行為です。人が集まる場所で警察官の指示に従わない行為は、社会を混乱させる目的があって行われます。

 はい、日本代表が敗戦したにも拘わらず、渋谷に集まり、スクランブル交差点でハイタッチをした連中は

「日本の敗戦を喜び、渋谷を混乱に陥れる目的の工作員」

 ということです。連中をみるたびに日本人として嫌悪感を覚えていたのは、自然な本能の警告だったということです。公安が動く前に、日本が敗戦してハイタッチする連中を警官は職務質問し、身分証明書の提示を求めるべきです。

 ちなみに、サッカーファンの端くれとして主張しますが、多くのサッカーファンは渋谷のあれを良いと思っていません。埼玉スタジアムなら6万人、日産スタジアムなら7万人を即座に動員できるサッカーファンの規模と比較して貰えば、渋谷で騒ぐことを目的に集う連中が、一部の工作員に過ぎないことを、ご理解いただけることでしょう。

 今回のワールドカップに日本代表が出場した意味は、反日活動家をいぶり出すことに成功したことかも知れません。

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