実に慶事である。とは大村智・北里大特別栄誉教授と、梶田隆章東大宇宙線研究所長のノーベル賞はもちろんですが、私が言祝ぐのは、ラグビー日本代表の「快挙」。
にわかラグビーファンとして五郎丸選手や、エディー・ジョーンズを持ち上げるつもりはありません。「世界の風」を運んでくれたことの喜びです。されは四半世紀が過ぎても今なお「にわか」を自称するサッカーに通じます。
どちらもイングランドを起源とするどころか、スポーツとしての起源も同じとされる両者が、日本に運んできた世界の風。言葉を換えれば「常識」といっても良いでしょう。
品行や知識における常識ではなく、
「今は、歴史に通じる」
ということ。現代日本に致命的に欠落している常識です。
私がサッカーファンになったのは「キャプテン翼」ではなくJリーグです。「翼」のど真ん中の世代ながら、そこにハマらなかった理由は生来の天の邪鬼。Jリーグも同じですが、サッカー経験者の友人の「おごり」で足を運んだ横浜は三ツ沢で、片足がサッカーの泥炭に絡め取られ、気がつけばズブズブとファンになっていました。
好きになれば活躍して欲しいもの。で、その最高峰と思っていた「ワールドカップ」では、我が代表は本戦にすら出られないと知ります。Jリーグ開幕は1993年5月で、ドーハの悲劇は同年10月です。
正真正銘のにわかですら知っている、世界の強豪国とは試合にならないどころか、試合を組んでくれないレベルと、先の友人に教えられます。バブルの残り香のした時代、「ジャパンパネー」で解決しているとも友人談。
若干熱は冷めましたが、スタジアムの興奮を消すほどではありません。スタジアムには魔力があります。
それから数年後、さすがの魔法もとけかけたころ、ブラジルが言う「マイアミの屈辱」が「にわかファン」を決定づけました。
アトランタ五輪の予選グループで、中田英寿、城彰二、前園真聖を擁し、そういえば故 松田直樹もいて、なにより川口能活の神がかり的なセーブに、伊藤テルが決めた決勝点・・・と涙ぐむのは年を重ねたせいでしょうね・・・により、ブラジルに勝ったのです。
史上最強と呼び声が高かったのは、日本代表よりもブラジル五輪代表で、ロベカル、ロナウド、リバウドと3人並べただけでお腹一杯なメンバーだったのですから。
そしてブラジルに勝っても、決勝トーナメントには進出できなかった現実の前に、ドーハの悲劇などと嘆いているようでは、世界レベルには立てない、弱者が強者を倒す「ジャイアントキリング」がある競技において、弱者はそれを目指し、反対に弱者と対する強者は、二度と戦いたくないと思わせるほどの残酷な勝利を収めなければならないと知ります。
何のことはない亡父の教えでした。
強い相手と喧嘩するときは一点集中で殺す気でいくのは、そうしなければ殺されるからで、弱い相手が向かってきたときは、二度と歯向かう気持が起きないよう実力差を感じさせること。窮鼠は猫を噛むからです。
弱い相手にさえ、ゲーム開始早々に全力で「叩きつぶし」にかかるのは、それがもっとも効率だからで、これが世界の常識だと知ります。なお、最近、我がサッカー日本代表を取りあげないのは、私が20年前に辿り着いた常識にすら辿り着いていない不甲斐なさからです。
父の教えを阻害していたものは日教組教育です。イデオロギーを理想論でくるみ、さらに机上の空論でコーティングした、現実社会における誇大妄想です。
弱者に優しく。これは当然。しかし、弱者が己の弱さを踏まえた上で、協調を理解し、友好を求め、応じた責任を受け入れ、その態度を示す場合に限ることを学校では教えません。
争うことはとにかく悪であり、ルールは墨守するのが当然とし、すべての存在は平等だと教える日教組の組合員が、ちょろちょろとルール違反をし、不平等な世界に生きていること、生徒を不平等に扱っていることに気がつくのは、中学生ぐらいになってからですが、なまじ日本人の美徳を持っていれば持っているほど、嫌いな教師がルール違反をしているからと、こちらも同じ土俵にのってはいけないと、結果的に連中の思惑通りに動いてしまうというジレンマに陥ります。
そしてまた、連中はそのロジックで揚げ足取りをするので厄介。お陰でいま、左翼の論理にすぐ気がつくことができるわけですが。
加えて、日教組の嘘に気がつく前に刷り込まれた、連中による「常識」が行動を規制します。実によくできた洗脳システムです。安保法制を巡ぐる議論にも通じ、戦争=悪で思考停止に陥るように仕組まれているのです。
ちなみに、校内暴力、華やか知り頃、日教組教育が無力を露呈したのは、机上の空論など、中学生のゲンコツに負けるからに過ぎません。
話を戻します。
サッカーが教えてくれたこと、気づかせてくれたことは
「ズルも競技のウチ」
ということ。
いま風にいうなら、サッカーという競技におけるルールとはネガティブリストで、「これはやってはダメ」と明記されていますが、これとこれはやっても良いというポジティブリストではありません。
つまり、選手に委ねられた「余白」があり、「ファール」というズルも技術のウチというのがサッカーにおける常識で、かつて井原正巳氏が、新聞の連載で「必要悪としてのファール」について触れたとき、抗議の電話とハガキが殺到して、ちょっとした社会問題になったことに代表されるように、サッカーが日本に根付く過程で、ズルを言語道断とする日本人と世界の感覚の違いが浮き彫りになりました。
いま、決定機を「潰す」ためのファール(反則)には、ファインプレーと大きな拍手が贈られます。
ボクシングなどの格闘技においてファールとは、すなわち「死」を意味し、同じく生死のやり取りを出発点とする「武道」でも反則を厳しく制限します。
しかし、スポーツは「ゲーム」、すなわち「遊び」です。だからルールの厳守より、面白さが優先されます。そして興味深いのは、日本古来の競技の「相撲」は、実のところは「ネガティブリスト」で、先場所の横綱 鶴竜が立ち会いで身をかわすことは「横綱相撲」ではないと批判されながらも、優勝で締めくくると「横綱はまずは勝つこと」という意見もあったように、運用面では何でもありです。
「興行」としての背景が「遊び心」を残しているのでしょう。
そもそも完全な平等などなく、どこかで妥協しているのは、191cmの照ノ富士と、170cmほどの豊ノ島の一番を引き合いにだすまでもありません。こうした「差」を埋めるのは、ルールではなく、競技者のアイデアであり戦術、技術で、ガチガチにルールを定めれば活躍範囲は限られてしまいます。
サッカーという競技の面白いところは、1対1の接触プレーもある競技だけに、体の大きさが有利に働く局面も多いのですが、足技に長けた低身長の選手を、大型の選手は苦手とするなど、体格は競技を有利に進める絶対条件にならないとことです。
人間は左右の動きに反応しても、上下は難しく、足元ばかりを見ていれば転ぶように、大型デフェンダーの周囲を、ちょろちょろと動き回るドリブラーについていけないのです。
また、大型選手はその分だけ体重があり、また遠心力やテコの原理から、ヒザや腰に負担がかかり燃費が悪く、反対は比較してエコノミーであるなど、身体的特徴にあった技術を身につけることで、体格差を上回る「個性」になるところもサッカーの魅力です。
ところが学校教育において、身体的特徴はときにタブーとなり、また平等を求めるあまり、身長別や体重別に分けて競わせることがあり、背の低い有利、体重の重い有利に気づく機会を与えてくれません。
前置きが長くなりましたが、もう少しだけサッカーについて。
アトランタ五輪を報じるワイドショーで知ったのは、
「米国ではサッカーの人気はそれほどでもない」
ということ。
野球、アメフト、アイスホッケーが人気で、ワールドカップもさほど盛り上がっていないといいます。無節操になんでも騒ぐ日本人もどうかと首をかしげますが、開催国として盛り上げるのもホスト国の仕事だろうと思いながら、その後、普及したインターネットで調べたり、先の友人に話を訊いたりすると、それは事実で、ヨーロッパと南米ではサッカーが大人気で、むしろ野球をやっている国のほうが少なく、それは道具を揃えなければならないことも理由の一つです。そして、アメフトの防具は高く、アイスホッケーに至っては、やれる環境の国が少ないと知ります。
「世界の中の変わり者、米国」という姿を知ったのはフランスワールドカップが開催された1998年より、少し前だったと記憶しています。戦後、その米国を世界の中心と見てきた、これは右派も左派も同じです。国防上の理由はともかく、世界は米国だけではないという当たり前を知ります。
米国は世界の中で異質な存在。この視点にと立ったとき、国内メディアというフィルターを通しながらも、伝えられる世界情勢に別の姿を見つけるのは容易でした。なぜ、フランスがごねるのか、英国は積極的でないのか、などなど。
さらに、アフリカでサッカー人気が盛り上がっている理由の一つに「植民地」があると知ります。フランスにおける「アルジェリア」であり、あのジダンはアルジェリア移民の子供で、あの「頭突き事件」に同情的な声が多かった理由です。そこには「歴史」の存在があります。
そしてようやく本題。ラグビー日本代表。そこに外国人が一杯。ロペス、アレックス(三都主)、そしてラモスを擁するサッカーファンからすれば、さして気になることではありません。なにより、先日、旅立ったクラマーにより開かれた日本サッカーです。
国籍規定がそもそもなく、他国での代表歴がなく、両親か祖父母の1人が日本生まれか、3年以上の滞在日数があれば条件を満たします。
この理由について、元日本代表の吉田義人氏は、日テレ「ニュースゼロ」の取材にこう答えます。
「イギリスがラグビーの発祥。その植民地でラグビーを広げ、世界中にイギリス人のラグビー選手がいるようになった。その交流の過程で生まれた施策だと思う(発言要旨)」
■NEWS ZERO サイトより
http://www.ntv.co.jp/zero/ichimen/2015/09/post-300.html
日韓併合を植民地として、激しく批判する朝日新聞の系列であるテレビ朝日の番組でも同様の解説をしていました。英国の植民地と日本の植民地は何が違うのでしょうか。英国は良くて、日本だけは悪ならば、あきらかにダブルスタンダードです。
ラグビーのワールドカップの歴史は浅く、1987年からはじまり、この頃になると、世界地図から植民地はほぼなくなっていましたが、それでも「名残」があるというか、もっといえば、
「大英帝国の地域代表」
という厳然たる事実が、ラグビーにはあるのです。
前回大会のベスト8は、フランスとアルゼンチン以外の6カ国は、グレートブリテンか、その息のかかった国です。
また、労働者階級のスポーツ サッカーに対して、貴族のスポーツであるラグビーへの参加には、確たるヒエラルキーという壁があったことでしょう。端的に言えば、植民地支配された現地民に開かれた門戸とはとても狭かったということです。
そこで「世界大会」を開くには国籍条項の不採用は、歴史的経緯からも不可欠だったと見るべきでしょう。
人権意識もすっかり高まり、欧米による植民地支配で蹂躙され尽くしたアフリカ諸国の飢餓救済のために「We Are the World」が歌われた後の時代です。
歴史的経緯を批判するものではありません。今の価値観で植民地を非難もしません。
そもそも歴史とは連続しているもので、現代において批判される所業であっても、ひとつのピースが欠けただけで、「いま」に繋がらないことは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」において、主人公のマーティが両親の出会いの場に参加したことで、存在が消えかけた「タイムパラドックス」に有名です。
なお、バック・トゥ・ザ・フューチャー2における「未来」とは、いまから2週間後の「2015年10月21日」です。
過去を反省し未来に活かすことと、過去そのものを否定することはまったく別物で、後者はむしろ過去を教材としない愚者の態度です。
さらに、現代における批判であっても、当時においては称賛されるか、認められていた行為は多く、ものすごく野蛮な例えとなりますが、学生時代に「殴り合い」の喧嘩を、いわゆる「タイマン」を経験したものは、大人になった今、暴力そのものは否定しますが、当時を否定する者は希です。
過去を装飾して最強伝説を語るものもいれば、擦り傷程度を瀕死の重傷と捏造するのもいて、あまりの暴力に話しを間引くこともありますが、総じて「経験」として受け入れているものです。
鉄は国家とビスマルクは言いましたが、国家は人の集合体です。
人が経験に得るものがあるのであれば、国家も同じくで、反省はもちろんすべきですが、全否定される歴史などないどころか、世界は歴史を踏まえなければ理解できないことだらけだと、サッカーが、そしてラグビーが教えてくれるであろうことを、喜ぶのです。
ま、結局「外圧か」と嘆きもしますが。
かつて世界には植民地がありました。これは事実です。そして世界はその過去を踏まえて、今を見つけ、明日を探しています。