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先週末はキンドル有料本の政治ジャンルで5位にランクインしたのを確認しています。キンドル本とは書籍通販アマゾンで販売される電子書籍のこと。
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完全! ネット選挙マニュアル(電子書籍)
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すいません。今回も若干「宣伝臭」を織り交ぜておりますが、ついでに言えば今回の「マニュアル」から本質的な問題点を抽出しつつ、大幅に加筆修正を加えた要約版を近日中に発刊する予定です。テーマはこうです。
「ネット選挙の解禁で政治は幼児化する」
さて、電子書籍の発刊と同時に進めていたのが、紙版、いわゆる商業出版です。何社か声をかけ、いくつかはもう少しのところまで話しが進んだのですが、今回見送りとなった理由にいろいろなことを考えさせられたのは
「リスクはとれない」
というもの。マニュアルにはグレーゾーンは避けられません。「きれいごと」だけなら、総務省が発刊しているガイドラインで充分です。しかし、ネットの実際を知っていれば、違法と合法が曖昧な部分ばかりです。
例えば候補者本人が選挙期間中は多忙で、ブログを更新できないとき、代理人に依頼したとします。代理人が無料ならば違法性はありません。選挙期間外なら謝礼を払っても問題ありません。しかし選挙期間中なら買収にあたる可能性が高くなります。ただしブログの原稿を候補者本人による下書きを元に、誤字もそのままに入力しただけならば、単純作業の労務者という解釈も成立します。その線引きがグレーゾーンです。
またメールによる投票の呼びかけは、事前に選挙活動に利用する目的と明示したアドレスにのみ許可されるとなっていますが、ツイッターやフェイスブックのメール送信機能を利用すると無許可でもOKという解釈が通説になっています。改正公職選挙法ではホームページの一部と考えるからです。
さらに改正案の段階では、選挙目的と明示して集めたアドレスへの送付だけが認められるはずが、法制化の段階で
「継続的に送信している政治活動目的のメールアドレス」
へも許可を取ればOKと加わり、これは政党や議員が発行するメルマガの読者を「選挙転用」させるためのものです。するとここにメールアドレスの売買というグレーゾーンが生まれます。政治的な内容を盛り込んだスパムメールを複数回送れば、選挙活動用のメールアドレスに転用することが、理論上可能になるからです。
マニュアルとして盛り込んだのは、グレーゾーンの手口を紹介し実践しろということではありません。こうした脱法的手法があることを示すことで、脱法の穴を塞げという啓発が目的です。
先の出版社はマニュアルにより、逮捕者がでたときのリスクを負えないと言いました。過剰な心配のような気もしましたが、他の出版社でも同様の声がなきにしもあらず。また、端的にマニュアルとしたことで、市場の小ささを理由に落選した編集部もありました。
商業出版とは、安全で売れそうな言論のみが流通する空間。
もちろん、リスキーな書籍を発刊する出版社はいまでもあるので全てではありませんが、自由経済市場における偏りと歪みが生まれる構造なのです。社会的な経済要因もありますが、業界の構造上から生まれる、商業出版の言論への失望も出版不況の一因ではないかと思うのです。
翻りネット言論界にタブーはあまりありません。有料無料の垣根ではなく、ある種の猥雑さが活力となるのは70年〜80年代にかけてのサブカルの歴史に重なります。ブログが普及し、ツイッターが広まったことにより、発言と参加の容易さが格段に増しより活況を呈しています。
そしてそこから生まれる「ネット世論」があります。ネット選挙を語る文脈で、これを政治家は利用すべし、実際の政治に反映すべきと言う声もあります。
今回は「ネット世論」について。
山口浩 駒沢大学准教授による『ネット世論と「ゾウは細長い」についての話 』というブログで、東京新聞の取材に答えた経緯に触れてから持論を展開します。
http://blogos.com/article/54580/
東京新聞の取材意図は
「ネット世論なるものは実際の世論とはちがう」
というもので、これを解説した東大の准教授の見解を認めつつも論点が違うとし、主観によって捉えた現実も重要ではないかとし、受け手が正しく全体像を知っていれば良いだけとは乱暴というか暴論です。
次の段で
“「世論のやや歪んでいるかもしれない一部」がネット世論ととらえればいいだけの話”
と自ら答えているその言葉は、東京新聞の企画と重なるからです。まるでマッチポンプです。某かのお立場から、記事として公開されたコメントを軌道修正したかったのかも知れませんが、これはわたしを「とんちんかん」と罵った・・・あいつ誰だっけ・・・ネット有識者のひとりと同じ。
ネット世論が実際の世論と違うという東京新聞の取材意図は的を射ています。わたしもそう思います。そして山口准教授に限らず、ネット世論の擁護派に多い錯誤を彼の発言に見つけます。
“すでに日本では全人口の約8割がネットユーザーなので、それなりに重視すべきと言っていいのではないかと思う。”
先の発言から、一部の意見が拡大解釈して伝えられるのは、以前からあったことと断った上での指摘です。意訳するとこうなります。
“30代の運転免許の保有率が9割を超しているので、走り屋の意見にそれなりに重視すべきと言っていいのではないかと思う”
どういうことか?
ネットユーザーとネット世論の構成者は等価ではないということです。ネットで積極的に発言し、アンケートに答える世論の構成者はネットユーザーの全体像を表していないからです。免許保持者の中には原付自転車の免許から、ペーパードライバーまで含まれているにも関わらず、一部の走り屋が主張する峠のレース利用の解禁に耳を傾けとろいうのと同じだということです。
ネット選挙にも影響します。ある政治家のフォロワーを追い掛けてみました。すると700名あまりフォローしているなかで、政治家や政党、官邸などのアカウントが60弱を占めていました。政治家を積極的にフォローし、いいね! をクリックし、リツイートするのは政治マニアなのです。彼らを否定はしません。しかし、大多数の一般市民は政治マニアではありません。
日々、政治のことを考えている人間のほうが、政治に与える影響が強くなって当然だろう、との考えに汲みしない理由は後で述べるとして、さらにネット世論に対していささか暴論を吐いてみたいと思います。
ネット選挙解禁を決定した今国会で、もっともネット世論を賑わせているのが『児童ポルノ禁止法改定案(児ポ法)』です。児童ポルノの単純所持まで禁じることで冤罪の発生を怖れ、「児童ポルノに類する」という漫画やアニメなどでの児童へのわいせつ行為などへの関連を「調査研究」するという検討条項から、ドラえもんの登場人物「しずかちゃん」の入浴シーンまで規制対象になるのではないかと大騒ぎになっています。
表現の自由への懸念は、この手の規制でいつもあがることで、検閲国家となりそれは軍国主義への回帰と左翼も盛り上がります。そして為政者による表現への関与は、恣意的な運用をもたらすと危惧します。
しかし、表現の自由や権力者の恣意的な権力の濫用は、改正公職選挙法にもあります。誹謗中傷に対して、名誉毀損や侮辱罪という主観的な訴えができる親告罪をもって威嚇するからです。
端的に言えば「嫌だと思ったから侮辱です」が通じるのです。政治家が批判に晒されるのはある意味健全な民主国家です。ところがネット上でこれを「規制しかねない」のが改正法です。恣意的運用を諫めるなら、それが発覚したときに公民権停止など厳罰を持って政治の側が自らを戒めることはありません。歳費のカットや、定数の調整もできないのですから、我が身を律する罰則など作るわけがありません。
改正公職選挙法も同様の危惧があるにも拘わらず、これを危惧する声はなく、児ポ法に熱くなります。2010年のいわゆる「非実在青少年」のときもそうでした。
すると「ネット世論」の代言者にこんなプロファイルが浮かびます。
「アニメオタクのロリコン」
オプションを追加すれば、
「軍事やメカに萌え、脱原発を標榜しながらエアコンの効いた部屋でなうとつぶやき、政府はいつも陰謀を隠しているを前提とする政治マニア」
やり過ぎですね。でも、体感値としてそれほど遠く感じません。
リアルはもちろん、ネットユーザーを分母としたときも多数派ではない、というより少数派でしょう。アニメもロリコンも熱狂的ユーザーに深掘りされているのが現状で、裾野の拡がりはないからです。
ネット世論や論壇では、アニメは文化に溶け込んでおり切り離すものではない、大人のくせにアニメをみるななどナンセンスという主張が散見します。
見るなとはいいません。アニメだけ見ている大人に眉根を寄せるのです。あるいは熱狂的にアニメを見ていることを「普通」と称する異常さを指摘しているだけのことです。
ついでにいえば「若手論客(笑)」と呼ばれ、否定しない連中の大半が30才を越えたオッさんであることは、最年少が45才という青年部が珍しくない町内会の増加と重ねて見逃したとしても、連中が極度の「オタク属性」であることにおぞましさを感じます。
彼らを若手とカテゴライズして論客とレッテルを貼ることで、オジサン(正しくはお爺さん)論客たちが、自らの地位を脅かす存在を意図的に排除しているのではないかということです。つまり、オタク以外の分野で思考を磨き、研究を深めているオジサン連中の若い頃を想起させる論客をフィーチャーすることで、世代交代を求められるリスクを避けるために、底が浅く、得意分野の被らないオタクを褒めそやす延命策です。おぞましさとは、地位にしがみつこうとする「業」に対して。
話を戻します。
先の山口准教授が告白するように
“「世論のやや歪んでいるかもしれない一部」がネット世論”
です。ゆがみの元はそれぞれですが、政治オタクでネットの住民、アニメ属性をもち、幼児性愛に寛容。娘を持つ親なら鳥肌どころか、卒倒するような幼女(少女ではなく幼女)の蹂躙を描くする漫画作品まで表現の自由を認めようとする思想の持ち主がネット世論に色濃く映ります。
余談をもうひとつ。先の児ポ法を漫画家が反対してますが、そのひとり「あだち充」はその昔、「へんたい漫画家」と自称していました。パンチラや着替えのシーンで下着、あるいは下着のみを意図的に描いていたからです。血縁のない兄妹の恋愛を描いた『みゆき』に代表されます。今と比べれば可愛いもの・・・というのは、最近の週刊少年マガジンでは学生がセックスする作品があり、他の少年誌でも、あきらかにロリコン属性が興奮する構図を意識した作品が溢れています・・・ですが、それは時代が規制するエロの基準が変化したにすぎません。
また強く規制を反対する漫画家「赤松健」などは、年齢をかき分ける画力がなければ、いわゆる「オバサン」を描いたつもりが、幼女に見えると指摘されれば児ポ法に触れて困ったなぁ(もちろん意訳)といいますが、そのオバサンに見えないオバサンしか描けない画力や表現力はいかがなものだろうという突っ込みは脇に置いても、彼の作風はロリコン全開です。オタク的記号も多く、わたしは途中で挫折しました。
これを好むのは自由。ただ、表現の自由ではなく自己都合。生活が困るという、労働争議や競争の阻害といった「商売」で反対の論陣を張るのなら、やれやれとおもしろがれるのですが、ロリコンがなにより守られるべき表現の自由ではありません。スクール水着やそれに類するファッションで戦闘シーンを描く必然性は、表現ではなく需要です。
ついでといってはなんですが、こうした指摘をすると、言葉の一部だけを切り抜いて攻撃してくるネットの住民が多く、これもネット世論を「やや歪める」理由のひとつです。
意見が違うと思うなら、自分のブログなりツイッターで表明すれば良いだけのことです。論戦ではなく折伏を狙うその姿勢は連列与党の自民党じゃない方の支持母体と同じです。
結論にはいります。
ネット世論に政治家が耳を傾けることを危惧するのは、ネット世論が歪んでいるからだけではありません。ネット世論を構成できるネットの住民の大半は四六時中、ネットに張り付いています。
しかし、です。ネットに張り付く間もなく額に汗して、手足を動かし仕事をしている人々がいます。脱原発ナウ、東電社員はすべて、峯岸みなみを見習って丸坊主にしろ! と怒声が飛び交うツイッターを利用するための大前提である電気を安定供給するために、雨の中でも電柱にのぼる人がいます。不祥事が続くポリ・・・お巡りさんを批判しますが、彼らが巡回もせず「なう」とつぶやきに興じているようでは社会がもっときな臭くなるのは想像に難くないでしょう。もっとも神奈川県警はやってそうですが。
社会は「ネット」に興じていない人が支えているのです。むしろ「ネット」が補えるのはネット領域のみで、ネットはラーメンを提供しなければ、肩をもんでもくれません。そして政治とは、こうした声なき声を汲み上げるものであり、そのための努力を絶やすべきではなく、テキスト情報として手軽に抽出できる「ネット世論」にだけ耳を傾けるのは手抜きです。
本稿の読者のなかには、ユーラシア大陸を東から西へと駆け、日本経済の微力になろうと歯を食いしばり働く人がいます。彼らのお陰でわたしは駄文をいじくりたおすことができるのだと心の中で手を合わせています。ネット世論を無意味とまでは言いません。しかし、ネット中で八面六臂の活躍をするものと、リアルの世界で汗を流す人のどちらが社会を動かしているか支えているか。
ネット選挙が解禁され、政治家がネット世論に傾斜することへの危惧がここにあります。
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