僕はしっています。チェルノブイリを。

政党が乱立して、どこに投票して良いか有権者は迷う。

と、訳知り顔のコメンテーターが言い垂れますが、彼らの嫌がる結論をここで述べましょう。

「迷ったら自民党」

わたしが消去法的自民党支持者だからではありません。思い出せば明らかなことですが、公約をマニフェストと民主党が言いだしたのは、選挙で掲げた公約を守らなかった自民党との差別化です。

公約が守らないという批判は、わたしが小学生の頃かあったもので、これでは子ども達に約束を守れと言えなくなるという、ブラウン管の向こう側の言葉に胸をときめかせた記憶があります。もう、これでウソで叱られることがないと。

わが家においてのウソとは、詐話はもちろんですが、躾けられたことを守れないことも含めます。つまり躾とは父母とかわした約束であり、それを守れなかったと言うことは即ちウソをついたという論法です。

夢は刹那に壊れます。政治家は嘘をついても良いの? と童心を装って言質を取る企みに出る小学生のぼく。

「ダメ、だからおまえたちのウソを厳しく叱る」

と逆王手を噛ます父。策士策に溺れるという言葉を知るのはもう少し後の話です。

話を戻します。それでは自民党が民主党だったかというと違います。好き勝手に政策を曲げたこともありましたが、むしろ世論になびいたことのほうが多いでしょう。選挙前後で手のひらをくるくる回していたのは自民党です。特に日本新党ブームで下野して以降は、野党の政策でも人気のあるものは節操なく取り入れてきました。

ねじれ国会を「決められない政治」の根本原因といいますが、政権交代前のねじれでは、野党に譲歩しながら国会を運営してきた事実を思い出せば、ねじれだけではないことは明らかです。

「ガソリン値下げ隊」

と、駄々をこねたのは野党時代の民主党。

つまり、橋下徹日本維新の会代表代行(めんどくさい)が命名し、石原慎太郎全東京都知事が弄ぶ

「ふわっとした民意」

を反映させるなら自民党ということです。慎太郎ちゃんは国民が愚かであるという前提に立ち、それを隠すのが下手な希有な政治家で、この言葉を国民を堂々と小馬鹿にする材料として用いている節があります。

ここで自民党推し(これもバカな言葉ですね)をする理由の一つはお気づきの通りイヤミですが、もうひとつこちらは真剣な理由として乱立した少数政党にあります。

新党ができても政治が変わらないことは、この10年で証明されました。二大政党制というお題目も、肝心の政党が政党の体をなしていなければ内部崩壊して国民を混乱に陥れることは民主党が身を持って、国益を損ねるという対価を支払いましたが立証しました。

そして以前指摘したように少数政党の大半が「自民党の派閥」です。

いま、「みんなの党」からの脱走兵が(日本)維新の会に逃げ込み、そこから出馬しようとしています。

しかし自民党の主流派になれず、自民党の党論を動かすこともできずに逃げ出した脱走兵の集団が「みんなの党」とは言い過ぎでしょうか。これは我が町足立区の「みんなの党」の区議からみた結論です。

党(支部)の決定に従えずに離党し、無所属で都議選挙に出馬し二度落選し、いつのまにか「みんなの党」にはいり、昨年区議会議員として復活したものがいます。

彼は25才で私大在学中に自民党から出馬して最年少区議となって以来、ずっと政治屋稼業。世間知らずのおぼっちゃまという関係者の噂はあながち間違いではないでしょう。

都議へのチャレンジは補選で、前回選挙で落選した自民党都議にとっては雪辱戦です。党をあげて応援するのは筋道論からいっても当然です。彼はこれを「イヤ」として、単騎駆けしました。ここまでなら、己の義のための行動と言えなくもありません。次の都議選へのチャレンジも同じ評価です。ところが区議に出戻ります。みんなの党の看板を掲げて。

みんなの党の党首の思いを否定するつもりはありません。ただ、彼に従うというか、党にはいったもののなかに、少なからず

「選挙互助団体」

という意識が透けて見えるものがいるということです。

そしてこれは政党乱立と同根です。

「批判の多い自民党では選挙に勝てない。民主党はいれてくれないだろうし、共産社民は論外。そうだ、新党に入ろう(作ろう)」

政治理念が見えてこないのは道理です。理念がないのですから。

こうした見立ての上の「自民党推し」です。つまり、いちど冷水をぶっかけることで、選挙互助会は目的果たせず解党か消滅して、議論が整理しやすくなるということです。そもそも100%意見が一致する政党などあるわけもなく、あったら逆に怖い話しです。ナチスじゃないのですから。

結論から遡れば「民主党推し」でも・・・とは言えないので、やはり消去法的に「自民党」が残るという訳です。

まだ第三極、とりわけ日本維新の会があるだろうという声もありますが、橋下徹さん自身に不信感を持つので推すことができずにいます。

政策の一致がない「太陽の党」との合流に、野合ではないかという批判がありますが、正しくないとわたしは考えています。野合ではなく「都合」でひっついているのです。

まず、以前指摘したように橋下徹さんの手法は、結論が出てからどうとでも受け取れる余白を残すことが多いので、野合という批判すら虚しくなります。

野合とは共通項のない人間がただ集まっている状態で、政権奪取という目的だけしかない政党とすれば、それが「党是」と言い切れば屁理屈ですが論理的整合性だけは取れます。ちなみに民主党の党是は「自民党批判」で、野党転落を目の前に先祖返りしています。

石原慎太郎さんが強弁する「小異を捨てて大同につく」とは、デジタル大辞泉の説明では、

「少しくらいの意見の違いがあっても、大ぜいの支持する意見に従う」

となっているので、用法に少し疑問も残るのではありますが、他の言葉から主旨を拾えば、多少の違いは脇に置いても大目的を達するのが先決だということでしょう。

そしてこれを目的とするなら、個別の政策など確かに「小異」です。

というのは石原慎太郎日本維新の会代表と、橋下徹日本維新の会代表代行の目指すものは、官僚機構の改革であり、統治の仕組みそのものを変えようという大胆なものだからです。

平易な言葉を用いれば、「決める仕組み」を変えるということで、脱原発にしても、すこし冷静に考えれば、今日原発を停止すれば、明日から核廃棄物が無毒化し、原子炉のなかに人が入れるようになるわけではないことは分かるでしょう。

また現時点での代替エネルギーに結論はでておらず、イデオロギーに走る役者くずれや、自分は原子力発電を継続する米国に住む音楽家はともかく、国民の生命財産を守る決定を下す政治家ならば、安定的エネルギー供給においての原発というカードを安易に手放すことはできません。

そもそも主張に長短があっても「脱原発」は、その燃料となるウランの採掘量の限界をもって迎えるもので、いずれにしても「時間」の議論に集約されるのです。

この議論でも橋下くんはやってくれます。都合合併により軌道修正した脱原発については、こう述べます。

「市場原理が働けば2030年を待たずに脱原発になるのは必然」

要約ですが、最後に「必然」と力強く述べていますが、まず「市場原理」という前提条件をおいています。すると、仮に政権を奪取した後に、脱原発が実現できなかったときは、この市場原理に責任を転嫁できるという論法です。見事ですが政治家としては狡い。

現時点で分かっていることですが、太陽光発電を政策誘導したドイツも、グリーンニューディールを打ち出したオバマの米国も失敗に終わっています。

話を戻せば、決める仕組みが変われば、脱原発についても柔軟に対応でき、地方分権やらなんちゃらがまぁその好き勝手にできると。

この透けて見える真意から、維新を推せないのです。

地域主権、分権、道州制等々、大阪府知事時代からの流れを組むのなら「減税日本」との連携はありえない話しではなかったのですが、すがる河村たかしを無常に切り捨てた慎太郎ちゃんは男を下げましたが、維新の会に漂う「いや〜な感じ」を露呈させたのは、あの珍事の見所でしょう。

政策のズレなどではなく、維新の会が国政政党に名乗りを上げる直前での「意見交換会」にて、積極的に発言した河村たかしさんを「ウザイ」と橋下徹さんが思ったことが、最終的な理由ではないかとわたしは見ています。

俗な言い方をすれば「橋下独裁」。独裁の手続きのために、統治機構の変更を掲げているとわたしは見ます。

もちろん、だからと彼をヒトラーと重ねはしませんし、そこまでの覚悟を感じはしませんが、要するにやりたいことを自由気ままに着手できる仕組み作りをしているということです。

そのひとつが

「首長の兼職禁止規定の解除」

です。市長のまま国会議員にさせろと主張を始めました。

日曜日ウジテレビ・・・もといフジテレビの「報道2001」に登場した橋下徹さんはいいました。

「首長を国会議員にさせないのは狡い」

独裁の野望がそこここから漏れ出ます。首長を辞めればいつでも国政の場にチャレンジできることは、オタクの党の代表になった慎太郎ちゃんが身を持って証明しています。国会議員になりたかったら大阪市長を辞めれば良いだけのことです。それを「狡い」とはどちらが「狡い」のでしょうか。

首長が国会議員になれば、我田引水も自由自在です。支店長が社長になるようなものです。また、そのどちらも片手間になることは明らかです。自分ならできるというのが傲慢に過ぎます。

市長でも区長でも、都知事でも県知事でも、選挙で選ばれた首長は自治体に対して強い権限を持ちます。自治体の職員を動員して選挙活動をさせれば法に触れますが、自治体の名前で配布される広報誌や、主催される各種イベントに首長が出席するのは通常の業務で、それは売名行為と表裏一体で、選挙において現職有利となる大きな理由です。

つまり兼職が認められるとするならば、首長になれば自治体の金を使って国政に向けた選挙活動ができると言うことです。

身近な問題に置き換えれば小学生でも分かること。
ズルに繋がる主張をしているのは橋下徹さんです。

で、盟友よりも新しいやんちゃ坊主とつるみ、すがる大学の後輩を足蹴にした慎太郎ちゃんは義よりも自分のことしか考えていないのかと疑問符がつき、それもまた彼らしいと苦笑いを浮かべ、暴走老人が晩節を穢すのもまた「人生教訓」として味わいの深いものがありますが、ただ「その後」は、この狡さが透けて見える橋下さんに引き継ぐと公言しており、そうなった暁には旧たちあがれ日本の人間が、仮に選挙で生き残っていても、彼は切り捨てるでしょうね。

それはさりとて、握った権力を用いて何をするか。彼への離反を促しているのではなく「分からない」のです。狡い人というのは、言葉を翻すことに痛みを感じず、過去などすっかり忘れられる特性を持っています。

そのことがわかる一例を紹介します。

橋下徹さんと愉快な仲間達が「脱原発」に大声を上げ始めたのは、福島原発の事故を受けてからです。道州制や組合、日教組への攻撃は目にしましたが、その道州制を実現したときの関西州におけるエネルギー政策は寡聞にして知りません。

で、こうした主張を活動家が騙り、居酒屋での酒の肴ならどうぞご自由になのですが、彼はときおり「知らなかった」と繰り返します。

僕は彼よりわずかに年下ですが、僕はしっています。
チェルノブイリの原発事故を。

教科書では第五福竜丸を習い、図書館で「はだしのゲン」を読みました。スリーマイル島は、ちょっとピンと来ませんでしたが、思春期を迎えた頃、忌野清志郎さんの原発批判の楽曲が、親会社の東芝への配慮から発売中止となったことをしってから、10年以上東芝製品と知った時点で買わないようにしていました。ちなみに今はテレビも洗濯機もガラケーもスマホも東芝製ですが単なる偶然です。

コホン。
以下は佐野元春さんが1988年に発表した「警告どおり 計画どおり」の歌詞を引用。

もう不確かじゃいられない 子供達が君に聞く 本当のことを知りたいだけ
ウィンズケール スリーマイルズ・アイランド チェルノブイリ
すべては警告どおり

そして、終わりは来ないとつぶやく「君」は、やがて滅びるまで見ているだけと指摘します。

ノスタルジーではありません。私たち・・・コホン、橋下徹さんん流に「ぼく」たちは、十分に知る機会を、考える時間を与えられていたのです。彼は政治屋になる前に、何を学んでいたのでしょうか。彼は即答するでしょう。「法律」と。

いま、気がついたから良い。とは四十を過ぎたオッさんの弁としては不十分です。気がつかなかった反省とともに、いまも気がついていないことがあるのではないかと謙虚になる、ソクラテスが述べた「無知の知」という姿勢が橋下徹さんからは感じ取れません。

そこが脱原発、再生可能エネルギーの推進に繋がります。

ドイツや米国の失敗という教材はすでにあります。しかし、あれはあくまでドイツや米国の話しで、市場原理や技術革新が今と違うのだから、それをもって失敗すると分からなかったのかという批判は正しくない・・・とカメラ目線で悪びれもせずに語る橋下徹日本維新の会代表代行の姿が目に浮かびます。

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