中国人と韓国人がいう「正しい歴史認識」とは「正史」です。
それは学術的、科学的に立証されるものではなく、勝者が都合良く書き換えた物語であり、そんなバカなと思うかも知れませんし、過去のある時期において起きたことなら、我が国でもあったことです。
ところが彼らの国では「現在進行形」で行われているのです。
一党独裁の中華人民共和国に「天安門事件」は存在せず、各地での人種差別(日本へも含む)と弾圧など語られず、電車の追突脱線事故では、高架下に落下した車両を
「埋めてなかったことにしようとした」
ことは記憶に新しいところでしょう。
そして韓国も「後出しジャンケン」で歴史が塗り替えられる国柄です。「親日反民族行為者財産帰属特別法=親日法」など最たるものです。ちなみに韓国において
「親日>売国奴」※大きい方が悪い
というニュアンスです。彼らが言うところの日帝支配に協力した朝鮮人(自国民)を裁く法律で、驚くのは2005年の成立ですから、終戦後60年を経ても訴追します。当事者が亡くなっていれば、子々孫々へも手を緩めません。
3年前にこの法律を適用して、日韓併合条約を締結した李完用の子孫から土地を巻き上げています。語弊を怖れずに言えば、敗戦時の日本の鈴木貫太郎首相のご家族に、平成の今、罪を問うという感覚は我々日本人にはありませんし、普通の法治国家では
「法の不遡及(事後法の禁止)」
が原則で、これに欠陥がないとはいえないのは、イジメや飲酒運転による殺人などで、常軌を逸した加害者や殺人鬼に対しての罪が軽すぎるという市民感情があるからですが、しかし、一方で、権力者の交替や、文化風俗が変わる度に、法律を書き換えて過去を処罰されてはまともな市民生活が送れなくなります。
俗な一例を挙げれば、過去、オートバイに乗るときにヘルメットは不要で、自動車のシートベルトも、運転中の携帯電話の使用も違反ではありませんでした。また、関東地方では昨日まで再放送されていた「踊る大捜査線」で主人公の青島刑事はのべつまくなし煙草をふかしていますが、これらすべて2012年9月26日の法律や条令が遡って適用されるならアウトとなります。
たぶん、民主義国家であろう韓国で近代法の原則に触れる法律ができた理由はふたつ。それこそ「歴史的」にみて「正史」の国でアリ、時代の覇者が過去を書き換える伝統からで、もうひとつは彼らの感覚的に、日本人という被差別民族にはなにをしてもよいというのが常識だからです。
こうした「歴史認識」を同じくする国が手を組んで、我が国を攻撃することに対してメディアは
「日本包囲網」
と危機感を煽ります。その背景には、中国様におもねりましょう。韓国様(サムスンとかね)のご機嫌をとりましょうという思惑が透けて見えます。
つまり、これは「チャンス」です。
「中国と韓国は西側の常識が通じない国」
とアピールする絶好機・・・ですが、野田じゃダメでしょうね。
ちなみに別の思惑もあるのですが、領土問題について共同歩調をとるかに見られたロシアが今のところ静観しているところにも注目です。あ、もちろん、日本を助けるためではなく、ロシアに有利な条件を日本側から引き出すためですが、
「国際世論に訴えかける論理的な対話」
は避けたいからです。
そして同時に、手を打たなければならないのはインドやモンゴル、ミャンマーなどなどあり、特にインドは「チャンス到来」と広言し始めました。日本企業の誘致です。インドのスズキで暴動が起きましたが、国家としては対印投資は喉が出るほど欲しく、なにより彼の国は「親日」です。
さらにもう一つの「親日国」を忘れてはいけません。それが中華民国、いわゆる台湾です。昨日は尖閣に漁船団がやってきましたが、これも野田のバ・・・野田首相の無策により起こったもので、彼らは主権やらなんちゃらはともかく「漁業」がしたいのであり、それこそ「歴史的経緯」からみれば、言下に否定できない背景をもっているのです。
主権はもちろん、日本国です。しかし、それこそ考え得るすべての知恵を動員して和することは不可能ではなく、さらにはこの緊迫した時期だけに、日本の伝統芸である「先送り」を炸裂させるタイミングなのですが「放置」。「先送り」とは誠意をみせつつ、期待させながらも時間を稼ぐ手法で、何もしない「放置」とはまったく異なります。
つくづく日本がダメな人間に見えてきます。
「親日国に冷たく、嫌日国に媚びを売る」
男女のあいだに直すとこう。
「好きと言ってくれる女性に冷たく、高飛車で高慢な女に貢ぐ男」
この男が幸せになれないことは誰もが分かることでしょう。
男女を入れ替えても同じです。不幸になる女性は、不幸になるべく男に振り回されるのですから。
外交的に言えば「敵の敵は味方」は常識。そして中国と国境を接していて彼の国を好きな国は希。どこでも隣国とは某かのもめ事を抱えているものですが、中国のそれは桁外れ。
とにもかくにも民主党の連中が、本当に日本のことを考えるならば、一日も早く下野して、勉強し直すのが一番なのですが、我が身のことしか考えない野田を筆頭にどうにもならず、我が身だけを考える小沢一味がまず逃げだし、新党を作り、維新の会へと脱走する連中ばかりです。
・・・と、ここで筆を置きたいところですが、やはり触れなければならないであろう「自民党総裁選挙」について。
我が町、足立区からすれば石破茂さんです。地元出馬の落選比例ゾンビの鴨下一郎元環境大臣は、石破茂さんの盟友で、総裁選を幹部として取り仕切っているので、石破茂総理大臣が誕生した暁には、主要ポストに食い込むとみられているからです。
大臣が誕生したからと、いまどきあからさまな「利益誘導政治」ができるわけではありませんが、いまだ終わらぬ区画整理と、死者も出した開かずの踏切の高架化へ弾みをつけて欲しいなど、多少のさじ加減を期待する地元の声は大きいのです。
私見を述べれば石破さんは頼りないとも見ています。原理主義的に解釈する性格が見え隠れして、裏技寝技、ときに裏切りまで求められる最高権力者として、実直さは諸刃の剣となるからです。また権力基盤が脆いところも心配です。
では誰か。町村さんと林さんはとりあえず割愛。すると石原伸晃さんですが、彼は傲慢さとひ弱さが透けて見えるところに二の足を踏みます。特に選挙戦序盤の上から目線の語りかけと、その目線を支えているのが父親を背景とする情報網であるところ(実力ではないところ)、そして粗忽なところに疑問符がつきます。
一例を挙げると「中国は尖閣に攻めてこない」という発言と、国有化に際して実父の都知事から聞いたであろう裏話を気さくに語ってしまう迂闊さです。
攻めてこない発言はオヤジが、石原慎太郎東京都知事が都の定例会見で「フォロー」する始末で、裏話とは慎太郎ちゃんが悪者になって実効支配を強めるから、その後で国有化すれば良いというはなしをぺらぺらとテレビで語ったことです。とにかく言葉が軽い。
一連の中国による国策暴動が沈静化したのは、うっかり煽って都知事閣下が前面にでてくることを嫌ったからでしょう。ナショナリズムではなく、国民の「国防意識」が高まったときにはっきりと言葉にし、行動に移す慎太郎ちゃんの人気が高まることは容易に想像でき、領土を守ることは国際世論上、なんら違和感のないことですから余計な藪をつつかないのだと。
すると残るのは安倍っち。言っていることは分かるのですがひ弱な印象は拭えません。例えばこういって出馬したのなら、わたしも応援したかも知れません。
「総裁選に政治生命を懸ける」
自民党崩壊の引き金を引いたのが小泉純一郎なら、それを加速させたのは安倍晋三です。健康不安という事情があったにせよ、それを悔いて詫び、しかしそれでも先頭に立とうとするなら、不退転の覚悟を示して欲しかったのですが。特に保守を自認するならば。
それでは・・・といわれば、まぁ誰がなってもかなぁと。
投げやりではありません。
マスコミはまた息を吹き返してきた自民党をたたき落とそうと偏向報道を繰り返しており、最たるものが今回の総裁選で繰り返す「わからない」です。
政策や国家運営についてと漠然としたことをぼやき、それこそ「何を分からないと言いたいのか分からない」言葉を垂れ流します。
いや、分かりやすいです。ひとことで述べるなら「保守」です。
自民党には民主党ほど「極左」はいませんが、それでもレフティもいれば売国奴もいます。しかし、今回は全員が「保守」であり、違いが分からないという批判は論外です。だって
「同じ自民党の人だから」。
どこかの選挙互助会政党ではないのですから、主張や発言が重なるのはある意味とうぜんのこと・・・でしょ?これもネガティブキャンペーン。
あと同じ派閥から出馬したことを揶揄していますが、
「派閥政治を批判」
していたのは誰でしょうか。
続けて石原伸晃が谷垣さんを裏切って・・・と報じますが、そもそも谷垣さんで次の選挙を勝てるのかという声があったことをすっかり忘れていますし、出馬断念となった途端に、ふたつの政権を辞任に追い込んだと手柄を強調しますが、ルーピーもペテン師も自滅です。その二度のチャンスに「解散」に持ち込めなかったことへの評価は残念ながら最悪です。
先の「正史」ではありませんが、事後に過去を裁くとこういった矛盾が生まれるという実例です。
石原伸晃でいえば同じ執行部からの出馬をしつこく攻撃しましたが、ペテン師菅直人がようやく辞めたあとの民主党代表選には5人が出馬し、4人が「菅政権」の大臣でした。
形式上は辞任ですから「後継」と言えますが、事実上は「解任」・・・ではなく「罷免」で、それを支えた大臣も連帯する責任があったはずですが、そこはスルーし、さらには野田が首相となったあとに、菅直人の不愉快な仲間の多くがスライドして入閣しています。
また、総裁選に5人が乱立といいますが、かつての政権時代には強すぎる本命が立候補すると「出来レース」と批判していたことをわたしは忘れません。
モナチュー細野が逃げ出したことで「出来レース」になった民主党は批判せず、自民党だけ引きずり下ろそうと画策する。さすがに民主党を応援するも虚しく、次の御輿とあたりをつけたのが
「日本維新の会」
で、機をみるに敏な橋下弁護士はそれを利用としています。
はてさて、どこから手をつけてよいかわからない日本となりはてましたが、少なくとも我々国民が、いますぐできることは偏向報道が行われている事実に気づくことです。
それは中国様へおもねり、韓国様にすり寄る姿勢も同じです。
アメリカでも「報道が信用できない」という世論調査があがってきました。彼の国では伝統的にマスコミに民主党支持者が多く、平気で偏向報道をしていたのですが、国民が気づき始めたのです。
日本では左翼、反自民、中華文明圏(近隣諸国)礼賛。
あとは反軍、反戦、反核がキーワードです。
我々が気がつけば、少しは何かが・・・いや、報道と同じく政治屋を見る目が変わってきます。そしてもちろん、「近隣諸国」の非礼と非道についても。