精神論だけで勝てるサッカー

オリンピックのバドミントンで「無気力試合」による失格が話題となっています。

これをうけて「ナデシコ」への批判もあり、状況によっては引き分け狙いもオプションにあったと記者に漏らした佐々木監督を猛烈に批判したのはサッカージャーナリストの大住良之氏。頭がおかしいのかと思いきや、この人の過去の記事を見ると、2003年の記事で敗戦した女子サッカーチームに技術的に優れていたとか、ジャッジに文句をいわなかったと

 

「試合以外の精神論、方法論を誉める」

 

青春の幻影を追いかけている痛いオジサンだと判明。たぶん、大住良之氏が高校球児を語れば、清らかな白球をどこまでも澄み切った青い空の下を追いかけてる若者達・・・などと眠たいことを言うのでしょうね。高校球児などは板東英二の頃から、こすっからくがめつく、喫煙も飲酒も普通の高校生ぐらいはやってましたし、上級生による下級生イジメは陰湿で執拗で吐き気がするぐらいグロテスクな青春がそこにあることを知らないのでしょう。

サッカーに話を戻します。敗者を讃えるセンチメンタルは好き好きですが残酷な現実の世界でフィールドプレイヤーも監督も戦っています。かつて、我らが代表が坂の上の雲を見上げて溜息をついていた頃、JAPANマネーで招聘した主力のいない強豪国がみせた「無気力試合」は掃いて捨てるほどありました。そしてそこに圧倒的実力差があることを知ったものです。

引き分け狙いなどグループリーグではよくあることです。しかし、最初から引き分けを狙って、目論見通りに試合を完結するには90分間にわたり、ゲームを支配する能力が不可欠です。なぜなら、

 

「サッカーはミスを前提としたスポーツ」

 

だからです。ミスキック、トラップミス、ミスパス。これを踏まえて引き分けを完遂するには、一定の能力差が求められるのです。サーブをネットにぶつけるようなバドミントンとは次元が違うのです。さらにいえば、ゲーム終盤になれば

 

「勝ち点の計算」

 

をするのはサッカーでは常識で、勝ち点1で充分なら、無理して勝利を目指し3をゲットするより、負けて0となるリスクを怖れるのは当然です。また、主力に遮二無二ゴールを要求して怪我でもされたら目も充てられませんし、監督に非難が集中するのは火を見るよりも明らかです。それでも大住良之氏は、

 

「よく散った。潔かった。消化試合でも見に来てくれた観客のために死ぬべきだ」

 

とでも語るのでしょうか。そんな残酷なこと私には言えません。

「サッカー」というカルチャーに「狡さ」は内包されています。これが真実でありグローバルスタンダードです。だからルールを調整して、極力それを排除しようとしながらも、全部は無理だよねと片目をつぶっています。世界中のサッカーファンなら知っていること。仮に大住良之氏の発言を是とするなら、世界の非常識です。ついでにいえば結局、予選敗退したスペインに、男子代表が勝ったときに大騒ぎしていましたが、あの展開で1点しか取れなかったとブーイングするのが世界の常識です。グループリーグには得失点差も重要で、決定機を3度も4度も外せば、例え勝利しても辛らつな批評に耐えるのもまたサッカーなのですから。

 

精神論で戦えるほど世界は優しくありません。形式論に頷きながらも、無視をするのが世界です。

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