野田首相の野望について

 前置きの長い「言えないこと」ですが、今回は結論から。

「野田首相の野望について」

 さきのふたりの阿呆(としか評する方法をわたしはもちません)
の後任として登場した野田総理大臣。その出馬の時から、ぐずぐず
しており、推されて出てきたという演出する様に、当初から彼を
認めていなかったわけですが、就任に当たり靖国参拝をしないと
早々に表明した時点で「保守」の看板にも疑問符をもっておりま
した。

 平時なら推されてできたとするのは悪いことではありませんが
思い出してください。東日本大震災に原発事故、そして菅直人と
いう悪夢にうなされていた日本国民を救うための民主党代表選挙
だったのです。

 そこで「体面」や「体裁」を繕う彼に期待しろというほうが
無理な話です。

 野党時代からの民主党の主張を採用すれば、首相が替わる時は
民意を問うべきで、政党のなかでたらい回しにするその姿は

「国民不在」

 で、主権は国民にあるとする憲法に触れます。
 ただし、今回に限れば、まさしく震災復興、原発対策の前に
選挙をしている時間が被災者をより苦しめます。だから、妥協点
として見逃されたのが野田内閣なのです。

 ところがこのドジョウ。基本的に総理や大臣には役職をつける
ことで敬意を表していますが、ドジョウに降格したのが今回の
結論。ルーピー、菅直人に続いて3人目です。

 そのドジョウ、震災対策もそこそこに、次から次へと

「重要政策」

 に手を出しています。霞ヶ関の言いなりにです。
 ドジョウを財務省のポチとする週刊誌がありますが、

「霞ヶ関の忠犬」

 というほうが正しいでしょう。

 繰り返しになりますが、ドジョウ総理が許された理由は震災から
の復興というより、その前の復旧です。

 ところがこれが遅々として進みません。がれきの除去などという
技術論ですら、場当たり的で、もっとも顕著な例が、仮設住宅の
防寒対策を冬の訪れに慌てて行っている実状でしょう。

 東北(とうほぐ)がさみぃのはあたりまえ。

 ならば、雨風をしのげるようにした直後に、防寒対策という
二の矢を放つのが野田ドジョウの仕事だったのです。そしてその
時間は充分にありました。

 さらに鉄道網や道路といった交通インフラの整備・・・という
より、その

「グランドデザイン」

 は国でなければ決められないことです。

 自治体ごとの現場の要求に耳を傾けることも大切ですが、隣接する
自治体があれば大抵は摩擦を抱えているもので、それぞれの利害を
ストレートに主張すれば、まとまるものもまとまりません。

 現場レベルに視線を落とせば、津波被害を最小化するために鉄道路
線を高台に移転しようと考えても、沿岸部での生活を再開したい人
や、津波以前の「駅前」に土地を持っていた人にとっては賛成でき
ない事で、高台移転よりも防潮堤などで対応すべきだと主張する
ことでしょう。

 これが市区町村単位、そして県単位で対立が起こるのです。
 悲劇です。手を携えて助け合い、震災を乗り越えた市区町村が
復興に対する考え方で、いがみ合うとしたら。

 この残酷を回避できるのは国だけです。

 国は「法律を作る、変える」というスーパーパワーを持っています。
 極論ですが県を潰すこともできれば、反対に非被災県の予算を
すべて掠奪して被災県にあてることだってできる力を持っているのです。

 国家という視点から被災県をどう位置づけるかで、復興対策は
変わってきます。だから震災直後から、関東大震災後の後藤新平の
ような人の登場が望まれ、組織としても復興庁や復興院の創設が
待望されたのですが、いま、どうでしょう?

 こうした議論こそが野田佳彦に求められたのです。

 さて就任から3ヶ月を越えました。報道では「ハネムーンの終了」
とかまびすしいですが大切なことなので繰り返します。「ハネムーン」
とは、主に二大政党制の米国で政権交代がおきた際に、信条や組織の
違いから起こる混乱や準備などの期間のおおよそ100日として
見逃すことであり、

「民主党から民主党政権へ」

 に適用されるものではありません。当然の話ですが、民主党という
政治パーティー(集団)は、同じ政治的思想を共有しているからで
トップのクビをすげ替えたからといって、混乱が起こるとするならば
政党としての要件を満たしていないことの告白です。

 余談ですが、安倍、福田、麻生。どれも首相として色々欠けている
ところはありましたが、彼らはみな、というか自民党の総理大臣は
就任翌日から批判に晒されていた日々を懐かしく振り返ります。

 話を戻します。
 この100日間にドジョウが積極的に動いたのはなんでしょうか。

 記憶に新しい所では「TPP」。経産省と外務省の主張を語る
九官鳥のように見えた私の乱視は進んでいます。

 また昨日の新聞全紙に全面広告を出した「増税」は、言わずもがな
の財務省のいいなりです。

 で、この「増税」。当初は「復興財源」だったはずが、こちらが
空振りに終わると、「社会保障財源」に切り替えています。とにか
く増税できれば良いという野望だけがくっくりと浮かび上がります。

 そしてドジョウと決定づけた理由は「女性宮家創設」。これは
宮内庁というより羽毛田長官の小泉政権時代からの野望。女性天皇
にまで狙いを定めています。

 TPPについては何度も取り上げていますが、議論すべきポイント
を放置したままですし、米国との同盟関係を語るなら普天間が優先順
位の一番目で、交渉なのにきれるカードを先に切っている時点で、
外務省の腰抜け外交の指示通りということは透けて見えています。

 増税は論外。いずれは必要でも、いまではなく、議論をはじめること
は結構ですが、その前に取り組むべき財政再建は手付かずで、実施時期
を語るのはナンセンスです。増税ありきで描くシナリオは、霞ヶ関の
更なる肥大化を招くだけで、官僚栄えて国家崩壊です。だいいち、
この議論は震災復興と関係がありません。

 そして「女性宮家」。これについてはいずれ掘り下げたいのですが、
検討するのは大いに結構。特に占領政策により、皇籍離脱を余儀なく
された旧皇族については、自主独立を勝ち取った(っていないという
説については今回は無視)のですから、復帰なされることになんの
疑問があるというのか、という課題も含めて検討をすすめるべきでしょ
う。

 ところがこの検討を「加速」させるとドジョウはいいます。

 しかし、そもそも女性宮家創設の大義のひとつには、今上陛下の
ご負担を減らすというものがあります。

 不敬を承知で平易な言葉で記せば、お年を召された天皇陛下の
ご負担を軽くすることであり、喫緊の課題です。秋篠宮様が言及
された定年制とまで踏み込まなくとも、皇太子殿下や宮家により
代行できるものは、早急に分担すべきでしょう。

 だからといって女性宮家創設の検討を加速させるのとは議論の
次元が異なります。陛下のご負担軽減は1分1秒を争います。
一方の女性宮家は少なく見積もっても数年単位の余裕があります。

 なにもドジョウ如きが焦って決めることではない・・・と、
ここで野田首相の野望に気がつきます。

「歴史に名を残す」

 TPPを「開国」として、幕末の志士に自分を重ね、増税に
より財政再建(できると財務省に洗脳されている)した首相として
さらには女性宮家、ひいては女系天皇という、まさしく日本史に
名を残せる方法を見つけて突進しているドジョウです。

 誰かを思い出しませんか? そう、菅直人です。
 死に体になってから脱原発を持ち出したアレです。

 民主党政権はもう終わりです。選挙をすれば、少なくとも
単独政権は不可能で、新党流れが生まれれば、民主党自体が
崩壊する可能性まででてきました。松下政経塾への期待も
幻想だったことを国民は学習しました。

 すると、野田佳彦という人物が歴史に名前を残すチャンスは
今回限りということです。この危機感に功名心をくすぐる
官僚がすり寄りました。

 そして「やるべきこと」を疎かにして「やりたいこと」に
腐心します。菅直人で思い出しましたが、「原発再稼働」とい
う現実路線への転換も野田内閣が負った政治的課題だったはず
が、そこを生ぬるくスルーし続け「やりたいこと」ばかりに
目を向けます。

 思えばルーピーもそうでした。温暖化ガスの削減目標に
しても普天間の最低でも県外でもそうです。

 民主党という政党自体が

「やるべきコトから目を背け、やりたいことばかりやる」

 ということなのでしょう。つまりは「こども」。

 そんな子供のワガママを許したのは我々国民なのですがね。

 首相になってからの野田佳彦を「歴史に名を残す」という個人的
満足でみると、すべてに合点がいきます。それはまさしく

「脱原発や居直りで名前を残した菅直人の二匹目のドジョウ」

 だから、アレはドジョウなのです。

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