「表現者の傲慢」が優先される社会

「非実在青少年」が一部で話題になっています。

特に「ネット」では局所的にこの話題で持ちきりとなり、よく
でた主張はこうです。

「静香ちゃんの入浴シーンがなくなる」

騒動のあらましは東京都が東京都青少年健全育成条例改正案の
改正で「非実在青少年」にも規制をかけようとしたことに、
ネット(一部)から反対の声が上がり、漫画家が同調しました。

非実在青少年とは漫画やアニメに登場する18歳未満の人物。

つまり、静香ちゃんとは亀井さんではなく源静香、つまり
ドラえもんの風呂好きヒロインのことで、彼女たち実在しない
キャラクターの「性的描写」への規制に反対ということです。

原作者の藤本先生(藤子・F・不二雄 故人)が許可するわけ
ないじゃん。という冷静な突っ込みはこの議論とは無関係なので
おいておきますが、まぁパロディなども含めて規制するのは
表現の自由を阻害するとんでもない条例だという主張です。

静香ちゃんのセックスシーンを見たい気持ちなどさらさら
ありませんが、表現の自由に関しては私も物書きの端くれ、
規制などまっぴらゴメンです。

そしてこの条例の最大の問題は「線引き」が曖昧なこと。

だから為政者が恣意的な運用をすれば、特定の作家や表現を
狙い撃ちすることもできなくはありません。

反対派の理由もここに求めるものが少なくありません。

しかし、表現の自由はどこまで認められるものでしょうか。

と、いう議論はここではしません。

規制反対派の「論」への違和感が今回のテーマです。

著名漫画家の集まった集会を「ネット中継」で見ていたのですが
同じ表現者として首をひねります。

別の作業をしながらみていたので誰の発言かは失念しましたが、
こういう主張がありました。

「何でもみせろ」

見た上で、要不要を判断するのは読者だということです。
この何でもとは年齢制限なしを意味します。

すこし言葉を足しておきますと、つまり作品の良し悪しは
その表現も含めて、規制や条例で縛るものではなく、表現者と
読者との対話により決まるものだ・・・というような意味に私
は解釈しました上で述べれば、これは

「表現者の傲慢」

です。

ウチに子供はいませんが、少なくとも小学生にいまのH漫画
は読ませるどころか目に触れさせたくありません。

すごいですよ。画力のレベルが上がっており、いまメジャー
な「マガジン」あたりで描いている作家さんが、くんずほぐれ
ずを描写するにあたっては、安物のAVより凄く、掛け値なし
に「凄い」と思います。

規制反対派の人は是非一度、書店の「エロ漫画」コーナーに
足を運んでみてください。あるいはブックオフなどの古本屋でも
OK。アニメ絵、オタクネタ、叙情派などなど。内容は妄想系
など可愛いもので、少女売春、リンチ、奴隷、強姦、輪姦、飼育
殺害とまぁそのバラエティの多さにだけは感心します。

で、問います。子供が見ても大丈夫ですか? と。

あえて「表現」に限定して問うならこうです。

「少年ジャンプにセックスシーンは必要か」

もちろん、サンデーやマガジン(は、すでにやっており
卑猥・・・ただし是は主観・・・ではありませんがヒロインが
妊娠するというおまけ付き)でも同じです。

漫画・アニメということなので少年誌とカテゴライズしている
ものに「性表現」が必要か否か。

反対を表明する表現者は「表現の一部」とします。
はてさて「一般の皆さん」はどう思うでしょうか。

かつて「少年ビッグコミック」という少年誌がありました。
それが「ヤング・サンデー」にリニューアルしました。

途端に「エッチ」なシーンが花盛りで

「これが青年誌だ」

と感動したのは20年以上前のことです。
かつては自主規制していた「たが」が外れたことは棚上げに
してはいないでしょうか。

ルールや規制は「守らない人」が作りだすのです。

その「規制」について。反対派の論旨を聞いているとそこに
見え隠れするのが「戦中の弾圧」です。思想統制というか、動員
体制と同列に語ります。

なるほど・・と私は頷けません。だってざっくりといえば

「エロ本」

と扱われるだけのことですから。条例が曖昧なので「暴走」
は確かに恐怖するのでですが、規制の対象になってもコンビニで
「封印」されて売られるだけのことで「BUBUKA」などと同じ扱い
になるだけならば購入もできますし、同時に表現だってできます。

もちろん販売ルートは限定されますし、立ち読みも制限される
ことから売り上げ減少があるかも知れません。しかし、

「表現の自由」

と大上段に構えるならこれを持ち出すのはどうでしょう?

「好きなことを好きなやり方でやって、同じチャンスを与えろ」

私の耳にはこう届きました。日雇い派遣村の主張と重なって
見えたのは私だけでしょうか。

そして「規制=戦争」という短絡思考にも閉口します。
これは「落胆」を含めてですがあり得ません。

まず、海外=欧米で唱えられる「表現の自由」には宗教的
素養が前提としてあります。

海外の表現者が「神」と対峙する時には、つねにタブーへの
挑戦があり、神との対話があるのです。

翻り日本国にはありません。

かつて海外の「神」の教え(から逸脱するとしての)で
ある「タブー」のようにこの国には「道徳」がありましたが
今や昔です。

戦時下において「国家への奉仕」は道徳に刻まれたものです。

平成日本にはその「道徳」という概念がありません。

つまりどれだけ「エロ」を規制しても「戦争」に辿り着く
ことなどあり得ないのです。だいいち、その前に「選挙」な
どの手段もありますし、それよりも

「自分が死地に赴くかも知れない戦争」

を決断できる日本国民は超マイノリティーです。

公より私を大事にするのが平成日本です。

余談ですが米軍は日本人のために血を流すのではなく、
米国のためになるときだけ日本を助けるのですよ。

規制に関しての議論は必要です。何より曖昧すぎます。

しかし、アニメや漫画は日本の誇る文化ではありますが
文化とは社会制約の中で存在するものであり、
「表現者の傲慢」が優先されることは本末転倒です。
 

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